幼いの頃のこと

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幼いの頃のこと

小学校入学前の、あんまり幼い頃の事は良く覚えていない。 お手伝いさんとかベビーシッターさんの話だと、身体があまり丈夫でなく、なぜかよく転んでいたらしい。 きっと、体幹が弱いんだ。 今でも、ふにゃふにゃしてると 言われることがある。 一度、庭で転んで顔を打ち、 血が出て大騒ぎになったことがある。 僕は、驚いたのと痛いので大泣きするし、 母はベビーシッターさんを叱ってわめき散らすし、救急車は呼ぶしで、 大変だった。 普通なら転べば手が出て、手を怪我するのに、僕は運動神経が鈍いのか、 手が出ないでもろに顔を打ってしまったらしい。 だから、母も、僕が普通でないことは気づいていたはずなのに… 気づいていなかったのかなぁ… 僕は、いわゆる“お受験”をして 有名私立小学校に入った。 でも、今考えると、僕は他の子のように “お受験”の為の塾に行ったり、 特別な勉強やお稽古をしていない。 試験も、母と一緒に何人かの先生と 教室で会って話をしただけだ。 いわゆる面接だったんだろうけど、 僕は名前を言ったくらいでほとんど母がしゃべって終わり。 きっと、面接をする前から合格は決まってたんだ。要するに、裏口入学。 そういう子は、僕の他にも何人かはいたんだと思う。 正直、ひらがなの読み書きもおぼつかなかったから、授業の他に数人で ひらがなの特別授業(?)を一学期の間やってた記憶がある。 あのメンバーがきっと裏口組だったんだと、今なら分かる。 それでも、低学年の頃は友だちもいて、皆と遊んで楽しかった。 家に呼んで遊んだりもした。 皆それなりの良い家庭の子どもだから、家に遊びに来るときも大人が送り迎えしてきたし、僕が遊びに行く時もそうだった。 初めての運動会の時、両親は他の子の親がいるところではなく、テントの張られた椅子席の真ん中に座っていた。 その時は何でだろうと思ったが、大口の寄付をしていたから、来賓席にいたのだと、高学年になって分かった。 母は、徒競走の時、来賓席の真ん中で ビデオを構えて見ていた。 なのに… 僕は、ぶっちぎりのビリだった。 先生達が 「諦めないで最後まで頑張った!」 って拍手で迎えてくれたから、その時は嬉しかったけど、今考えると恥ずかしい。 母は、僕が運動音痴だと分かってるのに、なんであんな目立つところでビデオを構えてたんだろう? 後でそのビデオを見たら、途中をカットして、スタートと僕一人が拍手で迎えられてゴールするところだけ写っていた。 「お母様、なんで走ってるところが写ってないの?僕、一生懸命走ったのに。」 「いいの、これで。 走ったことは分かるし、良いことだけ記録しておく方が良いのよ。 ビリじゃ恥ずかしいでしょ。」 「恥ずかしいの? 先生は、最後まで頑張ったって褒めてくれたよ。」 「そうね。頑張ったことは偉いわ。 でも、あなたはいつも一番でなきゃいけないの。 人の上に立つ人になるんだから。」 そう言って、ニッコリ笑うのだった。 僕は、母の言っている意味が分からなかった。勉強だって運動だって、 一番の物なんか何もないのに…
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