当たり前だと思っていた

1/1
前へ
/1ページ
次へ

当たり前だと思っていた

 周藤 紫苑(すどう しおん)は14歳。  生意気盛りの中学二年生だ。  紫苑の父親は紫苑が6歳の時に交通事故で亡くなってしまっった。  紫苑は父が亡くなってから、交通遺児の募金に度々街頭で立つことになる。 『でも、お母さんは仕事しているのに。いつもご飯だってきちんと食べているのに。着る物だって、自分の好きなもの買ってもらっているのに。』  紫苑は、街頭に立って、募金を貰う事にとても抵抗を感じていた。  他人から恵んでもらう事が嫌だった。  恥ずかしくさえ感じた。  6歳から街頭募金に立っていた紫苑はその容姿から他の子供達より沢山の募金を入れてもらう事が多かった。  母がスコットランドと日本のハーフで紫苑はスコットランドの容姿が多く出ていた。  金色に透けるような茶色がかったクルクルとウェーブのかかった髪。  名前の由来にもなった、光の加減では紫に見えるすみれ色の瞳。  白い肌。  そして、6歳と言う小さい年齢。  もちろん、募金箱のお金は全てが育英会に行くので、紫苑がもらう訳ではない。しかし、一緒に立っている交通遺児たちは面白くなかった。  自分が役に立たないような気分にもなるのだろう。  募金が終って解散するまでの少しの時間や、立っている間に人目がない時間など、ガイジン、と言われたり、オトコオンナと言われたり、こっそり足を踏まれたり、小突かれたり。  色々な小さな意地悪を受けるので、街頭募金には立ちたくないと母親に言っても、母親は 「あのね、紫苑がたくさんお金をもらえるのは、良いことよ。皆の役に立てるの。もちろん、紫苑だって、そのおかげを受けているのよ。」  そういって、取り合ってくれなかった。  紫苑が大きくなって行ってもその容姿はどんどん美しくなるばかりで、周囲の妬みは変わらなかった。  ただ、紫苑は小学校の3年生から空手を習い始めたので、小突かれたら同じように小突き返した。そして、その拳や、肘打ちは、最初に小突いたこのものよりもはるかに強く、痛かったのだ。  紫苑はだんだんいじめられなくなった。  そして、14歳になった今、母親が体調を崩し、これまですべてを母親に頼り切っていた紫苑はとても困っていた。    母は入院しているので、紫苑は本来なら一時的でも施設に入る手続きをしなければいけなかったのだが、そんな時間もなく母が入院してしまったので、しばらく一人で過ごすことになってしまった。  冬の事だ。母が入院して3週間ほどは、何とか自力で過していたが、ある日、突然電気が止まってしまった。  母は入院前に一時期電気代を払えなくなっていて、入院中に支払期限と、電気を止めるまでの期間が過ぎてしまい、電気を止められたのだ。  冬の中、ストーブは留守番の多い紫苑を心配して昔から周藤家では使っていなかった。エアコンがつかなくなり、紫苑は寒さに震えた。  ガスは来ていたので、お湯を沸かして、カップ麺やインスタント味噌汁で体を温めた。  学校で教員に相談すればよかったのだろうが、負けず嫌いの紫苑にはそれもできなかった。  やがて、ガス代も払っていないのでガスも止まってしまった。  母の入院費は、育英会の人が手続きをして支払ってくれていたし、家賃も元々育英会で補助が出ていたので、滞るようなことはなかった。一時貸し出しをしてもらっていたのだ。  だが、光熱費の事までは育英会でも気が回らなかったのだろう。  食べ物でも、暖をとれなくなった紫苑は芯から震えた。  着る物をいくら厚くしても芯から冷えてしまった紫苑の身体は暖まらなかった。  歯ががちがちとぶつかるほどの震えは、身体が最後に自ら熱を出そうとする抵抗のようなものだ。  紫苑は学校にも行かれなくなり、身体が限界を迎えそうになっていた。  学校では、欠席している紫苑を心配して、母親に電話がかかってきていた。  母親は病院でその電話を受け、家を見に行ってほしいと先生に頼んだ。  紫苑は低体温症で家の中で倒れていた。    当たり前だと思われていた生活は、全てが母親の努力によるものだったのだと思いながら気を失いかけていた。  学校から育英会にも連絡が行き、地域の包括支援の人たちが一番早く動けるとのことで、大急ぎ周藤家に向かった。  鍵は大家さんにあらかじめ電話を架けて、アパートの玄関に来ていてもらったので、すぐに家に入れた。  冷え切った部屋の真ん中に紫苑が家にあるすべての布団をかけて倒れていた。  紫苑は救急搬送され、暖かい点滴で体温をあげ、脱水症状も起していたのでその治療もしてもらった。若い紫苑はそれですぐに元気になった。  学校の担任に、母親が入院してからの事を話し、電気やガスが止まってしまったことをボソボソと話した。 「周藤君。そう言う事は早く言いなさい。生活にかかわることは命にもかかわるんだよ。何も恥かしいことではない。君はまだ子供だし、お母さんが入院してしまったら大人の手助けが必要なのは当たり前なんだ。」  担任の先生にそう言われ、これまで育英会の資金と言うのは高校への進学など、進学のためにしか使われていないと思っていたと、自分の考えも話した。 「育英会資金は、色々なことに使われているのよ。紫苑君はいつもたくさんの募金を集めてくれたわ。皆の役にも立っているし、紫苑君の家の家賃の補助なんかにも使われているのよ。今回は光熱費の事まで気づかなくてごめんなさいね。あと、紫苑君は施設に行っていると思っていたから確認不足で寒い思いをさせてしまったわ。本当にごめんなさい。」  いつも、一緒に募金活動に来てくれていた育英会の人が教えてくれた。 『いつも人の為だと思って立っていた募金活動。俺の為にも使ってもらっていたのか。』  紫苑は急に恥ずかしくなって、これまでの反抗的だった態度を反省した。   「あのね、交通遺児の育英会って日本ではずいぶん昔からあるのよ。交通事故って誰にでもおこるし、いつ起こるかもわからない。病気とは違って、突然一家の大黒柱がなくなった時、誰でも残ってしまったその人達を助けたいと思うでしょう?」  紫苑は、自分がその立場でありながらそんな風に人の為になんて考えたことがなかったからその言葉に心が震えた。  大勢の募金をしてくれた人たちの顔を紫苑は覚えてはいないが、今、心から感謝の念が湧いてきた。  元気になった紫苑は、母親が退院するまでは施設に預けられることになった。  そして、次の交通遺児の街頭募金の日がやってきた。  そこには誰よりも大きな声で募金を募る紫苑のキラキラした姿をみる事が出来た。 【了】  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加