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39.カリン、あなた時を戻しているでしょ。
カリンの強い神聖力で、体の隅々まで癒されるのを感じた。
クッキーを頬張ると甘みが口内をひろがるのを感じる。
私は自分の味覚が戻って来たことに涙をした。
ルイス皇太子からの手紙には驚くような提案が書かれていた。
明らかにカリンの為だけを想って、彼女の存在を守るためにされた提案。
恋とは時に彼のような理想の君主も惑わすものなのだろうか。
もしかしたら、私には想像もつかない裏の意図があるのかもしれない。
それでも、何もかも願えば手に入るルイス・パレーシアがカリンを手放し、帝国に不利な提案をしているのが不思議でならない。
(どうやってベリオット皇帝を納得させたの? 本当に底の見えない男⋯⋯)
「アリアお姉様、モンスラダ卿と結ばれるのですね。お姉様が愛する人と結ばれるところに立ち会える日が来るなんて⋯⋯今日のお姉様は本当に天女のように美しいです」
カリンは私の隣にいるケントリンを見て涙を堪えている。
私は彼女のような恋愛脳ではない。
むしろ、恋や愛という感情を持たないから、惑わされずシャリレーン王国の未来を考えられると感謝している。
ケントリンと結婚すると伝えたら、多くの反発があった。
彼の父親であるモンスラダ侯爵は自慢の次男坊を私に薦めてきた。
私はあらゆる縁談を突っぱねたように、それを突っぱねだ。
私が信頼して隣に置けるのはケントリンだけだ。
それは私にとって何よりも大切なことだ。
彼の足りない部分など全て自分が持っていて、心から信頼できる人間は彼しかいない。私には彼しか選択肢がない。
「今日は、戴冠式と共に、結婚式もするのよ。カリン⋯⋯私は国民にあなたについて明かすつもりよ。一緒に来てくれる?」
私の言葉にゆっくりとカリンが頷いた。
今日国民の前で私は彼女をカリン・シャリレーンとして紹介する。
聖女の出生地を偽造してきた帝国の皇太子が、彼女を創世の聖女として紹介しろというのだから断る理由はない。
「セルシオ国王陛下⋯⋯カリンは世界を変える力を持っています。国と彼女を守るため強かに立ち回ってください。帝国はいつでもカルパシーノ王国を滅ぼせるように、広大な隠し通路もつくってますよ」
私はセルシオ国王に私の知っている情報をできるだけ提供しようと思った。
彼は私の父と似ている。
国民のことを誰より思っているが、人の善性を信じすぎて、全て失ってから後悔するタイプだ。
(奪われるのは一瞬だって、私は誰より知っているわ⋯⋯)
これから、世界中かカリンに注目するというのに、彼のような甘い人間がカリンを守れるかが心配だ。
彼は奴隷から国王にまでなった人間で、獲得してきた人生を送ってきたのだろう。
彼が人が集まるだけの人望や、国を育てる器用さと賢さを持っているのは確かだ。
それゆえ、彼は自分の力だけで何とかできると驕りを持ってしまっている気がする。
「そうだ! ルイスがカルパシーノ王国に密偵を忍び込ませてるとも言ってましたよ」
カリンが思い出したように言う言葉は超重要項目だ。
似たもの同士の甘すぎる2人に思わず私は笑いそうになった。
それにしても、ルイス皇太子はわざとカリンに機密事項を漏らしている。
密偵はおそらくベリオット皇帝が仕込んだ人間で、ルイス皇太子はカリンを危険に晒すものを排除しようとしていると信じて良いかもしれない。
「アリアドネ女王⋯⋯君に俺ができることは何かあるか?」
彼は私に一時期同情し結婚したのに、即離婚したことに罪悪感を持っているのだろう。私にとってはどうでも良いことなのに、そんなことをいつまでも気にしている彼がおかしい。
(その罪悪感利用させてもらうわ⋯⋯)
「シャリレーン王国とカルパシーノ王国の間に平和同盟を結んでください。もし、互いの国が戦争で攻められそうになった時はお互いを助けるという恒久的な同盟です」
セルシオ国王は一瞬戸惑った顔をした。
彼の反応は当然だ。
シャリレーン王国には満足な軍隊が存在しないので、この同盟は全くカルパシーノ王国にとっては利点がない。
それでも、私はカリンの危機には彼女を守る為に動く大義名分が欲しかった。世界の悪意に触れてきた私だからこそ、できる守り方もあるはずだ。
私はセルシオ国王を騙してきた女だ。
信用できない相手だと思われているのは分かるが、私もカリンを守りたいという気持ちを持っていることが通じれば良い。
危機意識の低いセルシオ国王に、私は今の状況を説明することにした。
「パレーシア帝国の軍隊が向こう10年、シャリレーン王国に駐在します。おそらく帝国がカルパシーノ王国を攻める際は、この軍隊が使われるでしょう。こちらは知り得た情報をすぐにセルシオ国王に流します」
こちらが持っているカードはとても弱い。
それでも、あのパレーシア帝国がカリンをカルパシーノ王国に帰したという事でこれから起こり得る危険を察知できるなら彼は提案に乗ってくるはずだ。
もし、今後帝国がカルパシーノ王国が帝国の領地か属国にする予定ならば、結果的にカリンは帝国のものになる。
創世の聖女であるカリンを帝国が手放す選択をするとは、どうしても思えないのだ。
カリンが創世の聖女であるならば神聖力は無限にある。
パレーシア帝国のような上品な国ばかりではない。
彼女を鎖で縛り付けて、彼女の力だけを搾取しようという者が現れてもおかしくはない。
どんなに傷ついても、神聖力で自分自身は治療できない。
「分かった。平和同盟について、戴冠式が終わったら話そう」
セルシオ国王は手を出し私に握手を求めて来たので、私はその手を握り返した。
それを嬉しそうに見ているカリン⋯⋯彼女は創世の聖女で、私は創世の聖女が神そのものなのではないかと思っている。
それでも、今は姉として彼女どうしても言わなければならない事があった。
「カリン、あなた時を戻しているでしょ」
私の言葉に反応した彼女の表情で私は自分の予想が当たっていたことを確信した。
なぜそのような事をしたのか、私は彼女に聞かなければならない。
時を戻すということは、日々より良い未来を掴もうとしている人々の歩みを巻き戻すことだ。
私も母を殺され、父を失った時、時が戻ればと何度も願った。
しかし、どんな悲惨な状況も受け止めて生きていかなければいけないのが人間だ。
彼女が例え神だとしても、この世界で人として生きていく以上は人としての道理を守らせなければならないと思った。
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