あやしいまでに焼きつくピアノの歴史的背景を『母の遺産 新聞小説』で読む

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あやしいまでに焼きつくピアノの歴史的背景を『母の遺産 新聞小説』で読む

 ピアノにはあやしいまでの魅力がある。私は前半生をそれに取り憑かれて過ごしたが、そんな人生をおくるのは同世代の少数派でもあった。  しかし、ピアノに取り憑かれたひとが「少数派ではなかった」時代が、この日本でも存在していた。水村美苗の小説『母の遺産 新聞小説』では、ピアノは「文明開化を象徴するお稽古ごと」とある。 (以下、引用) 「明治を境いにお稽古ごとの内容が和物から洋物へと移ってゆくにつれ、文明開化を象徴するお稽古ごとは一つに集約されていった。ピアノである。ピアノは高価で、そのような結構なお稽古ごとが深窓の令嬢に限られているのも、みなの憧れを掻き立てた。洋館の応接室で黒く光るピアノを前に白魚のような指を踊らす麗人――戦前の女学校の生徒たちの心にその像はあやしいまでに焼きつき、戦後、日本が豊かになるにつれ、余裕のあるサラリーマン層は競ってピアノを買い娘にピアノの稽古をさせるようになった。もちろん、つましいアップライトピアノである。」 —『母の遺産 新聞小説(上) (中公文庫)』水村美苗著  戦後からバブル期におけるピアノブームが、どのような世相でひとびとの熱気が向けられていたのか、時代を感じ取れる。 『母の遺産 新聞小説』から読めるのは、ピアノは社会的階層をのぼるため、つまり上流階級に仲間入りするための有力な手段だったということ。 「両親が結婚しておらず非嫡出子である」といった家柄による身分差別など、社会的階級の差が当たり前に存在した時代において、ピアノは上流階級を示す象徴でもあり、また階級をのぼる可能性を持ち合わせていた技術だった。    現代では、身分が家柄によって規定される機会は少なくなり、稼ぐ力=経済力や、その土台となる学歴が指標として優勢になった。そのため「階級をのぼる手段」「上流階級の象徴・印」としてのピアノの価値は、少なくとも日本においては消失したに等しい。反面、クラシック音楽表現には稼ぐ力がほぼ無いことが着目されるようになった。  音楽を自らの手で演奏することを楽しむという、より内的な芸術性を求める志向が、現代において楽器を学ぶひとたちに必要な資質といえるだろう。  私がピアノに取り憑かれていた時期、ピアノから上流階級の匂いを感じ取っていただろうか。少なくとも野心的な上昇志向を駆り立てられるようなものでは既になかった。  しかし過去に上流階級だった作曲家や演奏家たちの歴史の香りは、膨大に残された美しい楽曲の数々から確かに感じられた。深く広がるクラシック音楽の世界に、自分の手で弾いて入り込んでいける可能性に魅惑されていた。
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