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翌日、見世物小屋が開く前に二人は突然呼び出された。そんなことは初めてでイリスは戸惑う。興行主の部屋に行くと見知らぬ男が一人立っていた。ひょろひょろと背が高く。身形がいい。長くうねった茶色の髪は雑にまとめられ、大きな丸めがねがどこかみっともない。金持ちそうに見えるが、どことは言えずアンバランスな印象を受ける。
「お前らを金貨二十枚で買ってくださるってぇ奇特なお客様だ」
イリスは自分の持ち主が金貨二十枚でこの奇妙な男に移ったことを察した。こういったことは初めてではないが、これほど身形がいい奇妙な相手は初めてだ。興行主たちは誰も宝飾品ばかり豪華で、着ているものはどこかボロであったり、不潔だったりした。だが、この男は上質なジャケットをまとい、品のいい宝飾品をわずかにつけているだけだ。見世物小屋の興行主ではないのだろうか。
「やぁ、こんにちは、僕はフェルディナン・ヨゼフ・バーナード。気軽にフェルとでも呼んでね。えーと、君がイリスでそっちに隠れている子がポム・ドールかな?」
軽薄な声に浮ついた仕草。男の意図が読めない。
「はい」
ポムは怯えているのかイリスの足の陰に隠れてしまっていた。フェルディナンは覗き込むような動きをしたが、ポムがますます隠れたのを見てすぐに諦めた。
「まぁいいや。いこっか」
ポムが足にしがみついたのを感じてやさしく頭を撫でる。
「ポム、大丈夫よ。一緒に行きましょ」
ポムは頷いてイリスの手をつかむ。フェルディナンは特に気にする風もなく歩き出した。二人一緒に買い取ったのにポムの顔を見られないままでもいいのだろうか。これではすり替えられても気づかないのではないかとさえ思う。だが、おそらくポムは二束三文、もしくはイリスのおまけに付けられた可能性さえある。だからかまわないのかもしれない。
「あ、お別れしたいとかあれば待つけど?」
突然振り返って言われ、イリスは曖昧に笑う。ジルバの顔がよぎったが、頭を振る。彼女と顔を合わせたくない。ぼんやりとそう感じた。
「そ」
興味なさそうに返答してフェルディナンはまた歩き始めた。建物を出ると日の光が眩しくてイリスは手をかざす。こうして日のもとに出るのは何年ぶりだろう。
「なんか聞きたいことある?」
不意に問われてイリスは慎重に言葉を選ぶ。フェルディナンが何者かさえわからない。
「どうして私たちを買われたんですか?」
「どうして? 事情は色々あるけど、かわいい女の子が二人いたら楽しそうだなって思ったのが一番かな?」
「それはつまり、私たちは妾ということですか?」
はじかれるように振り返ったフェルディナンはぶんぶんと頭を振る。
「違う違う! 僕がだいぶ怪しく見える自覚はあるけど、そういうタイプじゃないよ! 僕は医者なの。資産家だから片手間でやってる医者で怪しいってよく言われるけど、ちゃんと病院持ってるし。あー、なんていうのが一番近いんだろ……好奇心、かな? 白いケンタウロスは本当にまれだし、角のある子どもも珍しいから、こう、ね?」
かなり胡散臭いが地位のある人物ではあるらしい。金持ちは信じられないような気まぐれをするとジルバが言っていた。それなのかもしれない。
「わかりました」
フェルディナンはほっとしたように笑ってまた歩き出した。
「そういえば、その子を背中に乗せることはないの?」
フェルディナンは振り返りもせずにポムを指さした。
「ありますが、鞍がないですから、本当にどうしようもない時だけです」
「ふうん。ケンタウロスってプライドが高いから人間を乗せたり、鞍を必要としたりしないんだと思ってたよ」
「ポム以外は乗せたくありません。ポムは特別です。でも乗せるなら安全に乗せたいので鞍が必要なのだろうと思っただけのことです」
フェルディナンはくすくす笑って、イリスの長い白髪を跳ねる。
「その子を背に乗せて思い切り駆ける君が見たくなったよ。よし、鞍を作りに行こうか。それから服とか、ブラシ? 手入れって馬用じゃないよね?」
「馬の胴体であることは事実です。馬用のものでも一向にかまいません。頼みを聞いていただけるなら、ポムに保湿クリームを買っていただけませんか? 放っておくと角がひび割れてしまうんです」
「角が?」
フェルディナンは不思議そうに振り返った。
「はい。こうした小さな亀裂が大きくなって割れてしまうんです」
ポムの右の角にはわずかに亀裂が入っていた。これを放置すると完全に割れて痛々しい姿をさらすことになる。いつもいろいろな手段で誤魔化していたが、乾燥さえ防げれば割れないことはわかっていた。
「そ。後で見せてもらっていいかな?」
「ポムが嫌がらなければかまいません」
「君しか喋らないけど、ポムは口がきけないの?」
「いいえ。言葉は少し遅いですが、喋れないわけではないです。ご主人様が喋らせろというなら喋らせます」
「別にいいよ」
フェルディナンは軽く肩をすくめる。
「君たちを買い取ったのは半分気まぐれだし、逃げたかったら逃げてくれてもいいよ。だからご主人様とか、旦那さまって呼ぶ必要もない」
「わかりました」
まったくつかめない男だが悪い人間ではなさそうだ。本当に鞍を注文し、手入れの道具や洋服をあつらえてくれた。ポムには乗馬服やかわいい靴。果ては髪飾りを二人分、化粧道具までとなるともはや訳がわからないとさえ思う。
「さて、足りないものがあったらまた買うとして、ほかに必要そうなものある?」
「ありません」
「ならよかった。僕の屋敷は郊外なんだ。馬で行くことになるけど、ポムはどうする? 君が乗せていく? 僕が乗せる?」
イリスがそっと顔を覗くと手をぎゅっと握られた。ポムはまだフェルディナンに怯えている。危険は承知でもイリスが乗せていくしかなさそうだ。
「私が乗せていきます。ロープをお持ちではないですか?」
「縛っていく気?」
「はい。ポムはまだあなたを怖がっていますし、この子は外を知らない子ですから」
「あー、うーん、そうか……ロープはあるから貸すけど、速度は出さないよ。ゆっくりついてきて」
「わかりました」
イリスはしゃがんでポムを背中に乗らせ、貸してもらったロープで体を繋ぐ。
「しっかりつかまっててね」
ぎゅっと抱きついてきたポムが頷くのを感じてフェルディナンに合図をする。
「じゃあゆっくり行くからね」
イリスが頷くのを確認して、彼はゆっくりと馬を進める。二人の様子を見ながら並足から速足に移行していったが、ポムはちゃんとつかまっていた。
「ちゃんと体重移動もできてるみたいだね。わりとよく乗せてた?」
「いいえ、こうして乗せるのは初めてです。ポムはバランス感覚がいいからそのおかげだと思います」
「ふうん。そりゃよかった。あとちょっとで着くよ。ほら、見えた」
フェルディナンが指さしたのは森の中に佇む大きな屋敷だった。彼が金持ちというのは嘘ではないらしい。庭はきれいに手入れされ、緑の木々は美しく茂っている。
「君の寝床って敷き藁じゃないよね?」
馬として暮らしているのか、人として暮らしているのかと問いたいのだろう。イリスはこれまで人として扱われず、まして馬として扱われたこともない。
「雨露がしのげてポムと一緒であればどのような寝床であろうがかまいません。私たちはあなたに買われた身ですから」
「ん、わかった。すぐに用意させるから二人で庭の散歩でもしてて」
フェルディナンは馬を馬番に託し、さっさと屋敷の中に行ってしまった。思い付きだったというのも本当のことらしい。準備もなくケンタウロスである彼女や何者かもわからないポムを引き取るのは少しでなく無謀、行き当たりばったりではなかろうかと少し不安になったが、気にするだけ無駄だ。
馬番にじろじろと見られたが、気付かないふりをする。今は見世物ではない。イリスは広い芝の広場に行き、ポムを下す。
「よく頑張ったわね、ポム」
「イリス、ありがと」
「どういたしまして」
片言で喋るポムの頭をやさしく撫でる。ポムはまだ何が起きたかわかっていないらしい。自分が動揺すればポムも不安になるだろうとイリスは笑って見せる。
「きっと、あの人はちゃんとご飯を食べさせてくれるわ。だから、ポムも怖がらないでお話してね」
ポムはわからないというように小首を傾げた。物心つく前から醜い視線にさらされ、見世物小屋以外の世界を知らないポムにはわからないのだろう。無理もない。ポムにやさしかったのはイリスとジルバだけだった。
「イリス、あれ、なに?」
ポムが指さしたのは花畑だ。
「あれは花畑。お花が沢山咲いているの。散歩しているように言われたから行ってみましょうか?」
「うん!」
元気に頷いたポムの手を引いて花畑に近寄る。素朴な野の花が多く植えられているらしい。奇妙なフェルディナンの庭だと思うと妙にしっくりくる。イリスは懐かしくなって花を摘む。
「花の名前はわからないけど、花冠を作ってあげる」
「ポムも!」
「ええ」
あの男は少々花を摘んでも怒ることはないだろう。イリスはポムに教えながら花冠を編む。どうしてこういうことばかり覚えているのだろう。両親の顔さえ忘れてしまったというのに。かすかによぎった寂寥はポムの笑顔を見ると忘れられた。彼女が素直に何の打算もなく関われるのはポムだけだ。
花冠をおおよそ編み上げたころ、フェルディナンが戻ってきた。
「驚いたなぁ。君たちがそんなことをしているとおとぎ話の世界に迷い込んだみたいだ」
その言葉にイリスはくすりと笑う。そのように清廉であれたらどんなによかっただろう。
「そういうものが見たくて私たちを買ったのではないですか?」
偽であれ、見てくれは彼が言った通りなのだろうとイリスは皮肉に思う。ポムはまだきれいだが、イリスはもう自分は完全に汚れてしまったものと思っていた。ポムの頭に白い花で作った花冠を乗せる。
「ん、そーかもね」
ポムがどうにか輪になっただけのものを乗せてくれようとしていることに気付いて頭を下げる。握って潰れてしまっている花もあるが、ポムが作ってくれた花冠はピンクだった。
「部屋の用意ができたと呼びに来てくださったのではないですか?」
「そうそう。ちょっと奥の部屋にはなっちゃったんだけど、広いし日当たりはいいよ。身体きれいにしてからがいいかな? 君、本当はもっと白いよね?」
「そうですね。なかなか風呂に入らせてもらえなかったので」
「そっか。身体洗うのに手伝いつけようか?」
「いらない!」
イリスが口を開くより前にポムが叫んだ。自分でも驚いたようにポムの目が泳ぐ。
「ポム、洗うの……」
震えた声が尻すぼみに消えていく。そんなことは初めてでイリスは驚いたが、フェルディナンは意に介した様子もなく口を開いた。
「そかそか。わかったよ。お風呂はこっち。広いし、汚しても気にしなくていいよ」
風呂は彼が言った通り広かった。ポムに手伝ってもらいながら体をきれいに洗いあげる。薄汚れていた胴体が白さを取り戻した。
「ありがとう、ポム。今度は私が洗ってあげる」
「うん」
ポムはいつも顔を汚し、長い髪で隠している。その方が似つかわしいと興行主の指示だった。ポムはひどくかわいらしい顔をしているのだ。頭に立派な黒い角さえなければこんなところにいなかったはずだ。
このかわいらしい顔を見てフェルディナンはなんというだろう。考えるだけ意味のないことはわかっている。
たっぷり泡立てた石鹸で洗ってやるとポムはくすぐったそうに笑う。ふいと背に不自然な突起があることに気が付いた。数日前に拭いてやったときにはなかったはずだ。
「ポム、ここ痛くない?」
「痛くない」
「そう? ならいいのだけど……」
イリスは生まれながらのケンタウロスだが、ポムはなぜ角が生えているのかわからない。ジルバもポムのような種族は知らなかった。だから成長で見た目の変化が現れる可能性もあると聞いている。
人間の突然変異で異形のものが生まれないことはないが、ここまで完全なものはいない。イリスはポムが交雑種であると思っている。ポムが元々捨て子である以上、真相は不明だ。
「さ、すっかりきれいになったわ」
たっぷりのお湯で流してやると、薄汚れてバサバサだった黒髪がつやつやと輝いた。お互い丁寧に拭きあって、用意されていたシャツとガウンを着る。イリスには少し大きい程度だったが、ポムには引きずりそうなほど大きかった。急遽用意できたものがそれしかなかったのだろう。だが、肌触りがよく、上等なものであると知れた。
バスルームを出るとすぐに召使が気付いてフェルディナンのもとに連れて行ってくれた。彼は二人の姿を見て驚いた顔をした。
「わーぉ……イリスがきれいなことはわかってたけど、ポムはとってもかわいいね」
「汚して隠すように言われていたので。クリームを分けていただけませんか?」
「え、ああ、そうだった」
フェルディナンは急いで指示を出す。忘れていたらしい。
「ポムの角、見せてもらっていいかな?」
ポムは戸惑うそぶりを見せたが頷いた。彼のそれが不快なものではないとわかったのだろう。彼は角をじっくりと観察しながら触れる。
「鹿の角に近いのかと思ったけど違うな……牛よりも、サイみたいだ……角が抜けちゃったことってある?」
「ありません」
「そかそか。なるほど。ありがとう、ポム」
そう言いながら彼はちょうど召使に渡されたクリームを角に塗り込む。その手つきは丁寧で思いのほかやさしい。
「ありがと」
ポムが蚊の鳴くような声で答えた。
「どういたしまして。さて、いくら急ぎでも服は明日まで届かないし、今日は疲れただろうから部屋で休んでていいよ。夕食のころには呼ぶけど」
「わかりました。ありがとうございます」
召使の案内で部屋に通された。特別広く豪華で召使の部屋には見えない。召使やペットとして扱われるわけではないらしい。部屋には特別大きなベッドと傍らに毛足の長い絨毯が敷かれていた。イリスがベッドで眠るのか判断がつかなかったせいだろう。
「イリス、あれなに?」
「ベッド。眠る場所よ」
ポムはいつもイリスに引っ付いて床で眠っていた。そもそも寝床というものさえポムは知らない。ポムはわからないというように小首を傾げた。
「ほら、こうやって」
イリスは上半身をベッドに横たえて見せる。重い身体を全身乗せるのははばかられた。ポムも真似してベッドに上半身を乗せる。背の低いポムは足が浮いていた。イリスはくすりと笑ってポムを転がす。
「ポムはちゃんと寝ていいのよ」
「ふかふか!」
うれしそうに叫ぶのを見てイリスは目を細める。
「これからはこのふかふかの場所で眠れるのよ」
「イリス、一緒?」
「ええ、一緒よ」
ポムに手をぐいぐいと引っ張られた。身体が全部乗っていないのが不満らしい。
「私が乗ったらベッドが壊れちゃうわ」
「壊れない。イリス、一緒」
「困った子」
イリスはポムの黒髪をやさしく撫でてベッドに恐る恐る上る。大きく軋む音はしたが壊れはしなかった。イリスはほっとしてポムを抱き寄せる。
「ほら、いつもと一緒」
「うん」
うれしそうに笑ったポムは眠いのか目をこすった。いつも寝不足で、今日は初めてのことが沢山起こったから疲れているのだろう。
「寝てもいいのよ。今日はとてもよく頑張ったわ」
「うん……」
ポムはイリスの身体に抱きついて眠りに落ちた。イリスはふと笑う。ポムのかわいい寝顔を守るためなら何でもできると思ってしまうのだから困ったものだ。
外がすっかり暗くなったころ、部屋のドアが叩かれた。召使曰く夕食の時間なのだという。だが、ポムはすっかり寝入っていて起こせそうにない。そう伝えると召使は戻って行ったが、フェルディナンが来た。
「疲れてるのはわかるんだけど、ポムは痩せすぎてるし、栄養状態も悪いようだから、今日から食事の管理をしたいんだよね。どうにか起こしてもらえないかな?」
医者である彼の言葉にイリスは迷う。これほどぐっすりと眠っているポムを起こしたくないが、ちゃんと食べさせたい気持ちもある。ポムは骨が浮くほど痩せている。
「わかりました」
イリスはポムを揺り起こす。だがぐずぐずしていて起きてくれそうにない。鳥のような鳴き声を上げていることからもそれは明らかだ。イリスはふとため息をついて体を押し付ける。ポムはぴいぴいと鳴きながらもイリスの背に這い上がった。
「食べ物の香りがすればちゃんと目を覚ますと思います」
ポムはイリスの背にべったりと引っ付いている。
「え、あ、落ちない?」
「落としたことはありません」
「ん、そっか。さっきポムが鳥みたいな声出してなかった?」
「あぁ……私にもよくわからないんですが、寝起きだったり、機嫌が悪かったりするとぴいぴいって鳴くんです。甘えているのかもしれません。言葉もはっきりしない頃からずっと一緒にいますから」
「そうなんだ。ポムって鳥系の獣人の血が流れてるのかな……」
フェルディナンは独り言のように呟いた。
「そういえば君たちって何歳?」
「私は十八ですが、ポムはわかりません。三年前に出会った時点では言葉がほとんどはっきりしませんでした」
「そっか……ポムは四、五歳なのかな……もっと小さく見えるし、言葉も遅いけど……」
「そうですね。どんな種族かもわからないので何とも」
イリスは軽く肩をすくめる。
「君も少し小柄だね」
「そうなんですか?」
彼女にはケンタウロスの知り合いはいなかった。
「むかーし、ケンタウロスの町に行ったことがあるけど、みんなもっと大きかったよ。栄養状態が悪かったせいかな。それともまだ成長途中なのかな……ケンタウロスの寿命は人間の倍くらいあるものね」
知らないことばかりだとイリスはぼんやり思う。フェルディナンは話しかけているのか独り言なのかわからない話し方をよくする。そういう癖なのだろう。
「そういえば、君たちのご飯って人間と一緒で大丈夫?」
「これまでも人間と同じか、残飯のようなものを食べていたので問題ないと思います。ポムは噛む力が弱いのでやわらかいものにしていただけるとありがたいです」
「そっか。わかった。伝えとくね。小さいから顎が弱いのか、やはり栄養失調……」
だんだん彼のペースがわかってきた気がした。考えていることが全部声に出ているといった方が近いのかもしれない。
「一つお聞きしてもいいですか?」
「なに?」
まだ考えているらしくぶつぶつ言っていたフェルディナンは気のない返事をした。
「私たちの待遇はどのようになっているのでしょうか?」
「今のところお客さん、もしくは入院患者」
フェルディナンの視線が戻ってきた。話し忘れていたことに気付いたらしい。
「とりあえず、今の君はポムもそうだけど、栄養失調と過労が重なっている状態。だから栄養満点のご飯を食べて、たっぷり休んでもらいたいんだ。僕が満足いくだけ治療ができたら手伝いをしてもらいたいなって思うけどね」
「そうですか。あなたは本当に変わった方ですね」
「んん、よく言われる。普通だと思ってるんだけどね?」
フェルディナンは軽く肩をすくめて手をひらひらと揺らす。
「人助けが好きなのかともよく聞かれるけど、拾ったり、買ったりするのは気分だし、そのまま召使にしておいておきたいって思う子は少ない。ここにいるこのほとんどは僕が拾ってきた子なんだ。君たちもその一人になるってだけ。僕、資産は多い方だから、出て行ってもらうことになってもちゃんと暮らしていけるようにしてあげるから安心してね」
「つくづくわかりません。私は屋内で働くのは向いていませんよ」
フェルディナンの屋敷が広いおかげで普通に歩き回れているが、狭い場所では身動きできなくなることもある。
「ん、そうだね。足の速いところでお使いとか、薬の配達なら頼めそうかなって思うんだけど?」
「それならできます。見た目に反して力がないんです」
「知ってるよ。ケンタウロスは人間の胴体部分の筋力が弱いんだよね。そうでなければ背骨の負担が大きいから。戦闘員がクロスボウを用いるのもそれが理由だったはず」
「私だけではないんですね」
「うん。そうだよ。その辺はある程度わかってるから気にしないで」
イリスはほっと胸をなでおろす。フェルディナンはイリスよりもケンタウロスについて詳しいらしい。そう思うと安心感があった。彼に売り飛ばされる可能性はないと思っていたが、手に負えないと放り出される可能性はあると思っていた。だが、それもなさそうだ。フェルディナンは不意とポムの手を取った。
「この子の爪って元々黒い?」
ポムの爪はボロボロに欠け、真っ黒になっている。
「以前は白かったんですが、興行主に踏まれてから黒くなってしまって……」
「内出血かな……踏まれたのっていつ?」
「半年ほど前だったと思います」
蹴倒され指を踏まれたポムがひどく泣いた日を今もよく覚えている。
「うーん、栄養状態も悪いからなぁ……ほかに心配なことってある?」
「ポムの肩甲骨のすぐ下あたりに妙な突起があるんです。前はなかったのに……」
フェルディナンはポムの背に触れる。ポムは少し嫌そうにぴいと鳴いたが、抵抗はしなかった。
「左右とも大体同じだから様子見かな。ちゃんと起きてるときに診察しないとわかんないや。君自身はどこか痛いとかない?」
「平気です」
「ん、そっか。まぁ、無理は禁物だからね」
「はい」
通されたのは意外なほど庶民的な広間だった。テーブルに着いたのは彼と二人だけではなかった。召使たちも手が空いた順に同じテーブルに着くのだという。広間というより食堂に近いと彼は肩をすくめた。彼の席も別にどこと決まっていないらしかった。
だが、イリスとポムの食事は特別メニューだった。最初のうちはそうしてきめ細やかに管理するのが彼の常なのだと隣に座った召使に教えられた。初めて見るような料理ばかりで戸惑ったが、おいしく、身体がぽかぽかと温まるようだった。
ポムはずいぶん機嫌が悪く、イリスにへばりついたままだったが、フェルディナンや年かさの召使になだめすかされて、用意された粥を食べきった。
しばらくはこんな日々が続くのだろうと思うと、少しだけ複雑だったが、ポムが死んでしまうかもしれないと毎日心配するよりはよほど幸せだと自分を納得させた。ぼろきれではなく毛布を掛けてやれる。そんなことさえ特別だ。
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