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第9話 エリューゲンの『香癖』1
食堂で豪勢な昼食を終えたあと。
広間で食後の紅茶を飲んでいると、宮男が大きな箱を抱えて顔を出した。
「エリューゲン様。ご実家からお荷物が届きましたよ」
「本当ですか!」
俺はつい歓喜の声を上げながら、宮男の下へ駆け寄った。ちなみに相手の宮男は、猫人の妖魔だ。小柄で可愛らしい顔立ちの子なんだ。
「ありがとうございます。メルニさん。重かったでしょう」
「いえ。私は玄関から運んできただけですので。後宮の門から運んできたのはハノス騎士団長ですから、お礼はハノス騎士団長に」
謙虚な子だなぁ。テオの奴に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
荷箱を受け取ると、おっ。やっぱり、ずっしりと重い。父上たち、俺が実家を出る時に頼んでおいたものを、ちゃんと全部詰め込んでくれたんだな。よし、よし。
俺はうきうきとしながら、荷箱を腕に抱えて自室へ向かう。廊下を歩いていると、途中、テオと鉢合わせた。
「ん? エリー、なんだい? その荷箱」
「調香具だよ」
調香具っていうのは、文字通り調香するための道具だ。俺って魔力がないから、成人したあとの働き口を考えて、調香師になろうと実はずっと修行していたんだよ。
別におかしな返答をしたわけじゃないだろうに、テオはなぜか頬肉を引き攣らせた。
「こ、後宮でも続けるつもりなのかい。その趣味」
「もちろん。早速これから部屋で調香するけど、お前もくるか?」
一緒に完成した香水を楽しもうと思って誘ったのに、テオは「わ、悪いけど、遠慮しておくよ……」とつれない返事。ちぇっ。
「ええと、これからエリーが調香することをみんなにも知らせておくから。エリーは部屋にこもって作業に打ち込むといいよ。あ、あはは」
もっともらしい言い訳をして、テオはそそくさとその場を離れていく。まるで俺から逃げるように。なんなんだ、いつもはひっついてくるくせに。
いや、それよりも。早く自室に戻って調香作業をしよう。
久しぶりだから、楽しみだ。
◆◆◆
「陛下、いかがされました」
アウグネストが後宮に入ってすぐ、リュイが声をかけてきた。
アウグネストの苛烈な魔力は、離れていても察知しやすい。後宮に向かっていることに気付いて出向いてきたんだろう。
「リュイか。昼休みに入ったから、エリューゲンを見舞おうと思ってな」
昨夜……というか、日付が変わった後もだが。初夜にも関わらず、激しく求めてしまったせいで、エリューゲンは気絶してしまった。昼過ぎの今なら目を覚ましているだろうから、体調は大丈夫かと紫晶宮に顔を出しに行くところなのだ。
リュイは目を瞬かせた。
「エリューゲン殿下が体調を崩されたというお話は聞いておりませんが……確かにそのようにされた方が心象はよろしいでしょうね。そういうことでしたら」
リュイは広大な庭から、野花をいくつか摘む。手早く小さな花束を作り、アウグネストに差し出した。
「こちら、どうぞ。お見舞いには花束がベターです。それにエルフは自然の香りを好む傾向にあります。ハーフエルフであらせられるエリューゲン殿下も、お喜びになるでしょう」
さすが、筆頭男官を任せている男は、気配りが細やかだ。
アウグネストは素直に感心しつつ、「ありがとう」と花束を受け取った。
「助かる。……だが、リュイ。あまり勝手な真似はするなよ。俺のことを思ってくれているがゆえの行動だとは分かるが」
「……はい。その節は大変申し訳ございませんでした」
「分かればいい。ではな」
リュイと別れ、アウグネストは紫晶宮へと向かう。王城に一番近い碧晶宮を通り過ぎ、その隣にある宮殿が紫晶宮になる。
アウグネストが地方視察に出かける数ヶ月前までは、確かに古びた廃宮だったのに……今ではすっかり小綺麗で優美な宮殿だ。エリューゲンたちが自らの手で建て直したと聞いた時は、内心仰天したものだ。
あの廃宮を前に実家に帰らなかったどころか、侮辱された悔しさをバネに建て直してしまうのだから、反骨心が強いというか、逞しいというか。
とはいえ、本当に初夜から体調は大丈夫だろうか。この花束も気に入ってもらえたらいいが。
つらつらと考えつつ、紫晶宮に顔を出した時だ。奥の部屋から漂ってくるにおいに、アウグネストははっとした。
(焦げ臭い……火か!?)
まさか、火事が起こったのでは。
アウグネストを出迎えたテオドールフラムを、慌てて見下ろす。
「エリューゲンは!?」
「自室にこもっておりますが……え! へ、陛下!?」
話を最後まで聞くことなく、アウグネストは急いでエリューゲンの自室に走る。すると、焼け焦げるようなにおいがどんどん強くなっていく。
「お、お待ち下さいっ。ご心配されずとも、これは……」
「心配しないわけがないだろう!」
もし、火事の発生源がエリューゲンの自室で、エリューゲンが火に囲まれて逃げられずにいたとしたら。とんでもない事態だ。一刻も早く救い出さなくては。
「エリューゲン!」
バァン! と勢いよく扉を押し開く。
目の前にあった光景は――。
◆◆◆
俺の名を呼ぶ大声が響いたかと思うと、自室の扉が勢いよく開かれた。
……ん? なんだ?
調香を終えたところの俺は、怪訝に思いながら戸口を振り返る。そこにいるのは、なぜか焦った顔をしたアウグネスト陛下だ。
その後ろには、テオの姿もある。テオは顔半分を手で覆っていて、その表情は「あちゃ~」と言ったところだ。なんなんだ?
「どうしました、アウグネスト陛下」
「どうした、って……ええと、火事が起こったのでは」
言いながら、アウグネスト陛下は室内をぐるりと見回す。が、もちろん火の手なんて上がっていないぞ。俺は火の扱いには細心の注意を払っているんだ。
なんで火事が起こったなんて思っているんだ、アウグネスト陛下は。
「火事、じゃない……? だが、ならばこのにおいは一体……」
困惑した顔でひとりごちるアウグネスト陛下に、後ろにいるテオが口を挟む。
「恐れながら、陛下。火事が起こったわけではありません。このにおいは、――エリューゲン殿下が調香した香水です」
「へ……?」
ぽかんとした顔をするアウグネスト陛下。テオはさらに続ける。
「エリューゲン殿下には、性癖ならぬ『香癖』がありまして。香り全般好きなのですが、特にしゅうき……いえ、刺激のあるにおいを好んで調香するのです。このにおいはその一つです」
申し訳ございません、とテオはなぜかアウグネスト陛下に詫びていた。
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