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第53話 ミルヴェール王国6
◆◆◆
通信機の通信を切るのと同時に、傍にいた猫男がふらふらとその場に崩れ落ちた。床に尻餅をついているのはその猫男だけでない。計十二人の猫男たちが、ユヴァルーシュの周りをぐるりと囲むようにして床に座り込んでいる。
一体どういう状況なのか。単純な話だ。これまで通信機を作動させていたのはこの猫男たちであり、魔力を限界まで消耗したために動けなくなっている。ただそれだけ。
早朝にリュイと通信してしまったユヴァルーシュの魔力は、まだ半分ほどしか回復していない。こうでもしなければ、あんなに長々とリュイと通話ができなかった。
「あ、あのぅ。ユヴァルーシュ様。こ、これでクウェーリス魔爵には、本当に黙っていてもらえるのでしょうか」
こわごわと訊ねるのは、この街の町長だ。
半年ほど前に発見されていたという例の暗殺された死体。明らかに不審な死に方をしているにも関わらず、その報告をクウェーリス魔爵に伝えずに握りつぶしていた主犯である。
というのも、その事件に深入りすれば危険だと直感的に感じたらしく、身の保身から報告を上げなかったのだという。おおやけに露呈すれば、処罰を免れない隠蔽行為だ。
ユヴァルーシュはその弱みにつけこみ、バレされたくなければ、通信機の使用を手伝えと脅し……もとい、頼み込んで、快く了承してもらったわけだ。
「ああ。俺は、約束は守る男だからな。黙っておいてやるよ」
「あ、ありがとうございます……!」
心から安堵した様子を見せる町長を、ユヴァルーシュは冷ややかな目で見やる。この男のせいで、後宮に忍び込んでいた暗殺者の存在を見破るのが遅れた。ネヴァリストニアの国王暗殺計画に気付くのも。
アウグネストが本当に暗殺されてしまっていて、ネヴァリストニアが国王の座について宣戦布告してしまったら――ガーネリア王国は、ミルヴェール王国と全面戦争だ。多くの国民の血が流れ、その命が失われる。
想定される最悪のシナリオ。もっとも、本当にそうなったら、ユヴァルーシュはリュイを連れ、元第一王子としての人脈を駆使して平和な他国へさっさと避難するつもりだが――あのリュイがそれをよしとするわけがない。ガーネリア王国に戻ってしまうに決まっている。
よって、ネヴァリストニアを謀反人として、今この時、確実に仕留めねばならなかった。
しかしリュイのあの様子では、ネヴァリストニアの行方を追うかどうかは怪しい。ならば、ユヴァルーシュが自分で動くしかない。
《――ユヴァルーシュ様。お呼びでしょうか》
猫男の街を出てすぐ、一体のワイバーンが飛んできて、ユヴァルーシュの前に着陸する。リュイに通話をかける前に、とある魔法を使って呼び寄せていたのだ。
「思ったよりも早かったな。ちょっと、頼みがある。人間領のミルヴェールまで俺を運べ」
《え? に、人間領までですか? えっと、ミルヴェール王国の許可は得ているんでしょうか。勝手に領空を犯したら国際問題になりますよ》
「それはお前が勝手に暴走して突っ込んだことにして、罪をかぶればいい。俺は巻き込まれただけの可哀想な魔族Cとして恩赦をもらう」
《ええっ!? ず、ずるいです! 嫌ですよ、自分にはもう夫子がいるんですから!》
拒もうとするワイバーンの額を、ユヴァルーシュは小突いた。
「あの時のことを忘れたのか? アウグネストの魔力に威圧されてパニックになったお前が俺たちを振り落としたせいで、俺は角を一本折って、王位継承権まで失ったこと」
《そ、それはもちろん大変申し訳なく……》
「で、激怒した父上を宥めて処刑される寸前のお前を庇って助けてやったのは誰だ?」
《……ユ、ユヴァルーシュ様です》
おずおずと言うワイバーンに、ユヴァルーシュは続けた。
「分かっているなら、その恩をここで返せ。まさか、族長になるほどの人望厚い男が、恩を仇で返すような不義理をするわけないよな?」
《う、ううっ……わ、分かりましたよ。お運びしますよ!》
涙目で、やけっぱちに了承する哀れなワイバーン。ユヴァルーシュは満足げに頷き、その背中に飛び乗った。
「それでいいんだよ。ま、俺の指示するルートを通れば、領空問題はなんとかなる。――さっさと行け。お前の大切な夫子を守りたいんならな」
◆◆◆
そして時は、核心の時――ミルヴェール王城の晩餐会が開始した時刻まで遡る。
◆◆◆
目の前に前菜が運ばれてきた。
おぉ、おいしそうだ。海鮮類のサーモンを使った料理みたいだ。
俺はアウグネストの隣の席で、テオから叩き込まれたテーブルマナーを守りつつ、前菜を口に運ぶ。うん、おいしい。こういう場で提供される料理って、超高級料理なんだろうなぁ。
――つい先ほど、とうとう始まった晩餐会。俺たちはミルヴェール国王夫妻とテーブルを挟んで向かい合うように座っている。
俺たちが食べる料理は、直前にメルニさんが毒見をして、問題なければそのままメルニさんが料理の皿を運んでくる。だから、あんまり流れはスムーズとは言えない。
というか、平和同盟を結んでいる国との晩餐会でも、毒見をするものなんだな……。ミルヴェール国王夫妻は不快に思わないのか気になったけど、そのミルヴェール国王夫妻にも毒見役がいるんだから、晩餐会ってこういうものなんだと納得するしかない。
うーん、俺はずっと安全な後宮にいたからだろうな。王婿としての責任と重圧を今さらながら強く感じる。俺の振る舞い一つが、ガーネリアに影響を与えているんだと思うと、緊張するのを通り越してもう吐きそうだ。
ちなみに、俺たち以外には、壁側にハノス騎士団長やカリエスさんたちが立ったまま待機している。テオたち残りの旅メンバーは、食堂の外にいる状態。
「我が国の料理はお口に合いますでしょうか」
ミルヴェール国王が朗らかに笑いながら口を開く。俺は反射的に「はい」と答えそうになったけど、慌てて口元を引き結ぶ。国王のアウグネストを差し置いて、王婿の俺があまりしゃしゃり出ちゃいけない。
「もちろんです。また貴国の料理を口にできて、嬉しく思いますよ」
「ははっ、それはよかった」
「ふふ、そうね。エリューゲン殿下はいかがでしょうか」
「とても美味です。素晴らしい食材たちと、優れた料理人たちの腕前が合わさった、至福の一皿だと思います」
テオから教えられた例文そのままを、口にするしかない俺。だって、下手に我を出したら、テオ曰く品のない素の口調が出てきかねない。
ううっ、王婿って大変なんだな……。安易に外交に同伴するなんて言わなきゃよかった。楽しくおいしいものを食べられる食事会としか思っていなかった俺ってバカだ。
ともかく、そうして前菜を食べ終えたあと、少し時間をおいて運ばれてくるのは次の皿。今度はスープだ。
人間のメイドが運んできた皿をメルニさんが受け取って、また毒見をしようとする。
その時、嗅ぎ覚えのあるにおいが風に乗って流れてきた。あれ、このにおいって……俺が調香に使うことのある、――毒草のにおい、だ。
俺は素早く後ろを振り向き、叫んだ。
「メルニさん、口にするな! それ、毒が入ってる!」
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