1・フォーカス(前)

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「離れたら、ゾフに連絡して、ゼアを呼ぶように言ってくれ」  ユリが咆哮をあげる。  細胞を切り裂かれるような音。  久我がコンクリートに膝をつく。 「久我を愛しているんだろ? 行け! 早く!」  ノアの声に押されるように、響は久我を抱き上げた。  途端、腕の中にいる相手に突っぱねられた。  彼は震えながらも自力で立ち、ノアを睨みつけた。 「桐谷に後悔させるようなことを言うな」  久我の声を受け、ノアが唇を伸ばす。 「死んだら、後悔もできないぜ」 「だから」  久我がノアの手首を掴む。 「全員で退避するんだ! 体制を整えるために!」 「もう遅い」  ユリの声がすぐ近くでした。  次には、ノアのナイフが地面に落下した。  ノアが街灯を見上げる。  声は耳元で聞こえたのに、ユリはまだそこにいた。 「残念」  髪を風になびかせながら、ユリは可愛い声で言うと優雅に微笑んだ。  足音がした。一つ、二つ、三つ。そこまで数え、響は歯を食いしばった。  数えきれない。  前方からも後方からも、ぞろぞろと頭を垂れた状態の人が、響たちへと向かってくる。  逃げ場を防がれ、心臓が脈打った。  いきなり、スーツを着た男に髪を引っ掴まれる。久我が咄嗟に拳を男に突き出した。特殊な拳法グローブをつけた彼の手は、男に当たる直前で止められる。が、男は久我へと倒れ掛かった。久我は男の体を支え、ゆっくり地面に寝かせた。  久我は休むことなく、ワンピースの女に、彼女の体に当たらない位置で蹴る動作をした。女がうつ伏せに倒れかける。その体をノアが糸を巻き付け、やさしく地面に横たえた。  一度に数人が両手を突き出してくる。ノアは彼らを糸で束ねると、糸を指ではじいた。  糸に巻かれていた人々がぐったりとする。ノアはもう片方の手でナイフを投げ、襲い来る人の束を糸で縛った。  耳の傍でユリの溜息が聞こえた。  ノアの至近距離にユリが現れる。 「お前は邪魔だ」  ユリの手に光るものが見えた。条件反射で、ノアの前に出て、ユリの両手首を拘束した。 「やめろ! 荻原は人を傷つけることを望んでいない!」  ユリの目が見開く。  響はその瞳に百合本人の意思を見た気がした。  が、眼差しはすぐに変わり、ナイフを握りしめたユリの手が響へと繰り出される。  避けられない!  思った時、影が目前を塞いだ。  ノア?  ゾッとした途端、上空から何かが急スピードで落ちてきた。  ゼアはユリの後頭部を支えるようにし、地面に膝をついていた。 「人のものに手を出すと痛い目をみますよ、お嬢さん」  綺麗に微笑んだゼアを前に、ノアがほっと息をつくのがわかった。  これでもう大丈夫だと言うように。  ゼアはユリの唇へ自分の唇を寄せ、触れるかどうかのところで止めた。  微笑みながら、口を僅かに開ける。  白い煙のようなものが、ゼアの口腔から出たかと思うと、ユリの口から体内へと入っていく。  ぞろぞろと集まっていた人たちがその場で失神し出し、ノアが糸で丁寧に地面へと横にさせた。  ユリの瞼が閉じていく。その目の端に涙が滲み、頬を伝った。  ゼアがユリを抱え、立ち上がる。 「彼女はゾフに引き渡す」  病院ではなく、ゾフの元に?  治療ではなく、研究という言葉が響の心を支配する。 「心配するな。同意のない人間の体に、実験を強いることはしない。彼女を宿としていたオルタは特別な個体だ。通常の治療では取り除けない。ゾフの力が必要なだけだ」  ノアがこちらの心情を慮り、声をかけてくれる。  響は小さく頷いた。 「この人たちは体内のオルタを刺激されたみたいだけど、通常通り、病院へ運ぶので良い?」  久我が倒れている女性の傍でしゃがむ。 「ああ。念のため、隔離はしてもらおう」  ノアからの返答を聞き、久我が頷く。 「久我と桐谷で車をとってきれてくれ。ゾフへの連絡も頼む」 「わかった」  桐谷、と久我に促されて響は首を縦に振った。そして、走り出した久我の後を追った。視線の端に、不機嫌そうに眼差しを細めるゼアが映り、足が止まる。すかさず、久我に「どうした?」と叫ばれ、言葉を濁していると、それに気づいたゼアに微笑まれた。 「僕たちが心配? 響よりはオルタに慣れている」  そうなのだろう。そして、たぶん、この四人の中で、ゼアが一番、オルタに対し、強い。  響の足をとめさせたのは、もっと違うことだ。なぜ、ゼアがノアを睨みつけたのか。  桐谷、とノアが苦笑し、ゼアを視線で示してから、また響を見た。  こいつのことだろう? 「俺たちは大丈夫。久我を追え」  響は頷き、今度こそ、任務に集中した。 ×     ×     ×     ×     ×     ×       久我と桐谷の姿が見えなくなった時、ゼアが瞳を細めた。 「随分仲がよろしいようで」 「何にイラついている?」  ゼアが視線を逸らし、ため息をつく。  彼は荻原百合を抱えたまま、ノアを塀へと追い詰め、ノアの横っ腹ギリギリの塀を勢いよく蹴りつけた。 「僕が来なかったら、殺されていたぞ」 「でも、ゼアは来てくれた」  ゼアが俯く。 「過信するな。僕は万能じゃない。ミスだってするんだ」 「わかってる」 「わかってない!」  足を戻し、ゼアが激高する。 「死ぬところだったんだぞ!」 「わかってる」  ゼアが激しく首を横に振る。 「わかってない! ノアは何もわかっていない! 僕がどんなに」  ゼアが歯を食いしばる。 「ゼア?」  相手はノアに背を向けてきた。  無言で離れていく。  ノアは戸惑っていた。  ゼアの真意がいつも以上に読めない。  心臓がバクバク鳴っている。  体が熱い。  わからない。  ゼアが、自分が、わからない。
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