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「かわいいよ。知能のないオルタの生息場になってくれる人間なんて、そういない。もちろん響にも言うんだろ? 大丈夫かなあ、彼。立夏の体がオルタで満たされているって知っても、立夏を変わらず愛せるかな?」
息が一瞬とまった。
「ゼア!」
ノアが車を止める。
彼はハンドルを握ったままゼアを睨みつけた。
「らしくないぞ」
ゼアが目を細め、唇を伸ばす。
「聞くけどさ、僕らしいって何? ノアが思う僕のイメージじゃなかっただけでしょ?」
「お前は人を無闇に傷つけたりしない」
ゼアが口角を上げ、首を傾げる。
「ふうん。それがノアの中の僕? ノアは人間臭いのが好きなんだ? じゃあ、こう言っておこうかな。響が感情的なタイプだったから、影響を受けた。これで僕らしさは守られる?」
ノアの眼差しが、さらにきつくなる。
「人間だって同胞を傷つける。俺はゼアが理由もなくしないって言ったんだ」
「じゃあ、理由があったってことだ?」
ゼアは口だけで笑んだ。目はノアを上から観察している。
「わかった。何か言いたいことがあるなら、俺が聴いてやる。ゼアは久我のことを嫌いじゃないはずだ。桐谷だって日が浅いだけで、関わる時間が長くなれば打ち解けられる」
「僕は響も嫌ってないけど?」
ゼアの笑みが濃くなる。
なるほど、とノアは息をついた。
「信じてないでしょ?」
ゼアがくすくすと笑う。
「信じてる。ゼアが許せないのはゼア自身なんだな」
ノアの言葉の意味を、立夏は理解できなかった。
だが、ゼアはノアが言いたいことを汲み取ったらしい。ノアを半眼で見つめた。
「そうなんだな……」
ノアが苦々しい表情をする。ゼアは視線をノアから外し、また戻した。
「僕の反応を見るために、知ったかぶりを披露したんだ? 良い趣味してるね」
「ゼアが何も言ってくれないからだろ? ガキの頃から一緒にいるのに、俺は鎌をかけるような真似でもしなきゃ、ゼアのことを知る術がないからだろ!」
「知らなくていい。望んでいない。本人が言っているんだから今のままで問題ない」
ノアが頬を釣り上げる。
「ああそうかよ。こんの、いくじなしが!」
「どうとでも言えばいい」
立夏が口を挟む隙もない。
かつて二人がこんなにも言い争っているのを見たことがなかった。
ノアが悲し気に俯く。
「ゼアは俺が生き延びる道を見つけてくれた。生涯をかけてもいいほどの、大きな恩だ。お前が望まなくても、俺は返したいと思ってる」
ふうん、とゼアは可笑しそうに応えた。が、次の瞬間にはノアを煽るように見た。
「なら、僕に求婚してみせて」
「は?」
ノアならず、立夏も自分の耳を疑った。
「響が立夏にしたみたいに、必死に僕を求めてみせろよ。したいんだろ? 恩返し」
ゼアが無表情で畳みかける。
「求婚がゼアへの恩返しになるのか?」
ノアが混乱気味に問う。
ゼアは冷めた眼差しでノアを捉えた。が、立夏はゼアに対し、違和感を抱いた。その理由を探そうとゼアの姿を視線でなぞり、彼の指まで来たとき、目を見開いた。ゼアの指は小さく揺れていた。ゼアはふざけていないし、ノアを困らせたいわけでもない。指が震えるほど緊張しているのだ。
「しないの? 恩返し」
「恩返しじゃしない。仕事が終わったら話したい」
ゼアは息をつくと視線を逸らした。
彼の震えがピタリと止まる。
「話さなくていい。期待してない」
「なんだよ、それ」
ノアが怒鳴る。
ゼアはシートベルトを外して車外へと出た。
「気にしないで。言ったでしょ? 響にあてられたんだ。情熱的な人間の真似をしたかっただけだよ」
違う。でも、それは立夏が言うべきではない。
「頭を冷やすから時間頂戴」
「ゼア、ちゃんと話を」
「立夏」
ゼアはノアの言葉を遮り、こちらの名を呼んできた。
「ごめん。八つ当たりした。響は立夏の運命の輪だ。立夏が望むなら手を伸ばせばいい。オルタは」
ゼアはそこで言葉を区切り、下を向くと寂し気に笑んだ。
「立夏が抱えたオルタくらいなら、僕が相殺できる」
相殺? 何と?
ゼアがいつものように優しく微笑む。
「僕がぐだぐだ言っちゃったから時間をくっちゃったね。早く響のところへ行かないと。説明は」
ゼアがちらりとノアを窺う。
「俺がする」
ノアは噛みしめるように応えた。
「ん。よろしく」
ゼアは唇を伸ばすと、ドアを閉め、公用車から離れていった。
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