あの子は今……。

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あれから10年が経った。 遊園地であの子に出会ってから、僕に幾度か幸運が訪れた。 まず、会社を辞めることが出来た。 辞めることが出来たと言うより、会社が業績不振で民事再生法を申請したためだ。 会社側が希望退職者を募ったため、僕はそれに応募して、辞めることが出来た。 再就職先もすぐに決まった。 前の会社と違い、休みの日にはきちんと休みが取れる。 当たり前のことだけど、僕にはそれが幸せでならなかった。 そして、出会いもあった。 配属された部署にいた一人の女性と気があって、付き合い、結婚をした。 子どもにも恵まれ、家族を持つことも出来た。 今も順風満帆な生活を送れている。 ある日、僕は娘と一緒にテレビを見ていた。 「サインほしいな」 娘のひとり言に、僕は「何で?」と反応する。 「この子、幸運を呼び込むアイドルで有名なのよ」 キッチンにいる妻が、僕にそう言ってくる。 「のむらかなえちゃんだよ」 妻の言葉に連れて、娘がそう言ってきた。 「それでサインがほしいのか?」 「うん、ほしい」 「そうか、もらえるといいな」 「もう、あなたったら、そんな簡単にもらえないわよ」 「それもそうだな」 僕は娘と妻と一緒になって、そんな何気ない会話をしている。 それは、僕にとって癒やしでもあった。 僕は幸せ者だ。 つくづくそう思ってしまう。 「ちょっとトイレに行ってくる」 僕はそう言って席を立った。 トイレに入って、蓋を閉めた状態で便座に座る。 トイレに行きたい理由(わけ)ではなかった。 僕には誰にも話していない事がある。 もちろん、妻と娘にも話していない。 一人でこの幸せを噛みしめている。 僕はポケットから財布を取り出し、その中からラップで包んだ1枚の紙を手に持った。 『のむらかなえ』 紙にはそう書かれている。 あの時、遊園地で迷子になり、パニックになっていた女の子だ。 迷子センターを出ようとした僕に「お兄ちゃん」と言って、この紙を渡してくれたのを思い出す。 この紙をもらってから僕の幸せが始まった。 「大きくなったな」 僕はこの紙を見ながらそう呟く。 彼女は幸運を呼び込む女の子だ。 僕はその紙を財布にしまう。 これからもこの紙を大事にしながら、僕は彼女を陰ながら応援していくことを決めた。
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