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「俺らにも色々あるけど、お前らも色々あんのな。でも、お前も俺も生きてここにいるんだ。ここで足掻くしかない」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「ノアさんは」
そこまで口にし、ゼアの発言を思い出した。
「ノアさんとゼアさんは俺たちとは違うんですか?」
ノアが目を細め、微笑する。
「じきにわかる。俺もゼアも隠していない。お前はこれからオルタについてそこいらの人間より詳しくなるだろう。そうじゃなきゃ、オルタ専属班でやっていけない」
ノアの、獣のように細い瞳が挑発してくる。
「知らなくてもいいことも知ってしまうかもな。引き返すなら、今だぞ」
響は体を相手へと向けた。
「ここでしかできないことをしにきました」
まただ。ノアの目がこちらの心を探るように鈍く光る。
「お前は何に突き動かされている?」
「知り合いを助けたいんです」
「知り合い?」
「荻原百合という高校時代の知り合いです。彼女はオルタに憑かれていて」
(なぜ、そう思う?)
突然、頭の中で男の声が響いた。穏やかな口調なのに、なぜだか寒気を覚える。
なぜ、百合がオルタに憑かれていたと思ったのか。それは彼女が普段と違い、狂人めいていたから。
(それだけ?)
男の声に導かれるように、考えが湧き出していく。
それだけではない。響には確信めいたものがあった。当時、オルタ憑きとそうでない人の判断は、とても困難を要したにも関わらず。
響はこう思ったのだ。狂人だと呼ばれる人間の目は他の人と違うと。
途端、百合の獣のように細い瞳が脳を過り、激痛に頭を支えた。
「おい。大丈夫か?」
ノアの声が遠のく。
瞼を閉じ、開けると、見覚えのある診察室が見えた。絶望感と恐怖に目をふさぐ。次に視界をクリアにすると、夜の路上で響を押し倒し、求めようとする百合が見えた。
おかしな現象をとめたくて、響は片手で目を塞いだ。体がよろける。
やわらかい何かに受けとめられる。
心の奥底に響く香りがした。
「やっぱり、お前の方が大丈夫じゃない」
久我の声がすぐ近くでする。
夢のようだ。
久我は響を立たせると、休むかと聞いてきた。
「動けます」
「無理すんなよ。辛かったら言え」
「はい」
久我は納得がいかないなりに許容しようとしてくれたのだろう、悲し気に笑んだ。
「体調は?」
ノアが久我に尋ねる。
「平気」
彼は頷くと今度は響を見た。
「体、辛いか?」
「いえ。もうよくなりました」
ノアは「そうか」と呟き、久我に視線を戻した。
「どうしたい?」
「桐谷と外の空気を吸いに行ってもいい?」
ノアは口角を上げた。
「了解。お互い、異変があったら連絡な」
「わかった」
久我に連れられ、響はコンビニを出た。
数メートル歩いたところで、久我が盛大に腕を伸ばし、息をつく。
「聞き取りのポイントなんだけどさ、俺たちに依頼が回ってくる調査は、一度、刑事課の人たちが話を聞いてることが多いから、市民の皆様には二度聞きになるってわけ。だから低姿勢でいくこと。俺たちは治安を守るために動いているけど、相手にも都合があるだろ? わざわざ時間を割いてくれているんだ。感謝の気持ちを忘れない」
「はい」
「ん」
久我はやさしく微笑むと下を向いた。
「お前、俺を好きって言ったじゃん?」
「はい」
今、この瞬間、一緒にいるだけで幸せだ。
「それさ、嘘だろ?」
衝撃が大きすぎて言葉を失った。
人前で求婚までしたのに疑われるのか。
「意図的じゃないのか。それなら、お前は恋愛センサーがぶっ壊れてんのかな?」
久我はどうしてそう思う?
「俺の噛み痕、目立つだろ?」
言われて、反射的に久我の項を見た。
綺麗な歯型がくっきりと残っている。
久我の細い指が肌の凹凸をそっと撫でる。
「無口な人でさ、好きだとかそういう恋人らしい言葉を言わない人だった。俺も彼女との関係に酔ってたんだろうな。好きだって言い合わないことがカッコいいんだって思ってた。わざわざ言わなくても通じるって感じ? 本当に好きあってるなら、言葉なんかいらないって、よく言うだろ?」
「誰とも付き合ったことがないので、わかりません」
どろっとした黒くて重たい気持ちが心を支配していく。
「マジか。お前、モテそうなのに。なんつうか、母性を擽られるタイプ?」
「それって久我さんの気を引けますか?」
「だから、なんで俺なんだよ」
だって、あなたが好きだから。
久我が息を吐きだす。その話はここまでだよ、とでも言うように。
「彼女は高校時代の担任でさ、校内のマドンナだったんだ。色んな人が彼女にアプローチしてた。俺は好きだって言えなかった。ただ、ずっと彼女を目で追っかけてただけ。だから彼女が俺に声をかけてくれたとき、嬉しさより信じられない気持ちでいっぱいだった」
また、元番の話。
響は頷いたが、本当は相づちも打ちたくなかった。
「彼女の立場上、出かけられなかったから、デートコースは彼女の部屋一択だった。それでも好きな人と一緒にいられて幸せだった」
俺以外の人のことを、愛し気に話さないでくれ。
「結局、好きな人ができたって振られたんだけど、人生に一回与えられるどうかってほどの幸せをもらったよ」
「でも、久我さんが死を求めるようなことを言うのは、その人のせいじゃないですか」
久我が驚いた顔をする。
「違う! 彼女は悪くない。俺に魅力がなかったせいだ。彼女に相応しくなかったから、こうなった。俺が! 俺が悪い」
傷つけられたのに、元番を庇う久我に苛々する。番だった女の非を言いまくりたくなる。耐えたのは、久我の中に女との思い出が綺麗なまま保存されているからだった。彼が大切にしているものを無闇に壊したくなかった。
「久我さんは魅力的です。少なくとも、俺にはかけがいのない人です」
「だから、今日、会ったばっかりだって」
「ですね」
「もう一回言うけどさ、お前、俺のこと、何も知らないじゃん」
「何もじゃありません。高校生の時に担任の教師と付き合っていたことは知っています」
「それ、俺が今、話したことだろ」
わかってる。わかってるよ。久我が正しい。どんなに思っても、その思いは年月に勝てない。
響が何も言わないと、久我は目を伏せ笑った。
「こっからがさ、お前に言いたかったことなんだけど」
久我が足を止める。
「薄々わかってるとは思うけど、俺の番だった人は生きてる。だから、俺への番契約は続いている。俺の匂いは彼女にしかわからない。お前がアルファであったとしても効果はないんだ。お前は噛み痕を見て、俺をオメガだと判断したんだろう。それで脳がバグったんだ。だから」
「気の迷いだって言いたいんですか?」
久我が申し訳なさそうに頷く。
「どうして」
胸が痛くて、声が震える。
「どうして俺の気持ちが偽物だって、久我さんが決めつけるんですか?」
相手はハッと顔を上げた。
「違う。お前が荻原さんを助けるためにここに来たって、ノアに話してたから、それで、本当は彼女のことが好きなんじゃないかって。俺のことは、からかっただけじゃないかって」
「荻原とは生徒会で一緒だったんです。久我さんが想像するようなことは何もありませんでした」
苦しい。好きな人と話をしているのに、涙が零れ落ちそうだ。
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