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第十八章 心の姿
「先ずお二人が初めて行ったあのレストラン」
「Lonely boyですね」
「ええ、彼も大好きな場所だった。マスターとも懇意だった」
「はい」
「そんな場所だからこそあなたを連れて行きたかった。そしてマスターにも紹介したかった」
「はい」
「そしてあなたがあそこでイメージしたのは海だった」
「はい。あそこは海をイメージするんです。それはきっとあのお店に行った後には必ず海に行ったからだと思うんです」
「海、しかしそれはSeaではなくOceanです」
「それってあのパネルの?」
「ええ」
「でも何故?」
「それからあなたは海でボードの大会の話をした。その時彼が最後の大会で優勝したのでしたね。そして勝利のVサインをした写真があなたの部屋にもあった」
「ご覧になられましたか?」
「はい。あなたを助けた時に拝見しました。素晴らしい笑顔で写っていますね」
「はい。私が大好きな彼の写真です。でもあれを最後に彼は二度とボードに乗らなくなってしまったんです。悲しいです。と言うか申し訳ないです。私は身体が弱くて日が照ってる海には行けないし、海に入れないし、泳げないし」
「でも彼はあなたの身体が強くはないことを承知されていたのですね」
「はい」
「二人の子どもの話とかはされていましたか?」
「はい」
「どんな風に?」
「私、多分産めないって」
「そうなんですね」
「でも彼はそれでもいいって」
「あの家に子ども用の玩具とか全くなかったのでもしかしたらって思いました」
「そうだったんですね」
「勿論あなたと二人での生活に当初は子どものことなんて考えてないということも考えられましたが」
「先生はそこまで見通して」
「もしかすると彼は最初からあなたの余命を知っていたんじゃないですか?」
「え?」
「と言うか、病気で寿命が長くないということではなくて、そもそもあなたは寿命が長くない女性だというふうに捉えていたのではないかなと」
「あ」
「何か思い当たりますか?」
「いえ」
「何も?」
そこでその人は何か少し考えるような間をおいてしゃべりだした。
「最初に海に行った時でした。私たち車の中でなんとなくそんな気分になって」
「はい」
「でも突然私発作を起こしてしまったんです」
「大丈夫でしたか?」
「暫く車の中で安静にしてました。翌朝病院へ行こうと彼が言ったのですが、私は大丈夫だからって言って」
「そんなことがあったんですね」
「彼が聞いて来たんです。身体大丈夫?って」
「私は正直にあまり強くないって話しました。身体が弱いのは小さい時からです」
「それじゃあそれは病気とは関係なしに」
「はい」
「それで彼は私の部屋にも行かないねって」
「それは?」
「もしそういう気分になったらお互い悲しい思いをするだろうからって」
「そうだったんですね」
「車の中は窮屈だけど、自分の部屋だとくつろいじゃうし、安心しちゃうでしょう。だから大丈夫かなって思ってそれで命取りになっちゃうから」
「なるほど」
「それで余命宣告をされた時、きっと身体が弱いから仕方がないんだって思ってました」
「はい」
「それでこんな私にずっと彼をつきあわせてはいけないって思ったんです」
「わかります」
「でも病気が治って気分が落ち着くとやっぱり彼に会いたくなって」
「はい」
「でももう全てが遅かったんだなって」
「皆神さん」
「……」
「皆神さん、よく聞いてください」
「はい」
「彼の心はあなたとありますよ」
「え」
「彼の心は今でもあなたと一緒です」
「ほんとですか?」
「はい」
「ほんと?」
「ええ」
「どうして?」
「Lonely boyのL」
「L?」
「OceanのO」
「……」
「それから最後のボードの大会での勝利、つまりVictoryのV」
「あなたのことをそう愛らしく呼んでいたearly birdのE」
「はい」
「つなげるとLOVEです」
「え」
「つまりあのLonely boyのパネルの仕掛けはこれをあなたに気付かせるためだったと思えるのです」
「でも、これは彼が遺書を書く前でした。もしそうだとしても、その思いはあの遺書によって翻されたのです」
「いいえ」
「え?」
「遺書にはなんて書いてありましたか?」
「Unionです」
「そう。つまりLOVE Uですよ」
「あ」
「あなたを愛してるという意味です。それは遺書を書く時も変わらなかったのです」
「ほんとに?」
「ええ」
その時その人はその場に泣き崩れた。私と鈴木はその彼女の姿をじっと見守っていた。私はこれでもうその人が自分の命を縮めることは二度としないでくれるだろうかと願っていた。
「でも」
暫くして彼女が落ち着いたので、そろそろそこを引き上げようとした時だった。
「でもそれなのにどうして彼は自殺なんかを」
私はその人の一言で再びそこを動けなくなってしまった。
「それはあなたの傍に行きたいと思ったからでしょうね」
「だったら私も彼の傍に行きたい」
「心中に執りつかれる人は、それはこの世で一緒になれなかった二人が来世で一緒になれるからという言い伝えがあるからです。でもこの世で一緒になれるんだったらそれに越したことはないですか?」
私は最後にそう言うとその病室を後にした。その人は私の言った意味が理解出来ないような顔をしたが、それでも深々と頭を下げて私たちを見送った。
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