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自棄(やけ)のやんぱち
それから僕は、母のすることに反抗するのを止めた。むしろ積極的に
“不正”を進んでやるようになった。
「ねぇ、お母様。こんな工作とか作文とかじゃなくて、もっと偉い先生と一緒に“共同研究しました”みたいの作れないかなぁ。
何処かに出すわけじゃないけど。
お祖父さまもほんとうは文化系だったけど、戦争に行きたくないから理系の学校に行って、仕事しながら研究も続けてたでしょ?」
「そうねぇ。お父様に相談してみるけど、まだそういうのは早いんじゃないかしら。せめて高校生の終わりくらいにならないと、ね。
それに、ちゃんとした研究者の先生にお願いするなら、学校に提出して終わりには出来ないから、コンクールとかそういうものには出さないとしても、しかるべき所に出さないと“論文”とか“研究”とは認められないわ。
寿君は何の研究がしたいの?
それによって、お願いする先生も替わってくるから。」
「特に何がやりたい訳でもないけど、今まで標本を作ったことがあるのは蝶ぐらいかなぁ。」
「そうね。蝶の研究はどうか、お父様とか、知り合いの先生に伺ってみるわ。」
どうせ、学校の先生も同級生も僕の事を信じてなんかない。
だったら、とことんやってやれ、
と考えたんだ。
嘘は、いずれ破綻する。時間の問題だ。
どうせ破綻するなら、ハデな方が良いと思った。立ち直れなくなるくらい。
そうすれば、母も父も僕を社長にするなんてバカな考えを捨てざるを得なくなるだろう。
僕の一家は揃いも揃ってみんな大バカだけど、伯父一家は皆賢いししっかりしてるから、会社が潰れて社員が路頭に迷う事もないだろう。
それから、僕の“不正”はどんどんエスカレートしていった。
そして、学校内だけに治まりきれず、いつの間にか世間の知ることとなった。
(〇〇会社の専務の息子は、高校2年生なのに、論文を書くくらい優秀らしい。)
こうなると、もはや後戻りは出来なかった。破滅するまで突き進むしかない。
僕は夏休みを利用して“論文”を仕上げ、名の通った博物館に提出した。
特に何か賞があるわけではない。
そういう“論文”を書き上げて受理されれば、一応“実績”として記録される。
狙いはそれだけだ。
それを利用して何かをするつもりもなかったから、中身をそれほど厳しく吟味することはないだろうと、僕も母も高をくくっていた。
だが、世間は、一応有名高校に通う、次期社長候補かもしれない高校生が、
論文を出したことに注目が集まってしまった。
公の博物館に提出したので、そこのHPに僕の“論文”が載っている。
それを見た一般の人が「おかしいんじゃないか」とネットで騒ぎ始めた。
母は、なんとかして他に気を逸らそうと工作に走ったが、なかなか上手くいかないようだった。
こんな時に頼りになる、お元気だったお祖母さまも、最近はあまり出歩く事が出来ないくらいあちこちが痛んだり不調だし、お祖母さまの人脈だった人たちも、故人となる方が増えてきていた。
次の代の方との繋がりはあっても、
同じようにはいかないようだった。
お祖父さまの認知症は、誰が見ても分かるくらい進んできていた。
お祖母さまという後ろ盾がなくなった時、父や母がどうなるのかは、火を見るよりも明らかだった。
その時は、そう遠くではないようだった。
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