1・フォーカス(前)

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「かわいいよ。知能のないオルタの生息場になってくれる人間なんて、そういない。もちろん響にも言うんだろ? 大丈夫かなあ、彼。立夏の体がオルタで満たされているって知っても、立夏を変わらず愛せるかな?」  息が一瞬とまった。 「ゼア!」  ノアが車を止める。  彼はハンドルを握ったままゼアを睨みつけた。 「らしくないぞ」  ゼアが目を細め、唇を伸ばす。 「聞くけどさ、僕らしいって何? ノアが思う僕のイメージじゃなかっただけでしょ?」 「お前は人を無闇に傷つけたりしない」  ゼアが口角を上げ、首を傾げる。 「ふうん。それがノアの中の僕? ノアは人間臭いのが好きなんだ? じゃあ、こう言っておこうかな。響が感情的なタイプだったから、影響を受けた。これで僕らしさは守られる?」  ノアの眼差しが、さらにきつくなる。 「人間だって同胞を傷つける。俺はゼアが理由もなくしないって言ったんだ」 「じゃあ、理由があったってことだ?」  ゼアは口だけで笑んだ。目はノアを上から観察している。 「わかった。何か言いたいことがあるなら、俺が聴いてやる。ゼアは久我のことを嫌いじゃないはずだ。桐谷だって日が浅いだけで、関わる時間が長くなれば打ち解けられる」 「僕は響も嫌ってないけど?」  ゼアの笑みが濃くなる。  なるほど、とノアは息をついた。 「信じてないでしょ?」  ゼアがくすくすと笑う。 「信じてる。ゼアが許せないのはゼア自身なんだな」  ノアの言葉の意味を、立夏は理解できなかった。  だが、ゼアはノアが言いたいことを汲み取ったらしい。ノアを半眼で見つめた。 「そうなんだな……」  ノアが苦々しい表情をする。ゼアは視線をノアから外し、また戻した。 「僕の反応を見るために、知ったかぶりを披露したんだ? 良い趣味してるね」 「ゼアが何も言ってくれないからだろ? ガキの頃から一緒にいるのに、俺は鎌をかけるような真似でもしなきゃ、ゼアのことを知る術がないからだろ!」 「知らなくていい。望んでいない。本人が言っているんだから今のままで問題ない」  ノアが頬を釣り上げる。 「ああそうかよ。こんの、いくじなしが!」 「どうとでも言えばいい」  立夏が口を挟む隙もない。  かつて二人がこんなにも言い争っているのを見たことがなかった。  ノアが悲し気に俯く。 「ゼアは俺が生き延びる道を見つけてくれた。生涯をかけてもいいほどの、大きな恩だ。お前が望まなくても、俺は返したいと思ってる」  ふうん、とゼアは可笑しそうに応えた。が、次の瞬間にはノアを煽るように見た。 「なら、僕に求婚してみせて」 「は?」  ノアならず、立夏も自分の耳を疑った。 「響が立夏にしたみたいに、必死に僕を求めてみせろよ。したいんだろ? 恩返し」  ゼアが無表情で畳みかける。 「求婚がゼアへの恩返しになるのか?」  ノアが混乱気味に問う。  ゼアは冷めた眼差しでノアを捉えた。が、立夏はゼアに対し、違和感を抱いた。その理由を探そうとゼアの姿を視線でなぞり、彼の指まで来たとき、目を見開いた。ゼアの指は小さく揺れていた。ゼアはふざけていないし、ノアを困らせたいわけでもない。指が震えるほど緊張しているのだ。 「しないの? 恩返し」 「恩返しじゃしない。仕事が終わったら話したい」  ゼアは息をつくと視線を逸らした。  彼の震えがピタリと止まる。 「話さなくていい。期待してない」 「なんだよ、それ」  ノアが怒鳴る。  ゼアはシートベルトを外して車外へと出た。 「気にしないで。言ったでしょ? 響にあてられたんだ。情熱的な人間の真似をしたかっただけだよ」  違う。でも、それは立夏が言うべきではない。 「頭を冷やすから時間頂戴」 「ゼア、ちゃんと話を」 「立夏」  ゼアはノアの言葉を遮り、こちらの名を呼んできた。 「ごめん。八つ当たりした。響は立夏の運命の輪だ。立夏が望むなら手を伸ばせばいい。オルタは」  ゼアはそこで言葉を区切り、下を向くと寂し気に笑んだ。 「立夏が抱えたオルタくらいなら、僕が相殺できる」  相殺? 何と?  ゼアがいつものように優しく微笑む。 「僕がぐだぐだ言っちゃったから時間をくっちゃったね。早く響のところへ行かないと。説明は」  ゼアがちらりとノアを窺う。 「俺がする」  ノアは噛みしめるように応えた。 「ん。よろしく」  ゼアは唇を伸ばすと、ドアを閉め、公用車から離れていった。
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