1・フォーカス(前)

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 響は乗用車のハンドルを切り、現場のコンビニに駐車した。助手席にいたノアが顔をしかめている。後部座席で座っていた久我は口を押えていて苦しげだ。 「お前、運転免許証、持ってんだよな?」 「はい。携帯しています。見ますか?」 「……いや、いいわ。見ても状況、変わらんから」  ごめん、と久我が弱弱しく言い、ドアを開けてコンビニへよろよろと入っていく。透明のガラス越しに、彼がトイレへ行くのがわかった。 「お前、仕事前に仲間のHP減らしてどうすんだよ?」 「え?」 「は?」 「……」 「おまっ! 運転センスのなさに気づいてないのか!? この事案が片付いたらアクセルの踏み方から教えてやる! わかったな!!」 「……仕事はしなくていいんですか?」 「パトロール兼ねてだよ、このドへたくそ!」  ノアはシートベルトを外し、ドアを勢いよく閉めた。  なるほど、と響は教習所の教官が苦笑いしていたことを思い出す。ここも矯正しなくてはいけないのか。  普通になるためのタスクをまた一つ増やす。  コツンと右横の窓ガラスが叩かれる。ノアが睨みつけてくる。 「苦手なもんがあんのは仕方ないだろ。しょげてないで出てこい」  しょげてはいない。思ってすぐ、これがしょげているということなのか、とも自問する。  またコツンと窓ガラスが鳴る。 「気持ち切り替えろ。お前が自分のできてないところを責めるなら、俺らも酔わない訓練をしてなかったって自分を責めなきゃだろ? 指摘はするさ、曲がりなりにも仲間なんだ。けど、それがすべて自分の責任だと思わなくていい。独りじゃないんだからさ、誰かがカバーすればいいだけだろ?」  思わず、やさしいと唇が動く。声を発していないのにノアには伝わったらしかった。彼は居心地が悪そうに頬を釣り上げ、響から視線を外すとドアから離れて腕を組んだ。  響は外に出て、車に鍵をかけた。 「俺は店長に声をかけてくる。お前は久我んとこへ行け。久我が落ち着くまで店で張り込む。そのあとは俺か久我が店に残って、あとの二人は付近の聞き込みだ」 「わかりました」  ノアはムスッとしながら、着いてこいと言う代わりに手を振った。  響はコンビニへ入るなりトイレへと足を進めた。ノアはレジの店員と話し、店の奥へと入っていく。  立ち読みの客を通り越すと久我がトイレから前かがみで出てきた。響はふらつく久我を支え、謝罪した。 「俺の運転が悪かったんですね。すみません。レジの横に休憩所があります。そこへ行きましょう」 「ありがと」  こちらの非で苦しむのに、どうして感謝されるのだろう。  久我を座らせても疑問が解決せず、彼をじっと見てしまう。 「なに?」 「俺は礼を言われるようなことをしていません。なのに」  久我は驚いた表情になり、それからやけに真剣な眼差しで響を見つめた。 「ありがとうで合ってるよ。やさしくしてもらったんだから」 「俺に原因があります。当然です」 「そう誰かに言われたのか?」  久我は自分の体調が優れないにもかかわらず、微笑みを唇に宿した。  鼓膜が震えないのに、両親の声が頭で反響した。彼らは響が失敗をするたび、それを拭う行動を迫った。 「やさしさは当たり前なことじゃない。当たり前だったら、やさしいって言葉はこの世に存在しないんじゃないか? だって、わざわざ名前をつけなくてもいいほど溢れているんだから。俺はお前が、やさしいっていう特別な行動をしてくれたことが嬉しくてありがとうって言った。原因がどうのとかそんなこと、考えてもみなかったよ」  心臓がどくどくと音をたてる。自分の常識が彼には通じないのに嫌な感じではなく、むしろ、あたたかくて、それなのに涙が溢れそうになる。 「そういえば、ノアは?」 「ノアさんは店の関係者と話をしています。何か飲み物を買ってきます。お茶でいいですか?」 「うん。待って、ICカード、渡すから」 「いえ。奢らせてください」  久我が顔を上げるのと響が背を向けるのが同時だった。歩こうとし、久我にのシャツを掴まれ、引きとめられた。 「吐きそうですか? 気分が悪いなら、トイレまで運びます」  久我が頭を小さく左右する。 「俺は大丈夫。大丈夫じゃないのは、お前だろ?」 「俺は酔っていません」  久我が恨めしそうに睨みつけてくる。 「俺、何か普通じゃなかったですか? 不快な思いをさせたのならすみません。謝ります」  久我はまた驚いたような顔をし、それから泣きそうな目で視線を外した。 「そういう言い方、俺は嫌いだ」  平気な振りをしていたが、久我の「嫌い」には心臓を爆破されたかと思うほどの威力があった。  すみません、と謝ろうとするのに顔が下を向く。 「……そんなこと、言わないでください。あなたにだけは、嫌われたくない」  言ってから数秒間、それが自分の口から出た言葉だと認識できなかった。 「嫌ってない」  か細く言われ、ハッとする。 「つうか、嫌いになるほど、お前のこと、知ってないし」 「そう、でしたね」  身体に風が吹き抜けるような空虚感に苛まれる。自分だって彼のことを知らないのに。
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