:傲慢な生き物

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:傲慢な生き物

 俺は死んだ……はずだった。  気がつけば異世界で再構築された肉体に宿っていて、姿も元いた世界のそれとは違い……異世界でならばと、淡い期待など抱いた俺が愚かだったのだろう。  かつて人間として過ごした世界では、生き続けることに意味を見い出せず、変化の無い日常を繰り返していた。  自分で自分の命を絶つことができないから生きていただけ。心を動かすような出来事もなければ、情熱を傾けられるような仕事も趣味も何もなくて……命を繋ぐための栄養摂取でしかない食事と睡眠、色褪せたような世界を無感情のまま生きる日々。  誰かが傷つくようなことなど望んでいない。  ただ、自分自身も含め、人間という生き物が嫌いだった。  群れることで、『普通』という境界を勝手に定め、その枠からはみ出した者を『普通じゃない』『変』だと難癖をつけて数の暴力で排除していく人間が嫌いだ。  誰が定めたのかもわからないその枠の中からはみ出してしまった者を『協調性が無い』『空気が読めない』などと貶める人間は、多数派こそが正義であると勘違いしているのだろう。  多数派から弾かれることを恐れ、人の顔色ばかりをうかがって生き、心を磨り減らして『普通』であろうとすることをバカらしく思ってからは、人間という生き物から距離を置くようになった。  十人十色。  個々それぞれが、見た目も考え方も違っていて当然だというのに……。  『空気を読む』というのは、環境と経験により積み重ね習得した技能。料理や運動、勉強などと同じだ。得意な者もいれば苦手な者もいる。万人にそれを求めるのは理想の押し付けだ。  『協調性』というものを『場の空気を読んで察して動く』ことだと思っているのであれば、それは傲慢な考えだ。  『心を通わせればできる』?  それこそ、傲慢な人間が相手に己の理想を押し付けているだけにすぎない。  『察する』というのもまた、環境と経験により積み重ね習得した技能。相手の表情、仕草、声の揺らぎなどから相手の感情を推測しているのだから。  人間は人間だ。神ではない。  言葉にしない心の声など、わかるわけがない。  人間の言葉を理解していない動物たちと意志疎通しようとするならば、その動物たちの生態や習性を知る必要があるように、相手に伝わる言葉や行動で己の思いを伝えなければならないのだ。  そんなことすらも忘れてしまった傲慢な人間が増えすぎた世界。  誰が築いたのかすらわからない『普通』の基準に縛られ、己の価値観で定めた基準で他者を機械的に評価する色褪せた世界。  傲慢と理想を押し付ける『普通』の枠から弾かれた者に居場所を与えるほど、かつて過ごした世界は優しくはなかったのだ。
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