ご馳走よりおいしい物

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 むか~しむかし、今の世をスキャンダラスに騒がせる松本人志も顔負けの多情な殿様がおったそうな。それはそれはもうお盛んで大奥の奥方連だけでは飽き足らず全国の小町娘を家来に呼び寄せさせては枕を交わしておった。  そんな折、城下町で妙な噂が立った。ご馳走よりおいしい物を差し上げましょうと言って美女が乞食を誘うというのだ。  その噂を聞きつけた殿様は美女には目がないもんだから興味津々になって、どうしたら良いものかと必死こいて考え、考え、考え抜いた。  で、ある日、矢も楯もたまらず殿様は馬を走らせ城を飛び出した。  目当ては乞食だ。驚くことに聞いて回った乞食の多くが夕暮れ時に誘われて美女と閨を共にしたと言うのだ。  そうと分かれば殿様は一夜だけ身代わりになれと言って顔や背格好がくりそつな乞食と衣服を取り替え、髷を切った。代わりに髷を結ってやった乞食を馬に乗せ、城門前まで来ると乞食と共に馬を降り、乞食に馬を引かせて城に入るよう命じた。  その後、殿様は乞食がいた所に引き返し、日が暮れるまで待った。しかし、とっぷり暮れてからも美女は現れなかった。そして何日経っても現れなかった。  その間、乞食はこれ幸いと殿様の正妻や側室それに小町娘と閨を共にすることが幾度もあったが、かの美女の飛び抜けた美しさが忘れられず、どれも物足りないのであった。  諦めて城に引き返すも殿様とは認めてもらえず強引におっぱわれ乞食生活を引き続き余儀なくされることになった殿様は、おなごを味わいたくても味わえないどころか食うや食わずの日々を送った。  而してかれこれ10余年の歳月を経た、ある夕暮れ時、いつものように道端に座り、お恵みを待つ乞食と化した殿様の前に足音が止まった。  俯いていた殿様はその足元を見て久方ぶりに時めいた。高貴な感じのする艶やかなおなごの履物そして着物の裾。  まさかと思って顔を上げてみると、魂消たことに目も覚めるような見目麗しき美女が立っていた。 「ご馳走よりおいしい物を差し上げましょう」  その美声を聞いて、こ、これだと殿様は思い出したように歓喜し、昂ぶる余り痩せこけた全身を小刻みに震わせながら立ち上がった途端、でれっとして誘われるがまま美女の後をついて行った。  やがて見たこともない幻想的な館に辿り着いた。そこで殿様は美女のもてなしを受け、十何年ぶりに酒まで味わえ、ほろ酔い気分で美女と閨に就いた。  それはもう正しく美女の言うとおりご馳走よりおいしいもので、さあ存分に召し上がれと美女が長襦袢の衿を開いて芳醇な香りのする熟し切った、たわわに実る果実の如き逸品を見せると、殿様はそれを始め三十二相揃った女体の黄金比をもう死んでも良いと思いながら無我夢中で味わうのだった。  夢のような時間は幻のように儚く過ぎ去り、気づくと殿様は道端にごろりと横になっていた。  夜明け前で辺りはまだ真っ暗だった。そのように乞食になってからというもの真っ暗な生活を送り、上辺だけで判断したり身分によって態度をがらりと変えたりする人間性を痛いほど味わい、余は殿様じゃと言っても信じてもらえる筈もなく寧ろキ印扱いされ、死ぬほど虐待を受けて来たが、毎晩こんな心尽くしのお色気尽くしの招待に与れるなら否、一年に一度でも与れるなら乞食のままでも良いとさえ殿様は思った。多情だったのに美女しか眼中にないとは言うなれば健気なものだ。しかし、爾来、美女は二度と現れなかった。それでも殿様は乞食が美女を追い求めるように毎晩一途に期待するのだった。  思うに美女は済度しがたい哀れな男に一夜の夢を授ける観音様の示現した姿だったのだろうか…。
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