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わからないのは、久我の瞳が普段は細くないことだった。久我は、林田忠臣班長に憑いているオルタを自分に寄生させればよかったと言っていた。
ゾフはオルタを発見したが、オルタの姿を公表していない。正直に表すならば、彼はオルタを透明の瓶に入れて持ってきたのだが、そこには何も入っていなかったのだ。テレビの画面越しだったが、響にも見えなかった。
彼はこう説明した。オルタは見えないが、周辺の分子の状態が違うことで存在を確認できるのだと。
見えないオルタを久我が捕らえ、自らに寄生させることは不可能だ。久我の発言に班の皆は疑問を抱かなかった。ゾフもゼアたちも知っているのだとしたら、彼らが手伝っているのではないか。
寄生という言葉に良い感情はない。もし、ゾフが絡んでいるなら、実験も踏まえていると考えた方が適切だ。久我がそのような扱いを受けていることに心が軋んだ。
オルタに憑かれても、憑かれていない人のように生きている人たちもいる。
けれど、精神が壊れる人たちもいるのだ。
久我が疲弊しているのは、オルタを寄生させているからではないのか。
やめさせないと。
拳を握りしめた瞬間、視線を感じ、振り返った。ゾフは視線を逸らそうとしなかった。
獣人が重々しい息を吐きだす。
「退勤時間だ。今日はこれで解散しよう。夜間、何かあれば、招集をかける」
「わかりました」
そう言ったのは響だけだった。
「私は研究室へ行く」
ゾフが書類をまとめ、立ち上がる。
「僕はノアが調子を取り戻すまでここにいる」
ゼアがノアの髪を触りながら言う。
「わかった」
ゾフは応えると、久我を見た。
「メンテナンスの時間をとる」
「はい」
久我が沈んだ顔で腰を浮かす。
響は咄嗟に久我とゾフの間に割って入った。
「メンテナンスって何ですか? 久我さんは機械ではありません。あなたは医師でなく、オルタの研究者です。久我さんに何をしようとしているんですか? 久我さんが苦しむことであるなら、俺が断固拒否します」
場の空気が凍りついた。
「君は久我ではないが?」
ゾフの声は落ち着いていた。
「久我さんが言えない状況だと判断したので、俺が拒否します」
獣人は感情を表に出さず、響を見つめた。
桐谷、と久我に腕を掴まれる。
「ごめん。俺の自虐ネタがいけなかったんだよな。俺は平気だから、何も心配すんな」
そんな自己犠牲の潜んだ眼差しで言われて、そうですかと引き下がれるわけがない。
「嫌です」
「子どもみたいなこと言うな」
久我がそう早口に呟く。
ガッカリされた?
この場に相応しくない態度をとったから?
ゾフが歩き出す。久我が彼を追おうとする。
オルタと久我の関係も、そこにゾフたちが関与していることも、すべては響の予想でしかない。今日、来たばかりの立場だ。久我が言う通り、知らないことがほとんどだ。
いつもなら下手な動きをせず、周囲の様子を観察しただろうな。
響は未来の自分に対し自嘲した。愚かな行為をしようとしている。これまでの経験がそう述べていた。だけど、今、行動しなければ、一生後悔をする。
響は久我の腕を握った。
「お願いです。行かないでください」
ほら、お前が場違いなことを言うから、大好きな人が困っている。訂正するなら、今だ。まだ間に合う。
思うのに、久我をとらえる手に力が入る。
「久我さんの体調が切迫した状況であるなら、俺も一緒に行きます」
「な!? おかしいだろ? 家族でもないのに」
「じゃあ、家族にしてください。今、ここで」
「お前、無茶苦茶だ」
そんなこと自分が一番よく理解している。
それでも、怯むな。引いたらこの場の雰囲気に流される。抵抗し続けなければ、爪痕すら残せない。久我を気にしている人間が少なくとも一人はいるのだと覚えていてほしい。
「何と言われようと、あなたが傷ついていないことを、この目で確認するまで、この手は放しません」
「いい加減にしろ! 放せよ!」
「久我さんが負っているものを明かしてくれることが先です」
「なんでだよ? 好きだって言えば、何でも許されると思うな!」
久我からの罵倒が痛い。
響は落ち着くために息を吸った。
「俺は解放する条件を言いました。ボールは久我さんが持っています」
久我は何かを言いかけ、口を紡ぐと、下を向いた。
「そうやって荻原さんも誑かしたのか?」
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