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第十三章 愛の結晶
「お兄さんと皆神さんが付きあっていたのはどれくらい前なのですか?」
私はお通夜のような状態になっている車中にいくらかでも活気を取り戻そうと話を切りだした。
「約七年前です」
「七年?」
「ええ、それがどうかしましたか?」
「七年前だったんですね」
私はその人の話し方からせめて半月くらい前の話だろうと想像していた。七年前の心を今になって探すのかと改めて思った。そして同時に七年も前のことを今更どうして探すのだろうかと思った。
「あの家です」
その家は意外にもその人のマンションから近かった。その家にはカースペースがあったので、私はそこに車を入れた。
「この家を兄は買ったのですが、ここにはほとんど住んでいなかったようです」
「と言いますと?」
「家具とかは搬入していますが、住んだ様子がなかったので」
「そうなんですか」
「ええ、水道や電気も通っていませんでした」
「なるほど」
「登記簿によると築二年です」
「すると……」
そこで私は時系列を頭の中で組み立てた。彼とその人が付きあっていたのが七年前、この家が二年前に建ち、今になってその人が彼を捜し始めた。すると二人が別れたのはいつなのだろうかと思った。
「どうせだから中も見て行きますか?」
「是非」
私はその家に入ると初めにピンクのカーテンに驚いた。しかし新婚の二人が住み始めるにはこんなものなのかもしれないと思った。
「家は人が住まないと傷むといいます。それで今は週に何度か僕がここを訪れてるんです」
「なるほど」
彼はキッチンの冷蔵庫から缶コーヒーを取り出すとそれをみんなが座っているテーブルに持って来た。
「まあピンクのカーテンにはちょっと参りますが、飽くまで兄の家ですから、僕は一切手をつけていません」
「お兄さんの趣味ですか」
私は改めてそのカーテンを見た。
「毒は入ってないからどうぞ」
彼はそう言ってみんなにコーヒーを勧めるとそのテーブルについた。
「皆神さん、私も詳しいお話を聞いてないことがいくつかありました。それでお伺いしたいのですが、あなたと彼が別れたのはいつなのですか?」
「僕は七年前と聞いてる」
それには彼が即座に答えた。
「そうですか?」
するとその人は黙って頷いた。
「では七年前にお付き合いされていて、七年前に別れて、それでこの家は二年前に建てられて、そして今になってあなたが彼の行方を捜しているということになりますね」
「でもどうして今更彼を?」
それは鈴木だった。それは私も知りたかった。しかしその質問にはその人は答えなかった。それで暫く沈黙が流れた。私はもう少し時間を掛けてから改めてこの質問をしようと思い、違うことを聞こうと思った時だった。
「今日」
するとその人は今日、と言ってようやく話を始めた。
「今日行った海で」
「あの海で?」
「私から別れを切りだしたんです」
「あなたから?」
「はい」
「ほら、僕が言った通りだろ?」
「それはどうして?」
「私、その頃どうにも身体がいうことをきかなくなっていて、家で療養していたんです」
「でも彼とはよく出掛けていらしたのでは?」
「知り合った頃はそうでした。でも彼と知り合った位からどんどん体調が悪くなって」
「そうだったんですか」
「それで海に車で連れて行ってもらうのが最後の方のデートだったんです」
「なるほど」
「海は好きでした。でも車の移動さえもたいへんになって来て」
「何か御病気でも?」
「それで病院に行って検査をしたんです」
「それで?」
「余命一年と言われました」
「え」
「それで私、彼の前から消えたのです」
今までそっぽを向いていた彼が神妙な表情をしてその人を見ていた。
「嘘だろ?」
彼はそう言ったものの言葉に力はなかった。
「彼も若かったし、まだまだ未来がありました。それで私のことでつまずいてはいけないと思ったんです」
「あなたも辛かったでしょう」
私はふとそう思ったことを口にした。
「私は死ぬだけの身です。それよりも残された潤也さんの方がどれほど辛かったか」
七年経って今更、それはこの心境に至るまでには必要な時間だったのだろうと思った。余命一年と言われて、先ず自分の死を嘆き、運命を呪い、彼から離れなくてはならない悲劇にどれほど涙したかと思った。
「でも私一年して死ななかったんです」
「それは?」
「治療が功を奏したようです。でも再発の危険があると言われて」
「なるほど、ではその危険もようやく去ったのですね」
「はい。でも再発の危険が去っても当時は全くの無気力でした」
「わかります」
「彼がいなくなって、いいえ私が彼から離れて、彼を失って、それで命は長らえたものの、まるで死んでるようでした」
「それはいつの頃ですか?」
「きっとこの家が建った頃だったと思います」
「二年前ですか?」
「はい」
「ならその時兄の前に現れたら、兄は死なずに済んだんじゃねえかよ!」
そのことを聞いていきなり彼が大きな声を出した。
「ごめんなさい。でも私には今更彼に会わせる顔がなくて」
「恐かったのですね」
「はい」
「あなたはまさか彼が亡くなってるとは思わなかったから、彼の心を確かめてから会いたかったのですね。それで私を訪ねて来られたのですね」
「はい」
「確かめて違ってたら会わねえのかよ。まず会って謝るのが筋だろ!」
「ごめんなさい」
「兄に謝れよ!」
「それでどうでしかた?」
「え?」
「あなたは彼の心をどう思いましたか?」
「この家を初めて見た時に」
「はい」
「屋根の色が緑で、壁の色がクリーム色で、そして郵便ポストが黄色いアメリカンタイプで、そしてカーテンがピンクでした」
「そうでしたね」
「これらはみんな私がこうしてって言ったものなんです」
「あなたが?」
「はい」
「それでしたら彼の心はまだあなたの元にあったのですよ」
見ると鈴木も頷いていた。
「ここが彼とあなたの愛の結晶だと言えませんか?」
「愛の結晶?」
「ええ、あなたが探してたものって、つまりこれだったのではないですか?」
「あ」
「でしょう」
その時、その人が一瞬笑ったように見えた。私はやっと探し物が見つかったような気がした。
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