零れる花弁にハンカチを添えて

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「ごめんごめん、待った?」  梅の木の下で、アルバムを開いて座り込んでいた時、待ちわびた声が降り掛かった。  顔を上げると、私を見下ろすようにして、穂奈美は立っていた。笑っているんだと思うけど、高い日のせいで陰って見えない。 「パンツ見えそう」 「はは、そっか」  少し短くしたスカートが、その足を長く見せている。  穂奈美は素早く、けれどもその所作は美しく、私の隣に腰かけた。 「いやあ、ほんと……あっという間だったね」  生徒やその親や、先生たちでごった返す体育館を眺め、穂奈美は呟く。 「あの体育館でやった劇も、結局一つだけだったね」 「あー、ロミジュリ? 懐かしー! 2年の時だっけ?」 「そうそう、ほら、これ」  私は、開いていたページを掲げた。その拍子に、いつのまにかページに乗っていた梅の花弁が、ぽろぽろと落ちる。 「うわっ! こんなのよく見つけたね!」  ページの端にひっそり載せられた、小さな写真。そこには、ロミオに扮した穂奈美と、ジュリエットに扮した私が、並んで映っている。  文化祭で、二人きりで立った舞台。不人気な演劇部には他に部員がいなくて、観ている全校生徒もなんだかぽかんとしていた。 「演劇部と言えばロミジュリ! って思ってあれにしたけど、かえって観てる人混乱してたよね」 「そりゃそうだよ、演劇になんか興味ない人が観てるんだからさ」 「そうだけどさー、楽しんでもらいたかったなーって。それに、鈴香と、もっと演劇したかったな」 「……私も」  一瞬どきっとしたせいで、相槌を打つのが遅れた。そしてその小さな返事は、次の穂奈美の言葉に掻き消された。 「あ、愛斗」  穂奈美の視線の方を振り返ると、ちょうど梅の木を挟んだ私たちの背後に、クラスメイトの愛斗が立っていた。そして、彼と向かい合うようにして立っているのは、同じくクラスメイトの美尋だ。 「あれ、やるんだよ、きっと」  穂奈美は小声で言っていたけど、興奮を押さえ切れていないようだった。  案の定、愛斗は美尋に、付き合って欲しいと、少々大袈裟に手を伸ばした。美尋は戸惑いながらもその手を取り、目に涙を浮かべたまま、大きく頷いた。次の瞬間、愛斗の喜びの咆哮が響き渡った。 「あー、良かったぁ」  同時に、その一部始終を見届けた穂奈美が、溜息に混じらせそう言った。 「何よ、良かったって? 穂奈美、知ってたの?」 「何が?」 「愛斗が美尋のこと……」 「全然知らないよ?」 「え?」 「ふふ……」と、悪巧みをする子供のように微笑んだ穂奈美。 「じゃー、鈴香にだけ教えちゃう」  と、その細い人差し指を、愛斗の方へ向けた。 「あれさ、」  愛斗の手には、水色のハンカチが握られている。 「恋愛成就の伝説、私が考えたやつなんだ」  穂奈美の悪戯っぽい表情は、いつもと変わらなかった。 「よくあるじゃん? 桜の木の下で告白すると~、みたいなやつ。うちの学校にもそういうのないかなあ、って思ってて。だから、私が勝手に作って流しちゃったの」  梅の花が咲く頃、その木の傍で告白すると、その恋は叶う。けれどそのためにはもう一つ、達成しなければならないことがある。 「ちょーっと難しそうな条件があると、噂もそれっぽくなるでしょ?」  告白の際には、必ず水色のハンカチを持って行かなければならない。そしてそのハンカチは、告白する予定の日からちょうど一年前に用意し、当日まで毎日欠かさず持ち歩くこと。 「……すご、全部、穂奈美が考えたんだ」 「まさかここまで浸透するとはねえ」 「梅の木にしたのは、どうして?」 「それはねえ、ちょうど卒業式の日が、告白祭りになると思ったから!」  ……なんだ。 「すっかり、騙されたよ!」  私は穂奈美に、力いっぱいの笑顔を見せた。  穂奈美もまた、いつもと変わらない、無垢な笑顔で応えてくれた。  スカートのポケットを握る指が、痛くて堪らなかった。 ――了。
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