1・フォーカス(前)

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 ギョッとした。 「荻原がどうして出てくるんですか?」 「彼女が想ってくれていたこと、知っていたんだろ? なのに、何もなかったって、お前は言った。本当に何もなかったなら、罪滅ぼしなんて考えない」 「だからそれは、俺が彼女にできたことを、しなかったから」 「なんで彼女だけに拘る? お前ができることをしてやらなかった人間なんて、たくさんいただろ? 俺だってそうだ。ううん。みんなそうだ。この世界は、してあげられないことの方が多いんだ。でも、桐谷は荻原さんのためにここに来た。彼女が特別だから過去を払拭するために」  どうして、久我は百合に執着するのだろう。 「話を戻しますが、俺は荻原を誑かしてなんかいません」 「お前が思ってなくても、相手は誤解したかもしれない」  自分の行動を否定されたようで、ショックだった。 「久我さんは俺の態度に問題があったって言いたいんですか?」  響が肩を落とすと、久我の勢いが失速した。 「あ……。俺。……そうじゃなくて」 「嫉妬したんだろ」  ノアはそう言ったあと、すぐにココアを啜った。  久我が顔を赤らめる。  響は目を見開いた。 「そうなん」 「そうなんですか、とか言うなよ。デリカシーあんだろ、お前にも」  ノアから釘を刺され、言葉を飲み込む。  ノアは息をつき、カップを机に置くとゾフを振り返った。 「さっきした俺からのアプローチで、久我の体は持ち直してる。俺が保障する」 「僕もノアに同意する」  ゼアがゾフに微笑む。  ふたりからの圧を受けてゾフは「わかった」と頷き、久我に視線を移した。 「お墨付きをもらった。今日は帰っていい」 「……わかりました。お先に失礼します」  久我は俯き加減に応え、ジャンパーを引っ掴みんで部屋をあとにした。  ドアの閉まる音に我に返る。  響は三人に頭を下げ、急いで廊下へと出た。  久我は部屋の前に立っていた。動こうとしない相手に戸惑い、声をかけるが、彼は唇を噛むだけで返事をしてくれない。 「あの」 「俺は違うから!」  大声にびくっとした。 「俺は荻原さんじゃないから!」 「知っています」  当たり前だ。 「ほだされてないから!」  久我がカッとしてこちらに突っかかってくる。  脳に一筋の光が射しこんだ。  久我の手を引き、階段の下にある空いた空間まで走る。死角になり、他者から見られない壁と、自分の両腕で久我を囲った。 「なにすんだ?! どけ!」  怒鳴られているのに、久我の赤らんだ顔に見入ってしまう。 「嫌です」 「嫌だ嫌だって、何なんだよ、お前は!」 「もっと見せてください」 「何を?」  久我が眉を吊り上げる。 「俺のことを考えて、赤くなってる久我さんの顔」 「赤くなってない! 都合よく解釈すんな!」 「はは。そうですね」  響は泣きそうな表情で笑い、久我の肩に額を触れさせた。 「ごめんなさい。少しだけ、こうしていて」  久我が息をつめる。 「気持ち悪くないですか?」 「なにが?」  響は距離を持った。 「俺はアルファで、久我さんの番じゃないから」  久我の表情が曇る。 「もちろん、番じゃなくても、恋人も、その先も諦めません」  久我の瞳が揺れる。彼は困ったように笑んだ。 「馬鹿だな、お前。俺なんかに必死になって」  久我の笑顔が幸せそうに見えて、うれしくて、響も笑った。 「久我さんは俺をなかったことにしない。嫉妬も、馬鹿って言葉も、今、あなたが与えてくれた意味なら、俺、すごく幸せです」 「ホント、変な奴」  久我は甘く笑み、響の後頭部に手をやると、自分の肩口へと誘った。響の額が久我の肩に触れる。 「これくらいなら、なんともない」  ぬくもりと香りが心地よくて、響は瞼を閉じた。  この時間が一生続けばいいのに。  いや、一生続くよう、俺が行動すればいいんだ。  響はゆっくりと瞼を上げた。  久我をM区の官舎まで送ったあと、響は実家の自室へ向かった。押し入れに仕舞ってあった高校の制服を適当な紙袋に入れ、今寝泊まりしているマンションへと急いだ。
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