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狂想1-⑴
「うん、こいつは美味い。さすがは国彦さんだ」
からりと揚げられたピロシキの中から出てきたのは、香辛料で味付けをしたひき肉だった。
「はい。ひき肉に今、洋食の世界で広まり始めている加里の味付けをほどこして見ました」
末広町の洋食店『五灯軒』でパンを焼いたり厨房で調理をしたりしている職人、香田国彦は顔を嬉しそうにほころばせた。生真面目ですこぶる腕のいい職人だ。
「ああ、やっぱり。実は少し前に、ある食堂で加里味のうどんを食したところなんだ」
『匣館新聞』の記者、飛田流介は鼻に抜ける香辛料の匂いを楽しみながら、国彦の生みだす食べ物のハイカラさに唸った。
「実はもう一つ、食べて見て欲しいものがあるんです」
国彦は真面目な顔のまま言うと、「少々、お待ちください」と言い置いて厨房に下がった。
「少しばかり話をしたくて立ち寄っただけなのに、これはまたもてなしが過ぎるなあ」
流介はピロシキの残りを口に放り込むと、すっかり見慣れてしまった『五灯軒』の店内を見回した。
国彦は数か月前、その器用さに目をつけたある人々に囚われ危険な企みの片棒をかつがされかけたことがあった。
流介はこの街で「船頭探偵」と呼ばれている青年、水守天馬と共に国彦を外国人を含む怪しい者たちから助けだしたことがあったのだ。
――おっ、いい匂いがしてきたぞ。やはり国彦さんの腕は一流だな。
流介は取材の仕事中そっちのけで、国彦の作る新しい食べ物に心躍らせていた。
※
しばしの後、国彦が皿に乗せて運んできたのは丸く切ったパンでひき肉を上下から挟んだ見慣れぬ食べ物だった。
「何です?これは」
「『ハンブルク・サンド』という物です。独逸で船乗りたちに売られていたひき肉料理が亜米利加に渡り、このような形になったようです。それを同僚の名栗千都さんが聞きこんで自分なりの工夫を凝らしたのです」
「ううむ、なんと香ばしい。肉の汁がパンに移って滋養のある味わいに変わる。朝食べても昼食べてもよさそうだ」
「名栗さんはこれを、職人が片手でできる食事になるよう工夫していたようです。そして安く売ることを考えているとも言っていました」
「なるほど……やあ、トマトのソースがまた甘くて食欲をそそるなあ」
流介はあっという間にパンとひき肉の『ハンブルク・サンド』を食べ終えると、国彦の目線が自分から逸れた一瞬を衝いて指に就いたソースを舐めとった。
「うん、腹持ちもいい。大満足だよ」
「ありがとうございます。名栗さんは常々もっとおいしくなるはずだと言っていて、私も彼がこしらえる新たな『ハンブルク・サンド』の仕上がりに期待を寄せていたのですが……」
「何か問題でも起きたんですか?」
「三日前から店に現れず、奥さんと暮らしている家にも戻っていないのです」
「なんと……まるで「卵」騒ぎの時のようですね」
「ええ……あの時のような大事にならければよいと、気をもんでいるのですが」
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