第1話 メイドの魔王と苦労性なタナトス参謀

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第1話 メイドの魔王と苦労性なタナトス参謀

 ここは世界の果て。人の手が及ばぬ魔境の中心にある地下大迷宮。その最深部。  しかし、そこに暗闇は無く、光溢れる空間には高い天井と豪華な宮殿の如き内装があった。  百メートルはある長く煌びやかな廊下。敷かれた赤絨毯の上を軍服を着込んだ身長三メートルを越える角持ちの怪物が黒服の女を追いかけていた。  絵面的には女に追い縋り、襲わんとする怪物による惨劇の場面であるのだが、些か事情が異なるようだ。  黒服の女は慌てる素振りもなく、をチラリと見て振り返る。  手にはホウキ、腰には剣ならぬハタキを差していた。よくよく見れば、黒服の女は白いエプロン、髪飾りを付けたメイドであることがわかる。  装いと揃えたような白い肌に黒い髪をした人間の女だった。 「魔王さまぁーーーっ!」  ようやく追い縋り、角持ちの怪物はメイドの前に巨体を縮こませて跪く。 「そのような恰好をされ、また迷宮の掃除にお出かけになるおつもりか。それは魔王様のすべきことではないと何度お願いすれば聞き届けくださるのか!?」 「え、でも……私、メイドですから。タナトス参謀様」 「その呼び名もです! 私などは呼び捨てに! 敬語も使わないで下さいと、こちらも何度お伝えすれば」  タナトスと呼ばれた角持ちの怪物はガックリと頭を垂れた。 「嘆かわしい……御身がこの世界で魔王となられて二百年。未だ、我ら闇の眷属百万が迷宮から出ることをお許しにならず、光の眷属どころか、地上を支配するヒトにも手出し無用などと……」 「あ、魔王様。地下2Fのドアが軋んでたんスよ。油差しといてもらえませんか?」 「かしこまりました」  唐突にも思える軽薄な依頼。威厳の欠片すらない承諾の返答。  恐るべき速度でタナトスの視線は軽薄な声の主へと向けられた。怪物に相応しい威圧を纏わせたタナトスの両手は、通りがかりで魔王に雑用を頼んだ雑兵の胸倉を掴み、半ばヤケクソな調子で叫ぶ。 「てめぇ! 雑兵の分際で何で魔王様パシらせようとしてんだ!? ああぁん?」 「いや、だって魔王様が何でもやるって……」 「だからって頼むか!? フツー? なぁ? てめぇらがそうだから、魔王様がいつまでたってもご自覚を……」  などと言い放ったあたりで、タナトスは我に返り、雑兵を放り出すと唯一の主に平伏した。 「も、申し訳ありません。つい、取り乱し、お見苦しい姿をお見せして……」 「それ、偽物っスよ」  タナトスは顔を上げた。  白い球形の頭部、黒い円柱形の胴体。頭らしい部分には目鼻などが繊細に描かれている。知らぬ名の異国にあるという〝こけし〟という人形を使った変り身だった。 「逃げられた……」  タナトスは絶望の呻きを上げる。  メイドの魔王は迷宮内を自由に移動できる。ひとたび目を離せば、五百を超える階層からなる巨大迷宮で探し出すことは至難の業だった。  その時。  タナトスの前に〝声繋ぎ〟が現れた。迷宮内での伝令役を任されている一族だ。 「緊急! 勇者一味が迷宮内に侵入し、地下2Fに到達。〝観察の眼〟による技量看破(ノゾキアナ)は限定的に成功。全員のレベルが1000超え! うち一人のレベルは9999!」  強烈に噛みあげられたタナトスの奥歯は激しく鳴った。  レベル1000超えでも、ヒトでは桁外れなのにレベル9999だと!? 二百年のもの間、地上を放置したツケかと身を震わせたタナトスはハタと気が付く。……もしかしたら、ヒトは勇者をのか。  それならば、脅威はレベルだけではない。チート級のスキルを持っていると考えるべきだった。  正面きって戦っても、闇陣営の不利は明白。ならば、勇者一党の消耗を強いる戦いをしつつ、迷宮深部に誘い込み、攻勢に転じるべきとタナトスは算段を付ける。 「〝声繋ぎ〟よ。全軍に我が命を伝えよ! 侵入者への手出しは無用! 工兵隊は地下20Fまでの下層へ抜ける道を塞ぎ、時を稼げ! その間に」 「地下2Fって……魔王様、ドアの油を差しに行ってやしねえスかね」  雑兵がそれを口にした途端、タナトスの指示が途切れた。  喉の奥に続く言葉を押し留めたまま、固く目を閉じ、歯を食いしばる。滲んだ脂汗が一筋、頬を流れた。そして、決意したように目を大きく見開いた。 「……地下2Fで魔王様が勇者一味と遭遇(エンカウント)の恐れ! 腕に覚えのある奴ぁ、俺ん所に集れ! てめぇら! ヒトなんぞに俺らの魔王様に指一本触れさせちゃなんねぇぞ!」  地下大迷宮のそこかしこで雄叫びが上がり、それは自然と束になり、迷宮全体を震わせるほどの鬨の声(ときのこえ)となった。タナトスの傍らにいた雑兵も両拳を突きあげ声の限りに吠えていた。  後の世に言う〝魔王さま決死隊〟誕生の瞬間だった。  ***  地下通路を四つの影が進んでいた。  世界最果ての魔境を踏破し、魔王の居城たる地下大迷宮へと立ち入ったヒトが到達し得る究極とも言える存在たち。勇者ヒロト、戦士ランダウロ、聖女エルン、賢者ドバドだった。  そんな歴戦の英雄である彼らであっても、この迷宮の異様さに眉を顰めていた。前を歩く若き勇者ヒロトは、傍らの壮年の賢者ドバドに声を掛ける。 「ここ……妙に小奇麗な気がしません?」 「うむ。此方(こち)もホコリ一つ落ちとらん迷宮は初めてよ。糞便やカビ臭さもまるで無い」  やけに高い天井を見回しながら、ドバドは答えた。  迷宮の中とは思えないほど、空気は澄み、臭いどころか爽やかな花の香りすら漂う。また、ぼんやりと壁が光っており、明かりが無くとも迷宮を歩くのに支障が無い。  殿(しんがり)を務める大戦斧を担いだ戦士ランダウロはカラカラと笑った。 「確かに変だな。罠の前に警告の立て札があったのは笑けたがね」 「ランダウロ様、油断なさらぬよう。何もかもが魔物の策。魔王はヒトを堕落させ、魂を喰らう穢れた存在。光神様の教義にもそうございます」  ランダウロは聖女セルンの物言いに小さく肩をすくめながら、聖女の美しい顔と品のある巨乳を視界の端に入れ、僅かに鼻の下を伸ばす。教義だ戒律だと煩い女だが、男好きのする顔とスタイルは世の男どもを夢中にさせている。無論、ランダウロもその一人だった。 「そんなピリピリすんなよ。魔王なんて俺が真っ二つにしてやるから」 「慢心が過ぎます。闇に後れをとる無様なマネは真っ平なのですが」  ジロリと自分を睨む表情すらも魅力的に思うランダウロは口元をゆるませた。馬鹿にされたと思ったセルンは口を尖らせ沈黙する。 「まあ、そち達も、此方も、勇者の経験百倍(マルモウケ)討伐伴走者(ウルトラシェア)のスキルコンボで、歴代勇者をも凌ぐ力を獲得しておる。多少の楽観は仕方あるまい」 「ドバド様まで……だからこそ私は」 「しっ! 何かがこっちに来ます」  押し殺した声でヒロトが警告を発し、後背の三人は押し黙る。 「勇者、明かりは?」 「いえ、大丈夫。僕には見え……えぇ?」  ヒロトが間の抜けた声を発した。  残り三人もレベル9999の勇者を驚かせた存在を数瞬遅れて認めることが出来た。 「ヒト? 女の子?」  セルンが信じられないという声を上げた。  メイド服を着た十代にも見える若い女が薄暗い通路を一人でトコトコと歩いてきたのだ。  右手にホウキを持ち、左手には工具箱らしい木箱を下げている。  固まる勇者達を気にする素振りもなく、近寄り、擦れ違いざまに会釈までして、通り過ぎていった。 「ちょっ、待ってくださるかしら」 ちゃーちゃーちゃー。  咄嗟に声をかけたのはセルンだった。  メイドは振り返ると、不思議そうな様子で応じる。 「はい、なんでしょう?」 「あなた、ここで何をしているの?」 ちゃちゃちゃちゃー。 「軋むドアに油を差しにきました」 「何言ってんだ。軋むドアなんて無い変な迷宮なんだよ」 ちゃちゃちゃちゃー。 「戦士、落ち着け。そんなことを言ってる場合ではない」 ちゃちゃちゃっちゃ。 「みんな冷静に。一旦、この子を連れて外に出ないか?」 ちゃーちゃちゃちゃ。 「そうね。可哀想に。私達がお家に返してあげるからね」 ちゃーちゃちゃちゃ。 「…………?」 「喜びのあまり声が出ないらしい……って、うるせぇな! さっきから、ちゃーちゃーって、なんなんだよ!」 ちゃーちゃーちゃー。  ドバドは周りをキョロキョロと見回して、ハッとしたように声を上げた。 「待て、これは戦闘BGM! しかも……勇者!」 てろてろてろてろて。 「うん。ラスボスの……魔王との戦闘BGMだ」 ろてってれれてれれ。 「馬鹿言うな。なんで地下2Fに魔王が出て来んだよ」 てれれってっちゃっ。 「そうね。そもそも敵なんて」 ちゃーちゃちゃちゃ。  四人の視線がメイドに集まる。 「あなた、まさか……魔王?」 ちゃちゃちゃちゃっ。 「はい、そうです」
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