12時30分

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12時30分

「あれ? 帰るの? まぁそうだよね……」あかねはスバルに言う。 「いや、もう少しだけいようかな?」スバルは言葉を濁しつつも、自分の席に戻ろうとする。気にすることでもないのだが、声が上ずったのではないかと少し心配する。 「そう?」あかねは何でもないかのように自分の席へと移動して何やらカバンから取り出し、机の上に広げる。 「それ……宿題?」 「そう。宿題」 「こんなときに律儀だね」 「こんなときに登校している誰かさんも律儀だと思うけど」 「いや、これは……」実はあなたを探していましたとは言えず、スバルはカバンから宿題を取り出す。科目は英語。正直言ってはなんだが、この宿題にそれほどの意味を感じない。しかし、彼女と同じ空間、同じ時間を共有するためには必要なものだと認識する。  黒板の上の時計を見ると12時30分になっていた。時間は確実に進んでいる。 「ねぇ。朝比奈くんはどうしてここにいるの?」あかねの質問は鋭い。 「家にいても……ちょっとなんというかさ。僕の家は家族がそれほど仲良くないから。父さんは一昨日から帰って来ないし、母さんは昨日からずっとお酒ばっかり飲んでいるし―――今は寝ていると思う。高一の妹は―――もうすっかりギャルだからなぁ。この何日かは家に帰っても来ないよ」父は不倫相手とよろしくやっているに違いなかった。その事で夜中に突然口論が始まることは日常茶飯事だったのだから―――。母にも相手はいるようだがここのところは連絡がないようだ。妹は妹で聡明だ。冷え切った家族に自分の時間を使うほどバカではないということだろう。実質的な家族の解散といってもいい。 「そうなんだ―――て言うか前にも同じこと言っていたよね。ごめん」そうなのだ。彼の事情は知っている。 「日暮さんはなんで? 家族と過ごした方がいいんじゃない?」 「ああ……それね」私の家は母子家庭だ。父親という概念は存在しない。父と母がいなくては子が生まれないことは知っているが、父親という存在を見たことはない。という存在意外は――― 「うちも似たようなものといいますか―――母の彼氏? 的な人がずっと居座っててさぁ。それだけならいいんだけど―――」これを言うべきか迷う。 「たまに私を誘ってくるんだよね―――ハハハ……軽く見られているみたいでさ。なんかひくよね」今が夏服期間でないことをこれほど感謝したことはない。手首を見られる心配がないのだから。  もちろん母の彼氏? の誘いに乗ったことはない。気持ち悪い。ただそれだけ。だから私が家にいない方がいいのだ。母にとってもがいなくなるわけだし。ほんと気持ち悪い。 「日暮さん―――」ダメだ。彼女は好き嫌いの前に男性不審になっている。本人は上手く隠しているつもりのようだが、さきほど髪をかき上げた時に見えた左手首―――あれはリストカットの(あと)だ。  しかも自分の母親の彼氏と関係を持つ―――これはリストカットする理由としては十分過ぎる。  自分の想いだけで突っ走ろうとしていた自分を恥じる。恋愛ビギナーの僕がどれほど彼女の心を癒すことができるかはわからない。それにいまさら彼女とどうこうなろうなどとは思わない。ただ一緒にいることができるのなら―――  しばらく沈黙が流れる―――  これはあれだな。うん。完全に勘違いしているな。年頃の男子が考えそうなことだ。ようするにとの会話に困っている。そしてどう反応したらいいのかわからない―――これに尽きるだろう。この私のどこにそのような要素を感じたのかはよくわからないがとにかく今の状況は良くない。芳しくない。 「あの―――寝てないからね。一応言っておくけど……」この一言でスバルは顔を赤くしたが、時計の針が13時00分になったら告白しようと心に決めた。
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