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五グラムのタッチ
第一章 依頼
「先生、お客様が見えています」
私が事務所に到着すると助手の鈴木が久しぶりにそう言って私を迎えた。依頼人は三十代半ばくらいの少し力のない感じのきれいな女性だった。
「先生、探し物の依頼なんです」
「探し物?」
私は鈴木にしては珍しい依頼人を招き入れたと思った。
「それがどこの探偵事務所でも断られたということで、それで」
私は鈴木のその一言で彼女が同情心からこの依頼を受けようと思ったのだとわかった。
「それでその探し物とはいったい何なのですか?」
私は目の前でずっとうつむいたままのその人に初めてそう声を掛けた。
「心なんです」
「心?」
「はい。彼の心を探して欲しいのです」
「彼の心?」
「はい」
私はその言葉にさすがに驚いた。
「その彼とは?」
「私の婚約者でした」
「でした?」
「はい」
「すると過去形なのですね?」
「はい」
私は振られた女が自分を振った男に今でも未練を抱いているのだろうかと思った。
「しかし、今更その人の気持ちを知ってどうするんですか?」
「それは……」
するとその人は私の言葉に再びうつむいてしまった。
「踏ん切りをつけたいのですよね?」
それは鈴木の出した助け船だった。
「踏ん切り?」
「はい。その人を忘れて新しい出発をするためなのですよね?」
私は鈴木の言葉になるほどなと思った。
「そういうことですか?」
私は鈴木から再びその人に向き直ってそう尋ねた。するとその人は声には出さずにうなずいた。
「わかりました。それでしたら引き受けましょう」
「ほんとですか」
すると私の言葉にその人は急に顔を上げて私を見た。
「ええ。ストーカーみたいなことのお手伝いは出来ませんが、あなたの新しい出発の手助けなら喜んで引き受けます」
「ありがとうございます」
その人は涙ぐんでいた。それでいくつもの事務所で断られてやっとここに辿り着いたのだろうと想像した。
私はこうして皆神さんの依頼を受けることになったのだった。
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