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冷たい木枯らしが吹く日、唐突に自宅の呼び鈴が鳴った。
玄関先に立っていたのは見知らぬ男だった。
びたりと撫でつけた黒髪。吊り上がった糸目に、微笑をたたえた薄い唇。
革の鞄を携え、身体をシワひとつないスーツで包んでいることから、少なくとも彼が、地区の回覧板を届けに我が家を訪れたわけではないことが伺えた。
「いつもお世話になっております。株式会社ジャパンポータライズの葛郡と申します。諫山香苗様は御在宅でしょうか?」
薄い笑みを浮かべたまま、男は私にそう尋ねた。
私は「いえ……」と言い淀み、首を横に降った。妹の香苗がこの家に住んでいたのは、二か月ほど前までの事だ。両親が残してくれた数少ない財産である、広くはないけれど庭付きの一戸建ての住宅で、私たち姉妹は長らく二人で暮らしてきた。経済的に考えても、この家に住み続けることが最良であると私は思っていたのだが、妹の方は違ったようだった。
二か月前のある日、突然に荷物をまとめはじめた香苗は、「なんか飽きちゃったんだよね、ここ」などと言って、あっさりと家を出て行ってしまった。年の差二つの姉妹である私達の年齢は、すでに四十台も半ば。このまま最期の時まで二人で、となんとなく考えていた私は、たった一人の妹に置き去りにされてしまったような気持ちになった。
妹が既にここには居ない事実を、葛郡と名乗った男に偽りなく伝える。
「さようでございましたか……」と言って僅かに肩を落とす男に、私はほんの少しだけ同情した。香苗に置いて行かれた、という意味では、私も同様だったからだ。
「妹が、転居のご連絡も差し上げていなかったようで、申し訳ありません。……今日は、どのようなご用件だったんでしょうか?」
私がそう尋ねると、葛郡は困ったように笑みを浮かべた。
「香苗様には、私共の商品を継続してご利用いただいておりました。通常の配送サービスではお送りできない代物なので、こうして直接、販売員の私がお持ちしていたのですが……」
葛郡の視線が、ちらりと下方に向けられる。
手に下げた革の鞄。その中に、彼が香苗に持ってきた「商品」が入っているようだ。
「お渡しできないのであれば、致し方ありませんね」
葛郡は残念そうに肩を落とす。
私の興味は、彼の持つ鞄の中身に寄せられていた。
香苗は、彼から何を買っていたのだろうか。妹が訪問販売を利用していることすら、私は知らなかった。高額な化粧品だろうか。あるいは健康食品だとか。
どうしてだろう。私はそれが気になってしょうがなかった。ずっと近くにいた妹が、突然にこの家を出て行ってしまった直後だったからかもしれない。私の知る香苗は、浪費家ではなかった。私達姉妹はそれぞれが非正規雇用で、収入は十分なものではなかったし、それを分かっていて限りのある金銭を使い込めるほどに楽天的でもなかった。わざわざ顧客の家にまで足を運び、スーツを着た販売員が直接商品を持ってくるような会社の売り物なら、二束三文で買えるようなものではないはずだ。果たして香苗が、私に黙ってそんなものを買い続けるのだろうか。イメージが一致しなかった。妹がそれを継続して利用していたのなら、きっと何らかの理由がある。私はそれを知りたかった。
「あの……もし、よろしければ」
顧客が居ないことが分かり、この場を立ち去ろうとしていた販売員を、私はいつの間にか、自ら呼び止めていた。
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