青空に翔ける

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 帰宅したフェルディナンは書斎に入ってぎょっとする。エリゼが死んだように寝転がっていた。 「エリゼ! エリゼ、どうしたの?」  エリゼは迷惑そうに呻いて口を開いた。 「転移酔いだ。もう少し待ってくれ。イリスとポムは部屋だと思う……」  フェルディナンは彼に吐き気止めを飲ませ、イリスたちの部屋に向かう。ノックをしても返事がなく、そっと覗くと二人はすっかり寝入っていた。かわいらしい無邪気な寝顔に彼はふと笑う。みんな無事に帰ってきてくれた。ほっとして嬉しくて、涙があふれた。三人が出立してから心配で、不安で、眠れない日々が続いていたが、今日は安心して眠れそうだ。  書斎に戻ると落ち着いたのか、エリゼが椅子に座っていた。 「おかえり、エリゼ」 「ああ、ただいま。必要なものは手に入れてきた。明日、ポムの修復を行う。お前も立ち会え」 「わかってるよ。イリスの身に危険がある量の血液が必要になったら僕の血を使う約束だものね」 「ああ。修復の際、ポムが嫌がったり、痛がって泣いたりするかもしれんが、絶対に動くなよ? 全員死ぬ」 「わ、わかった。そのことはイリスにも言ってあるの?」 「ああ。イリスはお前よりはるかに肝が据わっているからな」  フェルディナンは曖昧に笑う。旅の間に何があったのか知らないが、イリスは大きく成長したのかもしれない。 「今日は泊めてくれ。俺もくたくただ」 「もちろん」  すぐに部屋に通すとエリゼはさっさとベッドに入って眠ってしまった。  明日、ついにポムの運命が決まる。  翌朝、見慣れないこぎれいな有翼の男性が使っていない部屋に魔法陣を書いていた。不思議に思ったが、気にせず通り過ぎることにした。だが、ポムが突然飛び立って、その男性に飛びついた。 「エリゼ!」 「ああ、おはよう、ポム」  その声は確かにエリゼでイリスは目を疑う。確かにいつもぼさぼさの汚い髪で顔が隠れていてよく見えていなかったが、ここまでわからないとは思わなかった。髪をきれいに洗って整えただけで精悍な顔立ちがよく見える。その横顔がどこか鷹に似ているのは有翼の魔法使いだからだろうか。いつももっさりと膨れたマントを着ていたのは片方しかない翼を隠していただけらしい。 「イリス、狐につままれたような顔をしてどうした? 魔法陣が気になるか?」 「え、いえ、そういうわけでは……」 「君がこぎれいにしてたから驚いたんでしょ。君いつもばっちいもの」  部屋の隅に座っていたフェルディナンがくすくす笑う。 「いつもぼさぼさのお前には言われたくないんだが?」  フェルディナンの髪はいつもエリゼに負けず劣らずぼさぼさで好き勝手な方向を向いている。 「僕のは癖毛だもん。君みたいに汚れてないし。エリゼがここに泊まる日は必ず風呂に入る約束なんだ。朝放り込んで、みんなで手入れしてもらったらこうなったわけ。男前のくせにばっちくしてて顔がよく見えないから驚くよね」  フェルディナンはまたくすくす笑った。エリゼは気まずそうに肩をすくめる。 「魔法陣が完成したらポムの修復を行う。フェルに手当の準備はしてもらっているが、覚悟はしておいてくれ」 「はい」  一時間ほどして完成した魔法陣を見たポムは怯えたように隠れてしまった。いつもはイリスにしがみつくのに、部屋の隅に置かれた机の下に逃げ込んだ。 「やぁ! ポム、寝たくないの! バラバラいや!」  イリスが声をかけようとするとポムはそう叫んだ。かつて眠らされた時のことを覚えているのかもしれない。 「眠るんじゃないわ。エリゼが足を治してくれるの。前みたいに歩けるようになるわ」 「やぁ! 暗いの怖い! 寝ないの! イリスと一緒! やぁ! いやぁあああ!」  泣き叫ぶばかりでイリスの言っていることを聞けていないようだった。 「一度落ち着かせよう。魔法陣を隠すから話を聞いてやってくれ」 「はい」  エリゼが布で魔法陣を覆うのを確認してイリスはもう一度口を開く。 「ポム、抱きしめさせて」  ポムはしゃくりあげながら机の下から出てきた。イリスは足を折ってポムを抱きしめる。 「私はあなたとずっと一緒。大丈夫よ、離れたりしないわ」 「ポム、信じた。みんな、大好き。でも、みんな、ポム捨てた。ポム、暗闇に閉じ込めた。怖い。起きたポム、独り。もう独り、いや」  ポムはつかえながらそう言って、イリスの胸の顔をうずめた。ポムは捨てられた日のことを覚えていたようだ。魔法陣を目にして思い出させてしまったのだろう。 「もう絶対独りにはしないわ。私を信じて、ポム」  顔をあげようとしたポムが小さく痙攣し、動かなくなった。 「ポム?」  息をしていない。心臓も止まっているようだった。 「ポム! 嘘でしょう? ねぇ、ポム!」 「どうした」  エリゼがすぐさまそばに来た。 「急に呼吸と心臓が止まって……そんな……そんなことって……」  冷たくなり始めた体に手を添わせたエリゼはすぐにポムを抱き上げる。 「すぐに魔法陣に入れ、まだ間に合う!」  エリゼの吠えるような声にイリスは示された魔法陣の中央に立つ。 「フェル、お前もだ! 早くしろ! 遅くなるほど確率が下がる!」  エリゼは布を取り去り、ポムを一番大きな魔法陣の中央に寝かせる。フェルディナンはイリスと対になる一回り小さな魔法陣に立った。ポムが寝かされている大きな魔法陣と二人のたった魔法陣は重なっている。 「雑念に囚われず、ポムに集中しろ。かなり痛いかもしれんが、絶対に魔法陣から出るなよ」  エリゼは独立した小さな魔法陣に立つと、杖を突きたてて呪文を唱え始めた。魔法陣が光り、力が吸い取られていくのをイリスは感じた。足先からピリピリとした痛みが這い上がってくる。血と愛が魔法陣を通じてポムに送り込まれるのだという。太古の魔法石のかけらはポムの胸に置かれ、ひときわ強い光を放っている。  イリスは痛みに立っていられずに膝をつく。もうかなりの量の血がポムに送り込まれたのだろう。それでもポムはまだ目を覚まさない。イリスの魔法陣の光が消え、フェルディナンの魔法陣が光り始めた。これ以上は危険だと判断されたのだろう。フェルディナンはかなりの痛みがあるのか、すぐに膝をついて呻いた。 「くそ……足りないか……」  エリゼが小さく呟いた。足りないとはつまり、ポムがこのまま消えてしまうということだろうか。 「エリゼ! 私はまだ大丈夫です!」 「お前が倒れたら誰がポムを抱きしめるんだ?」  ニッと笑ったエリゼは残された翼を自力でむしり取ってフェルディナンに投げる。 「もう少し耐えろ」  彼は受け止めたエリゼの翼をしっかりと抱きしめる。エリゼの翼から滴る血もポムに注ぐ気らしい。 「わかった」  エリゼが呪文を唱え始めるとフェルディナンは耐え切れずに悲鳴を上げた。それでもエリゼは呪文を唱えるのはやめない。イリスに無理をさせるのは抵抗があるが、フェルディナンなら少々無茶をしていいと思っているらしい。フェルディナンはしばらく叫んでいたが、ついに意識を失って倒れてしまった。羽根が激しく舞い散ったが、そのまま消えていく。 「イリス、起こしてやれ……」  エリゼは肩で息をしながらそう言った。イリスはどうにか立ち上がってポムのそばに行く。ポムの頬はバラ色に染まり、眠っているだけのようだった。イリスはあの日聞いた言葉を思い出す。 「おはよう、おはよう、綿毛のポム。黄金輝く愛しきドール」  ポムはゆっくりと目を開けてうれしそうに微笑んだ。 「イリスとポムはずっとずぅっと一緒」  イリスは何も言えずにポムを抱きしめる。ポムの心臓が小鳥のように元気に脈打っている。 「大丈夫そうだな」  どうにか杖にすがって立っていたエリゼもその場に倒れてしまった。翼を強引にむしり取ったのだから、彼もまた重症だ。視線を巡らせればフェルディナンも生きているとは思えない顔色で倒れていた。 「大変!」  ポムが無事だったことをゆっくり喜んでいる場合ではない。召使たちを呼び集めて、二人の手当てを手伝ってもらった。エリゼの出血はそこまでではなかったが、死ぬぎりぎりまで血を抜かれたフェルディナンはなかなか回復しなかったのは言うまでもないだろう。
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