1・フォーカス(前)

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「コンビニで、桐谷が被害者のことをしつこく聞いてきた。そん時、わざわざ自分は被害者が通っている高校のOBだって言ってきたのが引っかかった」  ハンドルを握りしめながら、ノアが後ろ手に紙を渡してくる。立夏はそれを受け取り、目を通した。 「てかさ、Y高等学校ってエリート高校なんだな。あいつ、努力したんだな」 「桐谷はアルファだから」 「もともと頭がいいって?」  立夏は資料を読みながら頷いた。 「そうか? 俺はどっちかっていうと、桐谷がアルファの固定観念に合わせたって気がするぜ」  意味を噛み砕けず、立夏は頭を上げた。 「どういうこと?」 「久我も気づいているだろ? 桐谷は普通ってのに拘っている」  コンビニでのことを思い出す。桐谷は自分が普通ではなかったのかと聞いてきた。あの時、桐谷を傷つけた。立夏はただ、桐谷が普通に当てはまらない自分はダメなのだと思っているであろうことが、イヤだったのだ。傷つけるつもりはなかった。 「だから、一般的に思われているアルファでいられるよう、努力したんだろうなって思った。あいつならやりそうだろ?」  立夏は俯いた。  普通じゃないことを怖がっていた桐谷を否定したのに、自分はアルファの普通を桐谷に押しつけた。ノアの言う通り、桐谷は懸命に勉強をしたかもしれないのに。 「俺、最悪だ」  拳を握りしめる。資料がくしゃりと音をたてた。 「なにが? 桐谷はアルファだからって言ったこと?」 「そう。あいつは普通でいなきゃって怯えているのに、俺はアルファの普通を桐谷に求めた」  車が右へカーブを曲がる。  直線を走り出し、しばらくして、ノアがやさしく笑んだ。 「俺はお前らが作る普通ってのは悪いもんじゃないと思うけど?」  立夏は顔を上げた。 「基準があると安心するだろ? ルールやマナーもそうだ。誰かと生きるんなら、ある程度の基準があった方がからみやすい。基準は……ようするに普通ってのは他者と接する壁を乗り越えやすくしてくれる辞書みたいなもんなんだろう。だから、俺みたいな他種族であっても、お前たちの普通を学べば意思疎通ができて、こんな風に運転もできる」  ノアがお披露目するように左腕をハンドルから放し、すぐにハンドルへと左手を戻した。 「人間の普通を学ぶ側からすると、難儀なのはお前たちの普通がアップデートを繰り返していることだ。しかも、最新と前のバージョンがごちゃ混ぜになっている。なんでも、切り替えに伴う経過措置が必要なんだろうけど、そういうところで感情のトラブルが生まれるのな。守らなければいけないルールなら強制的に移行され、適応することに心が向くが、思想の面の話は別だ。どっちが間違っているっていうんじゃない。大切なのは、異なる思想に出会った時、それを受け入れられるかどうかじゃないか? 受け入れたあと、自分は違うって思うのも正しいし、自分とは違うが相手を尊重するってのも正しいと思う。久我が桐谷と出会ってアルファへの偏見を自覚したのなら、そこから始めたらいいだけだ」  立夏は唇を嚙みしめた。  ノアはルームミラーでこちらを確認したらしかった。 「変わっていく普通とは逆に変えられない普通もある。人間でいえば、血液は基本、同じ血液型からしか受け付けないとかな。俺たちにだって変えられるものと変えられないものがある。心も体もひっくるめて、わかりあおうとするかどうか。久我は桐谷とどうなりたい?」  質問にドキリとした。  どぎまぎしているとノアが肩越しに振り返ってきた。口元に笑みが浮かんでいる。彼は前方を向き、方向指示器を出した。  カチ、カチとウインカーの左折マークが点滅する。 「たった一日だ」  ノアは愉快気だ。 「桐谷はたった一日で、まごまごしている俺たちの時間を動かしちまった。なあ、久我」  ノアの声がやさしい。 「桐谷とのこれからについて答えが出ないうちは死ねないな」  
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