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「こんばんは」
アーケードの中にできた新しいカフェバー。夜はほぼ飲み屋で店の名は万華鏡。店の中は万華鏡ほどきれいではない。
「よりえちゃん、いらっしゃい」
店主はチアキさんといって、よく動き、よく笑う女の人。万華鏡が好きで、幾つか置いてあるが、酔っぱらいがいじるので既にいくつか壊されたらしい。
私はカウンターに座る。テーブルには客がちらほら。女の子の笑い声が響く。なんとなく身を屈めてしまった。一人ということ、友達がいないということがコンプレックスではなくなったはずなのに、甲高い笑い声が私を委縮させる。
「お通しです」
チアキさんの弟の太陽は私と同い年。しかも、元デザイナー。
「モヒートとスパイシーチキン」
「はいよ」
ランチ時だけ混み、夜はゆったりしている。店のBGMも夜はジャズっぽい。
お通しのしめじナムルに顔をしかめる。酸っぱすぎ。疲れていないせいだろうか。今日のカモメ洋品店の客はたったの二人。パンツとふきんが売れただけ。
「今日、お店に学生が行かなかった?」
チアキさんが私に聞く。
「学生?」
「今度、文化祭で劇をする衣装が必要なんだって。布買いたいって言うからカモメ洋品店勧めたんだけど」
「うちはホームページもないし、しかも今日はいつもよりも店早く閉めちゃって」
「あ、雹? びっくりしたわね」
チアキさんが普通でも大きな目を更に大きくさせる。
「それよりもお通し酸っぱいですよ」
カウンターには私だけなので、こっそり伝えた。
「そう? 太陽、食べてみてよ」
「酸っぱいっていうより、しょっぱい」
二人は少し味音痴。今のところこっちでの年齢が近い知り合いはこの姉弟だけだ。客商売だけれど引っ込み思案で、店でも祖母のようにうまく喋れない。人の機嫌を窺うようなことができないから、ずっと生き辛い。
「疲れてるんじゃない?」
そんなはずはない。暇だ。退屈に疲れてはいる。
この地に来たのは祖母のためだ。
祖母が入院して、透析が必要になったのに、私の母も含め子ども四人はそっぽを向いた。
「透析患者なんて日本にどれだけいると思ってるの?」
母は私が祖母の元へ行くことを反対した。
「だって、おばあちゃんがかわいそうじゃない」
私はそう善人ぶったけれど、本当は無職で金にも困っていた。ウエディングドレスの制作は楽しかったが、女だらけの職場に辟易。しかもうっかり上司と関係を持ってしまい、既婚者だったため辛くなる。次は縫製の仕事にした。視力が急激に落ちた。おかげでメガネだ。薄給のくせに、私の視力を返して。ドレスよりももっと普通の人を幸せにできると思って販売に転身したが、人員整理に逢う。
要は、私は熱しやすくそれでいて一途ではなく、そして誰からも期待されない。
だから、
「うちに来るかい?」
とおばあちゃんに言われたときにはガン泣きするほど嬉しかった。
だけれど、たった半年でこのありさま。
最初は頑張ったのだ。店でポップを作ってみたり、セールのときは花の飾りを作ったり。しかし、一番売れるのが今時、割烹着。平均年齢は高く、エロすぎる下着のセンスがわからない。
昨年の12月に来たが、もう惰性。冬はあったかい肌着や靴下、毛糸が売れたが暖かくなって来て売り上げは減る一方。客単価も下がる。
「毎年のことだよ」
と祖母は言う。
自前の建物でローンなどがないから、なんとか二人で生きている。慎ましいのは嫌いじゃない。お客さんから季節の野菜や果物を有難く頂戴する。
このままだったら嫌だなとぼんやり思っているところだった。新しい仕事に就く気力はないし、知らない土地に行くのも緊張する。張り合いがなくて侘しいなんて、贅沢なことなのだろう。
「おかわり?」
チアキさんが顔を覗き込む。
「はい、ハイボール」
贅沢はせず、その2杯で終了。いつものことだ。
やっとスパイシーチキンもお目見え。
「おまたせ」
「うまっ」
家では辛いものを控えている。よく漬け込まれた味がする。この店のつまみではこれが一番だ。
「こんばんは。店の残り物なんだけど」
お魚屋さんのご主人が発泡スチロールからこの店に不似合いな生臭さを放つ。
「あいにく、魚が捌けなくて」
チアキさんも迷惑そう。
「もらってよ」
と魚屋さんは押しつけて帰ってしまった。善意のつもりなのだろう。
「姉さんがはっきりいらないって断らないから。うちは食材処分場ではありません」
と太陽が言い切る。
「どうしようかしら。うち用にする。よりえちゃん、少し持って行かない?」
見たことのない魚ばかりだった。そこそこの大きさのものから小ぶりなもの、オレンジ色から青魚まで多種多様。
「あ、いやぁ」
焼けばいいのか煮たほうがいいのかもわからない。
「ほら、よりえだって困ってるよ」
テーブル席の男がぷらりと来て、
「それは鰆のちょっと小さいやつですよ。こっちは立派なカツオですね。カツオは新鮮さが大事なので角煮でどうでしょう? おっ、ホタルイカまである」
心地のいい声だった。耳を滑るように通り抜ける。
いつもならお酒2杯でなんて絶対に私は酔わない。
「どうぞ、キッチン使ってください」
男が次々に魚を調理する。この店で会ったことのない人だ。
「カツオはまだ刺身でも大丈夫かな。薬味はありますか? 残りは生姜で煮ましょう」
「助かります」
チアキさんは男の手さばきに感嘆している。
目が合ったら、
「はい」
と彼は次々に私に料理を出してくれた。
白身魚の竜田揚げがおいしい。梅のソースが合っていた。こっちは肉っぽい。魚も肉だもんな。ほら、捌いたら骨もあるし血が出てる。うわ、内臓グロい。心臓とか腸とか人間と同じような作りのはず。
「上手ね」
チアキさんも惚れ惚れと見ているだけで手出しはしない。
「前職が料理関係で」
「へえ。うちの弟よりも役に立つわ」
男とチアキさんの会話を聞いているうちに私は眠ってしまっていた。
太陽はチアキさんがこの店を開くにあたって職を変えたはずなのに。弟にそんな言い方しなくても、太陽がかわいそうと思ったことまでは覚えている。
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