第十一章 父子

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 夫婦のベッドで、嫁が息子に抱かれていた。大袈裟ではなく、薫にとってはそのレベルの衝撃的な光景であった。   「……何、やってんの」    怒りと戸惑いの入り混じった声が地面を這った。肇は睫毛を濡らして薫を見上げる。真純は肇にしがみつき、顔を真っ赤にして腰を震わせている。達したらしいということが、傍から見ていて分かった。  こういう時、誰に怒りをぶつければいいのか、薫には分からなかった。肇が誘ったのか、それとも真純が無理やり犯したのか。しかし、二人ともそんなことをする男ではなかったはずだ。一体何を間違えてこんなことになっているのだろう。   「……親父」    肇に抱きついたまま、息を切らして真純が言う。   「……あんなやつやめて、おれにしとけよ」    あんなやつ呼ばわりされた薫は声を荒げそうになり、肇は驚いたように目を見開いて真純の方へ振り向いた。   「おれ……おれだったら、親父を絶対一人にしないし、家にもちゃんと毎日帰るし……親父を置いてお見合いになんか行ったりしない」 「……」 「……」 「おれの方が……おれだって、親父を幸せにできる……」    真純は、甘えるように肇を抱きしめて、その広い背中に頬をすり寄せた。    真純の言ったことは正しい。薫が今回実家に戻っていたのは、見合い話が来たからだった。  これまでにもこういったことは何度かあった。その度に突っ撥ねていた薫だが、今回はどうにも相手が悪く、というのも、橘家と比べても遜色ない名家の令嬢を紹介されてしまったため、断るのに難儀した。せめて一目会ってから決めろという両親の意向もあって、形式的に一度だけ見合いをすることになったのだった。  何も肇に黙っていたわけではない。むしろ、肇が薫の背中を押したのだ。「お前ももういい歳だし、親孝行と思って付き合ってやれ」「相手に恥かかすわけにもいかねぇだろ」「いい女なら俺にも紹介してくれよ」といった具合である。最後の一言は完全に余計な軽口だが、肇は薫の見合いに反対はしていなかったはずだ。  予期せず実家に泊まることになった件についても、電話でしっかり了承を得た。「どうせたまにしか帰らねぇんだから、ちゃんと親孝行してやれよ」と肇には言われたが、薫は朝一で実家を発ち、寄り道せずに真っ直ぐ帰ってきた。   「おれはっ……親父に不安な思いなんかさせないし、絶対に泣かせたりしない……!」 「なっ……泣いてはねぇよ」    肇は気まずそうに目を伏せた。  泣いてはいなくても、不安がっていたのは事実だろう。いつだって、肇の心を一番よく理解しているのは、息子である真純なのだ。昔からずっとそうだ。薫には分からない肇の心の機微を、真純はよく理解している。本能レベルで感じ取っているのだ。    肇は色恋に執着しない、さっぱりしたタイプだ。と薫は思っていた。それは、肇の薫に対する態度がそうだからである。ベッドの上を除き、肇が薫に愛を囁くのは本当に稀であるし、極端なことを言ってしまえば、薫がよその女を抱いて帰ってこようがさほど気にしないような、そんな図太さを持つ男だと、薫は勝手に思っていた。  しかし改めて思い返してみれば、肇は純愛に一途で、意外に重いタイプである。真純を産んだ彼女への態度を思えば分かる。それに、見た目に反して繊細な心を持っている。元々おしゃべりな方ではないし、不器用で、本音を口に出すということをあまりしないタイプでもある。  そう、分かっていたのに。肇の表面上の態度だけを見て、薫は判断してしまっていた。なんと愚かな行為だろう。あれもこれも、本音を隠すための方便だったかもしれないのに。  いつだって、肇は薫の事情に理解を示す。今日のように実家との付き合いで家を空けるとか、仕事の都合で国内外問わず長期の出張に行くとか。どんな時でも、肇は特段寂しがる素振りは見せない。「腐っても橘の坊ちゃんだからな」と言って送り出してくれる。けれども。   「親父がどんな気持ちであんたの帰りを待ってたか、あんたに分かるのかよ」    もしも逆の立場なら、薫は一日塞ぎ込んで過ごしたはずだ。というより、そもそも肇を見合いの席には行かせない。いくら肇にその気がなくても、相手が肇に一目惚れするかもしれないし、その結果肇の心が動かされるという可能性もなくはない。そんな危険な場所へ肇を送り出すことは、薫には絶対できない。   「……その……ほんとごめん。もう行かないから」    薫が真摯に頭を下げるも、真純は肇に抱きついたまま離れない。それどころか、好戦的な眼差しで薫を見据えてきた。   「あんたに親父はやらない。親父のことはおれが幸せにする」 「僕だって、真純に負けないくらい肇のこと大切に思ってるし、幸せにしてみせるよ」 「お前ら、勝手なこと言ってんじゃ……」 「得意げに見合い写真なんか見せてきやがって。あんな美人にアラフォーのおっさんが敵うわけないだろ」 「おい、誰がおっさんだよ」 「高校生の息子がいたら誰でもおっさんだろ」 「肇は全然おっさんじゃないし、むしろ年取るごとに色気が増してて困ってるくらいなんですけど。どんな美女も肇には全ッ然敵わないんですけど!」 「おい、真純の前で何言って……」 「僕ってばこう見えて純愛派だし。真純が生まれるもーっと前から、ずーっと肇一筋なんだからね」 「真純と張り合ってんじゃねぇよ……」 「……」    真純は悔しそうに顔を歪めていたが、やがて肇をきつく抱きすくめ、ぐいと腰を押し付けた。「あっ」と薫が声を上げるまでもない。再び、嫁を息子に寝取られた。狼狽する薫をよそに、肇は余裕の表情である。
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