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「離れたら、ゾフに連絡して、ゼアを呼ぶように言ってくれ」
ユリが咆哮をあげる。
細胞を切り裂かれるような音。
久我がコンクリートに膝をつく。
「久我を愛しているんだろ? 行け! 早く!」
ノアの声に押されるように、響は久我を抱き上げた。
途端、腕の中にいる相手に突っぱねられた。
彼は震えながらも自力で立ち、ノアを睨みつけた。
「桐谷に後悔させるようなことを言うな」
久我の声を受け、ノアが唇を伸ばす。
「死んだら、後悔もできないぜ」
「だから」
久我がノアの手首を掴む。
「全員で退避するんだ! 体制を整えるために!」
「もう遅い」
ユリの声がすぐ近くでした。
次には、ノアのナイフが地面に落下した。
ノアが街灯を見上げる。
声は耳元で聞こえたのに、ユリはまだそこにいた。
「残念」
髪を風になびかせながら、ユリは可愛い声で言うと優雅に微笑んだ。
足音がした。一つ、二つ、三つ。そこまで数え、響は歯を食いしばった。
数えきれない。
前方からも後方からも、ぞろぞろと頭を垂れた状態の人が、響たちへと向かってくる。
逃げ場を防がれ、心臓が脈打った。
いきなり、スーツを着た男に髪を引っ掴まれる。久我が咄嗟に拳を男に突き出した。特殊な拳法グローブをつけた彼の手は、男に当たる直前で止められる。が、男は久我へと倒れ掛かった。久我は男の体を支え、ゆっくり地面に寝かせた。
久我は休むことなく、ワンピースの女に、彼女の体に当たらない位置で蹴る動作をした。女がうつ伏せに倒れかける。その体をノアが糸を巻き付け、やさしく地面に横たえた。
一度に数人が両手を突き出してくる。ノアは彼らを糸で束ねると、糸を指ではじいた。
糸に巻かれていた人々がぐったりとする。ノアはもう片方の手でナイフを投げ、襲い来る人の束を糸で縛った。
耳の傍でユリの溜息が聞こえた。
ノアの至近距離にユリが現れる。
「お前は邪魔だ」
ユリの手に光るものが見えた。条件反射で、ノアの前に出て、ユリの両手首を拘束した。
「やめろ! 荻原は人を傷つけることを望んでいない!」
ユリの目が見開く。
響はその瞳に百合本人の意思を見た気がした。
が、眼差しはすぐに変わり、ナイフを握りしめたユリの手が響へと繰り出される。
避けられない!
思った時、影が目前を塞いだ。
ノア?
ゾッとした途端、上空から何かが急スピードで落ちてきた。
ゼアはユリの後頭部を支えるようにし、地面に膝をついていた。
「人のものに手を出すと痛い目をみますよ、お嬢さん」
綺麗に微笑んだゼアを前に、ノアがほっと息をつくのがわかった。
これでもう大丈夫だと言うように。
ゼアはユリの唇へ自分の唇を寄せ、触れるかどうかのところで止めた。
微笑みながら、口を僅かに開ける。
白い煙のようなものが、ゼアの口腔から出たかと思うと、ユリの口から体内へと入っていく。
ぞろぞろと集まっていた人たちがその場で失神し出し、ノアが糸で丁寧に地面へと横にさせた。
ユリの瞼が閉じていく。その目の端に涙が滲み、頬を伝った。
ゼアがユリを抱え、立ち上がる。
「彼女はゾフに引き渡す」
病院ではなく、ゾフの元に?
治療ではなく、研究という言葉が響の心を支配する。
「心配するな。同意のない人間の体に、実験を強いることはしない。彼女を宿としていたオルタは特別な個体だ。通常の治療では取り除けない。ゾフの力が必要なだけだ」
ノアがこちらの心情を慮り、声をかけてくれる。
響は小さく頷いた。
「この人たちは体内のオルタを刺激されたみたいだけど、通常通り、病院へ運ぶので良い?」
久我が倒れている女性の傍でしゃがむ。
「ああ。念のため、隔離はしてもらおう」
ノアからの返答を聞き、久我が頷く。
「久我と桐谷で車をとってきれてくれ。ゾフへの連絡も頼む」
「わかった」
桐谷、と久我に促されて響は首を縦に振った。そして、走り出した久我の後を追った。視線の端に、不機嫌そうに眼差しを細めるゼアが映り、足が止まる。すかさず、久我に「どうした?」と叫ばれ、言葉を濁していると、それに気づいたゼアに微笑まれた。
「僕たちが心配? 響よりはオルタに慣れている」
そうなのだろう。そして、たぶん、この四人の中で、ゼアが一番、オルタに対し、強い。
響の足をとめさせたのは、もっと違うことだ。なぜ、ゼアがノアを睨みつけたのか。
桐谷、とノアが苦笑し、ゼアを視線で示してから、また響を見た。
こいつのことだろう?
「俺たちは大丈夫。久我を追え」
響は頷き、今度こそ、任務に集中した。
× × × × × ×
久我と桐谷の姿が見えなくなった時、ゼアが瞳を細めた。
「随分仲がよろしいようで」
「何にイラついている?」
ゼアが視線を逸らし、ため息をつく。
彼は荻原百合を抱えたまま、ノアを塀へと追い詰め、ノアの横っ腹ギリギリの塀を勢いよく蹴りつけた。
「僕が来なかったら、殺されていたぞ」
「でも、ゼアは来てくれた」
ゼアが俯く。
「過信するな。僕は万能じゃない。ミスだってするんだ」
「わかってる」
「わかってない!」
足を戻し、ゼアが激高する。
「死ぬところだったんだぞ!」
「わかってる」
ゼアが激しく首を横に振る。
「わかってない! ノアは何もわかっていない! 僕がどんなに」
ゼアが歯を食いしばる。
「ゼア?」
相手はノアに背を向けてきた。
無言で離れていく。
ノアは戸惑っていた。
ゼアの真意がいつも以上に読めない。
心臓がバクバク鳴っている。
体が熱い。
わからない。
ゼアが、自分が、わからない。
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