ポケットの四季

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「世には様々な商品がありますが、その名称のはじめに『ポケット』という単語を冠しているものは、もともとのベースとなった概念が、前提として持ち運びのできないものであった場合が多いのです」  客間に用意した座布団の上。均整の取れた姿勢でピンと座った葛郡は、まるではじめからその予定であったかのような滑らかさで、商品説明の口上を述べ始めた。携えていた革の鞄の中には、また一回り小さい金属製のケースが入っていて、葛郡はそれを恭しくも慇懃な動作で机の上にそっと置いた。 「例えば……古いものですが、ポケットベルなどがそうです。かつては有線で繋ぎ、家屋に据え置いて使用していた電話を、ポケットにいれて持ち運べるようにする、という発想がそのまま商品の名に反映された訳です。通信手段が普及した現代では当たり前に思えるかもしれませんが、電話をポケットの中に携帯する、という発想は、間違いなく革新的だったと言えます。最近では、ポケットWi-Fiなんてものもありますね。通信エリア……領域を携帯する、という考え方は、実に素晴らしいものです。我が社では、この『イン・ポケット』をスローガンとして商品開発に取り組んでいます。すなわち、本来持ち運ぶことができないはずの概念の『携帯』を目指しているのです」  ケースのフタが、葛郡の手によってゆっくりと開かれる。 「そうして誕生したものがこちらでございます。我が社の看板商品。その名を『pocket season』と申します」  中に入っていたのは、色とりどりの球体(スフィア)であった。  桃色、水色、橙色、銀色。大きさは、ピンポン玉よりも少し大きいくらいだろうか。表面には光沢がある。球体の下半分はウレタンに似た柔らかい素材の土台に包まれていて、挟み込むように固定されていたようだった。 「商品名には、何の捻りもございません。こちらは『季節』をお客様のポケットの中に入れて持ち運ぶことを可能とする、革新的なアイテムでございます」  ケースに並んだ球体を眺めていた私は、ゆっくりと顔を上げて葛郡の顔を見つめた。  その表情に変わりはない。糸のように細い目は緩やかな曲線を描き、口元は微笑を湛えている。冗談を言っているのだろうか。いや、そんな様子はない。  季節を持ち運ぶ?  何かの例えで言っているのだろうか。季節感を演出するアイテム、というような意味の品なら世の中には溢れかえっている。ファッションの小物や、装飾などがそうだ。  しかし、葛郡が提示した品は、そういった類のものではないように見えた。文字通りただの球体でしかない。しかも彼は「商品名には何の捻りもございません」と明言している。であればこの色とりどりの球体は、春夏秋冬の季節を運ぶもの、ということになるのだろうか。  そんな、バカな。  目の前の男が、急に胡散臭く思えてきた。  よくよく考えてみれば、なんとも怪しい話ではないか。出会い頭に香苗の名前を出されたから信用してしまったものの、逆に考えれば、彼が提示した情報はそれだけでしかない。そんな相手をこうして座敷にまで上げてしまうなんて随分と迂闊なことをしたものだと、自分自身にため息が出てしまう。 「信じられない。そんなことができるはずない。そうお考えですか?」  心持ちを察したのか、葛郡がそう問いかけてきた。図星であったため、私は言葉に詰まる。 「諫山様のお気持ち、無理もありません。得てして最新の技術というものは、にわかに信じがたいものです。我々もそれは重々に承知しております。ですから、我が社ではまず商品をご購入いただく前に、お試し版として無料で一つ、こちらの『pocket season』をお客様に一定期間ご利用いただいてから、販売契約の是非を伺う形式をとっております。もちろん、お試しいただいてご納得がいかないようであれば、その際にお申し付けください。以降は我々販売員がしつこく訪問する、というようなことも一切ありません。あくまでも、この商品に価値がある、とご判断いただいた場合にだけ、私共は諫山様のお手伝いをさせていただきたいと考えております。もちろん、香苗様もそうしてご契約を結ばれました」    慇懃な態度を一切崩さぬまま、葛郡は言い淀むことなく、スラスラとそう述べた。  どうにも信じがたい、という感情は依然として私の中に燻っていたが、話を聞く限り、一方的に不当な契約を結ばされる、というようなことも無さそうだった。  この眉唾物の商品が嘘っぱちであれば突き返せばいい、ということだ。  現に葛郡は、契約書らしきものを取り出すような素振りも見せていない。  ただ試しに一定期間使ってみるだけ。  役に立たない物なら、そこで終わりだ。私に損失はない。  でも……。  もし彼の言うように、この球体が持ち運びのできる季節そのものだったとしたら。  その空想が頭をよぎった時、私の胸中は密かに熱を帯びた。端的に言ってしまえば、ワクワクとしたのだ。そんな絵空事が実現するのなら、それはきっと、この退屈な日々に何か新しい歓びをもたらしてくれるに違いない。  香苗も家を出たことだし、どうせこれからは一人暮らしだ。咎める人もいない。ならば、好きにしてやろうではないか。  目の前に並んだ四色の球体は、整然とした佇まいでそこに鎮座している。 そ うして私は、葛郡という名の訪問販売員から『pocket season』を、一つ受け取ることに決めた。
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