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1-3
カタカタ……。
ほんのり湯気が立っているマグカップを持った。俺は右手で、左利きの早瀬は左手で。その薬指には、真新しい絆創膏が貼り付けてある。俺の左手の薬指にも同じく付けてある。2日前のプロポーズ後の指輪交換では、これを指輪がわりに使った。
今日はこれからジュエリーショップへ行き、早瀬がオーダー済みの指輪の試着にいく。刻印を掘ってもらいたいから、実際に受け取るのは、もっと先だろう。それまでは絆創膏を貼り付ける。
「悠人君。貼り換えてないじゃないか。水で湿って気持ち悪いだろう」
「面倒くさいもん。また手を洗うし……」
「貼ってあげるから取っておいで」
「えーー、面倒くさいんだけど……」
どうしよう?心にもないことを口にした。あくまでもクールな男でいたい自分としては、嬉しくてもデレデレできない。しぶしぶというふりをして、棚から絆創膏の箱を持ってきた。それを差し出すと、強引に手を引かれて座らされた。
「もうっ、いきなり……」
「嫌がっているからだ。素直じゃない君も好きだよ」
「もうっ、軽口を叩くなよ。男は寡黙でシブいのがカッコいい」
「んん?黙っていようか?」
早瀬が無言になり、さっさと薬指に絆創膏を貼り付けた。スッと立ち上がって元の場所に片づけた後、無言のままでソファーに腰かけた。さらに珈琲を飲みながら、テレビ画面を見つめている。
「……」
「……」
静かでいいと思う。珈琲を飲みながらテレビを観ていると、この辺りのスポットが流れ始めた。レポーターが歩いているのは、マンションの近くの遊歩道だ。
「……都内にある羽柴アイランドに来ています。四方を水に囲まれた人口の島状の……遊歩道にはイルミネーションが設置されています。その作業の様子をご紹介します……」
「もうクリスマスだもんねー。見に行きたい」
「……」
「この辺り、人気スポットなんだって!都内の……」
「……」
どうしよう?喧嘩をしていないのに、気まずくなった。怒っているから無言になっているのではない。寡黙な男がいいと言ったからだ。普通に会話をしてもらいたい。全部黙っていろとは言っていないのに。
何か話してほしいから、テレビを見ながら独り言をつぶやいた。この店、行ったことがあるね、こっちはないね。3度口にしても、相槌ひとつ打ってもらえない。焦れる思いと不安がよぎり、何でもいいから口にしてほしくなった。
意地っ張りな性格が災いしている。せめてものメッセージを送った。何度も早瀬に振り向くという方法だ。
「うーん、肩が凝ったなあ」
「……」
「あつつつ、珈琲が熱かったなあ」
「……」
「お代わりしようかな?裕理さんも飲むなら……。そっか、寡黙になってるから返事が出来ないんだね?」
「ゆうとくーん」
「な、なあに!?」
どうしよう?なあに?だなんて、女の子みたいな返事だ。焦っていることが、もろバレだ。平然を装ってテレビを見るふりをした。
「ゆうとくーん。寒い季節は出てこない虫だけど、例外はあるもんだね」
「え?」
「テレビ台の下あたりだよ。黒い……」
「げえええっ」
それは、”キッチンの黒いヤツ”というものだろう。お互いに綺麗好きだから、ここでは一度も目撃していない。しかしどこでもいるヤツだから、例外はないだろう。
「あ、そこに黒いヤツが……」
「げえええっ」
「そこにも……」
「ひいいいっ」
「そこに黒い……」
「裕理さんーー、助けてよーーっ」
クールな男としてはそぐわない反応だ。しかし、背に腹は代えられないため、早瀬の身体に抱きついて助けを求めた。肩に顔を埋めて見ないようにした。
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