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ギョッとした。
「荻原がどうして出てくるんですか?」
「彼女が想ってくれていたこと、知っていたんだろ? なのに、何もなかったって、お前は言った。本当に何もなかったなら、罪滅ぼしなんて考えない」
「だからそれは、俺が彼女にできたことを、しなかったから」
「なんで彼女だけに拘る? お前ができることをしてやらなかった人間なんて、たくさんいただろ? 俺だってそうだ。ううん。みんなそうだ。この世界は、してあげられないことの方が多いんだ。でも、桐谷は荻原さんのためにここに来た。彼女が特別だから過去を払拭するために」
どうして、久我は百合に執着するのだろう。
「話を戻しますが、俺は荻原を誑かしてなんかいません」
「お前が思ってなくても、相手は誤解したかもしれない」
自分の行動を否定されたようで、ショックだった。
「久我さんは俺の態度に問題があったって言いたいんですか?」
響が肩を落とすと、久我の勢いが失速した。
「あ……。俺。……そうじゃなくて」
「嫉妬したんだろ」
ノアはそう言ったあと、すぐにココアを啜った。
久我が顔を赤らめる。
響は目を見開いた。
「そうなん」
「そうなんですか、とか言うなよ。デリカシーあんだろ、お前にも」
ノアから釘を刺され、言葉を飲み込む。
ノアは息をつき、カップを机に置くとゾフを振り返った。
「さっきした俺からのアプローチで、久我の体は持ち直してる。俺が保障する」
「僕もノアに同意する」
ゼアがゾフに微笑む。
ふたりからの圧を受けてゾフは「わかった」と頷き、久我に視線を移した。
「お墨付きをもらった。今日は帰っていい」
「……わかりました。お先に失礼します」
久我は俯き加減に応え、ジャンパーを引っ掴みんで部屋をあとにした。
ドアの閉まる音に我に返る。
響は三人に頭を下げ、急いで廊下へと出た。
久我は部屋の前に立っていた。動こうとしない相手に戸惑い、声をかけるが、彼は唇を噛むだけで返事をしてくれない。
「あの」
「俺は違うから!」
大声にびくっとした。
「俺は荻原さんじゃないから!」
「知っています」
当たり前だ。
「ほだされてないから!」
久我がカッとしてこちらに突っかかってくる。
脳に一筋の光が射しこんだ。
久我の手を引き、階段の下にある空いた空間まで走る。死角になり、他者から見られない壁と、自分の両腕で久我を囲った。
「なにすんだ?! どけ!」
怒鳴られているのに、久我の赤らんだ顔に見入ってしまう。
「嫌です」
「嫌だ嫌だって、何なんだよ、お前は!」
「もっと見せてください」
「何を?」
久我が眉を吊り上げる。
「俺のことを考えて、赤くなってる久我さんの顔」
「赤くなってない! 都合よく解釈すんな!」
「はは。そうですね」
響は泣きそうな表情で笑い、久我の肩に額を触れさせた。
「ごめんなさい。少しだけ、こうしていて」
久我が息をつめる。
「気持ち悪くないですか?」
「なにが?」
響は距離を持った。
「俺はアルファで、久我さんの番じゃないから」
久我の表情が曇る。
「もちろん、番じゃなくても、恋人も、その先も諦めません」
久我の瞳が揺れる。彼は困ったように笑んだ。
「馬鹿だな、お前。俺なんかに必死になって」
久我の笑顔が幸せそうに見えて、うれしくて、響も笑った。
「久我さんは俺をなかったことにしない。嫉妬も、馬鹿って言葉も、今、あなたが与えてくれた意味なら、俺、すごく幸せです」
「ホント、変な奴」
久我は甘く笑み、響の後頭部に手をやると、自分の肩口へと誘った。響の額が久我の肩に触れる。
「これくらいなら、なんともない」
ぬくもりと香りが心地よくて、響は瞼を閉じた。
この時間が一生続けばいいのに。
いや、一生続くよう、俺が行動すればいいんだ。
響はゆっくりと瞼を上げた。
久我をM区の官舎まで送ったあと、響は実家の自室へ向かった。押し入れに仕舞ってあった高校の制服を適当な紙袋に入れ、今寝泊まりしているマンションへと急いだ。
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