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 陽当たりのいい白んだ窓辺の、花瓶に桔梗を一輪挿す。淡く、柔い朝の光がその清らかさで出窓の木目や色を消し去ってしまっていても、その花の濃紺に近い鮮やかな紫は衰えずに暗色を纏っていた。一週間ほど前に買った花束は日が経つごとにひとつ、ふたつと枯れてしまって、生き残ったのはこの子だけになった。頭を垂れて影を落とす姿はどこかの誰かさんに似ている。そっと、花びらに脈々と伝う筋に触れる。しっとりした質感が指を湿らせ、豊潤な植物の香りが立ち昇る。ぬくもりで温くなっていくそれは、ほんとうに意思を持って生きているみたいに思えた。もっと命を感じたくて、触れる指に力を加える。途端、その一片は、はたり、と光の中に舞い落ちた。 『昨夜未明、東京都新宿区のマンションの駐車場に血を流して倒れている男性がいると通報がありました。男性は八階ベランダから転落したとみられ、搬送先の病院で死亡が確認されました』  ふと、テレビの音声が耳に入ってきて、そちらに目を向ける。画面にはマンションの外観が煽りの構図で映され、切り替わって今度は八階部分を舐めるように移動する。 『警察の調べによると、男性はそのマンションの住人であり、部屋には自殺をほのめかす文書が残されていた模様です』  新宿区のマンション。自殺。断片的に降ってきた言葉が、どくんと鼓動を揺らす。静かに、落ちた花びらを見つめ直す。 『男性はそのマンションの住人である』  青黒く浮かび上がる花脈(かみゃく)の付け根から花びらの先まで、なぞりながらテレビの声に耳を澄ませる。 『フジワラカズヤさん』  画面に目を戻すと、『藤原和哉』という見知らぬ人の名前が表示されていた。繰り返されるマンションの外観の映像をぼんやりと見ながら、なんだ、と思う。彼じゃないのか。
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