奇病

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奇病

 「真人(まひと)、おりものシートいつもの所に追加しておいたからね。」 姉、ひかりの呼びかけに、俺は一人暮らしのキッチンから顔を覗かせた。 「いつも悪いな。天然綿100パーにしてくれた?」 姉ちゃんはクスクス笑いながら、洗面所からこっちにやって来た。 「もちのロンよ。あんた肌弱いからね。私が普段使ってるのより高級なのにしておいたからね!」  そう言ってワンフロアのラグの上に座った姉ちゃんは、スマホを手に何か検索している。俺は二人分のマグカップを手にすると、テーブルへ運んだ。定期的に来てくれる姉ひかりのお陰で、俺の生活は成り立ってると言ってもおかしくない。 流石に自分用におりものシートをドラッグストアで買うのは抵抗がある。 「体調はどう?…あんた、オメガ症候群になってから、随分とお肌綺麗になったわね。毛穴が小さくなったのかな。お化粧しても映えそうだけど、そう言う趣味はないんだっけ?」 姉ちゃんにまじまじと見つめられて、俺は苦笑してお持たせのケーキを口に放り込んだ。  「ねーし。あのさ、俺別に姉ちゃんの得意分野に転がり込んでる訳じゃないからね?BLとか言うやつ。姉ちゃんが腐女子だったお陰で、俺がこんな病気になっても理解があるのは助かったけどさぁ。」 姉ちゃんもケーキを美味しそうに口に運びながら、ニタリと笑いを堪えた。 「ごめん。でもさ、普通の男子としてはちょっと不都合な事がある訳じゃん?ついね。でも実際あんた彼女作った事ないでしょ?だから恋愛対象がどこ向いてるのかなって思ってさ。 わかったって!もう詮索しないから。まぁ私としては可愛い弟にかっこいい彼氏がいたら最高だなって、腐女子の夢を語ってるだけなんだよ。まぁ聞き流してよ。ふふふ。」  相変わらず自分の願望に真っ直ぐな姉ちゃんを呆れ顔で見つめながら、俺は自分のこの身体を恨めしく思った。存外姉ちゃんの言う事は的を射ていると言ってもおかしくない。 姉ちゃんに言われなくても、俺は昔の自分とはだいぶ違ってしまった事を実感していたんだ。  俺がこの変な奇病に罹ってから丁度一年が経っていた。ある日肛門から何かベタつく液体が出た時はどんなに驚いた事か。血が出たのかと思って、慌てて確認したけれど透明な粘液の様なものだったと分かった時はホッとした。 けれどもその頻度が増して、更には量が増えて下着を汚して生活に支障が出る様になってから、俺は青ざめた顔で姉ちゃんに相談して病院へ駆け込む事になったんだ。  いろいろな検査の結果、俺は腸壁からの過度な分泌があると説明を受けた。それと同時にホルモン値がおかしな事になって、女性ホルモンが同世代男性の平均の二倍に増えている事も判明した。 かと言ってCTを撮ったところで、懸念された隠された未熟な女性的器官か何かが存在するという事もなく、三人の医者が顔を揃えて俺に言った言葉に俺は呆然としてしまった。  「色々検査をしましたが、私どもは及川さんの症状は最近学会に報告され始めた、カイロルック症候群ではないかと診断しました。これは通称オメガ症候群と呼ばれるものです。聞いた事はありますか?」 俺は自分でもショックで手の震えを感じながら呟いた。 「…あれって、都市伝説ですよね?」  するとドクターの一人が重々しく首を振って、現実逃避したい俺を同情的な眼差しで見つめると言った。 「実は10年以上前から、ごく僅かですがこの症例は報告されていたんです。特に腸壁からの分泌液は生活に支障が出ますからね。病院に駆け込むことで明らかになって来たんです。 最近ではオメガ症候群の方が理解されやすいという事で、医療者の方でもそう説明する事が多くなりました。及川さんの場合は若いこともあって分泌量が多いのでしょう。 勿論、体調や状況で粘液が出たり出なかったりと言うのは女性器官と同じです。」  「先生、真人のこの症状は治りますか?」 さっきから黙って聞いていた姉ちゃんは冷静な表情でドクターに尋ねた。一番年嵩のドクターが僕を安心させる様に優しい声で言った。 「…それは何とも言えません。ここ10年ほど明らかになって来た新しい症例と言うこともありますし、症状のある方が完治したと言う話は…、残念ながらありません。 けれども分泌があるからと言って健康を損ねる訳ではありませんし、粘液が出る時は排便の機能が低下するので、臭いなども生じません。それが幸いと言えばそうでしょうね。」  …確かに。臭い汁が出ないだけマシだと思えば、今している様に念の為にパットを当てておけば良いのだからな。痔主とやってる事は同じだと、検査している時に若いドクターは慰めてくれたっけ。 「…これから他の症状も出てくるかもしれません。もし生活に支障が出るようでしたら、その都度ご相談ください。」 そう言われたものの、これから起きるだろう他の症状の情報を受け止める余裕の無かった俺は、この場を離れたいと慌てて頭を下げて廊下へ出てしまった。しばらく経ってから診察室から遅れて出て来た姉ちゃんが、病院廊下の待ち合い椅子に座り込んでいる俺のところへやって来て言った。  「お姉ちゃんに任せなさい!生きるか死ぬかとかじゃ無かったから、安心したわ。まぁ、当事者の真人は深刻だろうけど、直ぐに慣れると思うし。人間の適応力舐めんなって。ね?」 俺は都市伝説並みの奇病に罹って、もう終わりだと深刻になってる顔をあげて、にこやかな表情の姉ちゃんを見上げた。 「姉ちゃん…。ありがと。でも、父さんと母さんには内緒にしたい。こんなの知ったら心臓止まるよ。」 姉は首を傾げながら、肩をすくめて言った。 「そう?うちの親全然平気な気がするけどね。まぁ、あんたもまだ心の整理つかないだろうし、これからどうするか相談しよっか?今日は凹んだあんたにご馳走してあげるから、元気出せ?」    一年前の1月に病院でこんな話をしたのをぼんやり思い出していた。姉ちゃんから聞いた様に、オメガ症候群の他の症状がじわじわと俺にも出て来ていた。 姉ちゃんは俺が話すまで聞いてこないけれど、いつでも相談できる様になのか、定期的にこうして一人暮らしの俺の所へ顔を見にやってくる。 そんな姉ちゃんに俺は相変わらず、ぶっきらぼうにしか感謝を伝えられないんだ。でもこの人あんまり人の話聞く方じゃないけどな。  姉ちゃんが帰ってから、俺はドサリとベッドに転がってスマホを眺めた。いつもの様に親友の翔太からメッセージが届いていた。大学のサークルで出会った翔太は、都会っ子という表現がぴったりくる様な優しげな男だ。 けれども高校時代はアメフト部だったと言うだけあって、身が厚い。平凡な地方出身の俺にしてみれば、アメフト部ってだけで何だか敷居が高いってものだ。俺なんて良くある水泳部だったし。  粗雑な俺の何が気に入ったのか、気がつけば俺を親友だと公言して(はばか)らなかった。普通にイケメンだし、振る舞いもスマートなのでめちゃくちゃモテる翔太は、なぜか彼女を作らないので、サークルの女子たちがまるでアイドルの様に推し活を始める有様だった。 「翔太君に彼女居たらショックだけど、真人にべったりだから、もうそのままでお願いって感じなのよね。真人、そのまま翔太君の彼女作り阻止してね!?」 飲み会でそんな事を言われて苦笑いの俺の側にやって来た翔太が、俺に向かって顔を顰めて言った。  「飲み過ぎ禁止。お前一定量超えると腰砕けになるだろ?あー、そろそろ俺たち帰るわ。ほら、真人送ってってやるから立って。」 俺は言い出したら案外聞かない翔太に従って渋々立ち上がると、ぶつぶつとぼやいた。 「…俺に過保護にしてどうすんの。俺立派な成人男性よ?優しくする相手間違ってるわー。」 俺のボヤキは、サークル女子たちの送ってってあげて~と言う黄色い声に押し流されてしまった。下手に翔太が女子の誰かと絡むよりマシと言う事なんだろう。  店の外に出ると、少し足元がふらついて、自分でも自覚が無いくらい酔っている事に気づいた。 「な?結構来てるだろ?」 そう言いながら、俺の肩を支えた翔太が覗き込んで微笑んだ。まったく、イケメンって狡いな。俺は男だけど、ちょっとドキッとするじゃん。 結局俺のアパートまで送ってもらってしまった。俺のバックを漁って勝手に鍵を開ける翔太に、俺はそう言えばウチに来たのは久しぶりだと気づいた。 「お前、ウチに来たの、…いつ以来?」  「…あーそう言えばひと月来てないね。まぁ年末年始あったし。お前帰省してたろ?」 俺を玄関に座らせた翔太が、そう言いながら手際良く靴を脱がせてくれる。親友と言えども、そんなに至れり尽くせりで、俺は思わずニンマリして言った。 「王子様、ありがとう♡」 一瞬手を止めた翔太が、俯きながら俺に尋ねた。 「なぁ、真人って最近何かあれだよな。」 あれ…、あれとは何ぞ。俺はケラケラ笑ってひざまづいていた翔太を覗き込んだ。  「アレって?なぁに?」 するとため息をついた翔太は、何でもないと立ち上がって俺に手を伸ばした。 「まったく。酔っ払いじゃ真面目な話は無理だからな。ほら、シャワー浴びて寝ろ。」 俺は酔った頭で、それでも翔太がこの部屋にいる事で都合が悪い事が色々ある事をぼんやり思い出していた。だから回らない口をせっせと動かして言ったんだ。  「…うん、そうするから、もう帰って良いよ。悪かったな。」 でも俺の予想に反して翔太は顔を顰めた。 「お前が無事にベッドに飛び込むまで見届ける。お前のためじゃなくて、俺の心の平安のためだ。」 そこまで言い切られたらしょうがない。俺はヨロヨロとバスルームへと移動した。一人暮らしのワンルームは脱衣所がある訳じゃない。だから俺はいつも風呂場の側で脱いでから風呂に入る。  でも今日は翔太が居る。マズイ。俺が脱いだら下着におりものシートがくっついている事に気づかれてしまうんじゃないか?しかも俺は今分泌が多い時期なんだ。 オメガ症候群に罹患してから半年で俺は分泌の周期が巡ってくる様になっていた。それはなぜか性欲と一致していて、分泌の多い時期はムラムラも凄い。 姉ちゃんに借りたBLを参考にすると、それはちょっとした発情期に思える。あんな酷い感じじゃないけど。でもあっちはファンタジー、こっちは現実だ。軽度であろうと深刻さはこっちが上だ。  しかもムラムラの時は、疼く後ろを刺激する様になっていたのだから笑えない。流石にこれは姉ちゃんにも言えやしない。だからいつも風呂に入った時、簡単に弄ってスッキリさせるのが、この時期の習慣になっていた。 でも今日は無理だな…。俺は下着に貼り付いたシートが見られない様に、翔太の視界から外れる様にコソコソと全裸になると、風呂場に入った。けれどもやっぱり酔っ払っていたせいか、シャワーに打たれてシャンプーを済ますと俺はすっかり翔太が部屋に居る事など忘れてしまった。 だからいつもの様にすっかり綺麗になった身体で、ぬるみつく分泌液をグチグチ言わせながら、ため息混じりに指を押し込んでいた。  ガタッと何かの物音で我に返った俺は、一気に酔いが覚めた。翔太が居るのに、俺一体なんて事を…。 曇りガラスの向こうに明らかに奴が居る。俺は動揺していたものの、慌ててシャワーを出して身体を流すと風呂場から出た。扉を開けると、スッとバスタオルを渡されて、翔太はサッとベッドの方へ歩いて行ってしまった。 やばい。俺が何をしていたのか気づかれてしまっただろうか。俺はどう言い訳をしようかと、腰にタオルだけ巻くと翔太の方を向いた。 翔太は俺の目をじっと見つめて、口を開いた。 「真人って、やっぱり最近変じゃない?さっきも、もしかして…。」 俺、ピンチ。親友に見捨てられそう!  
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