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3
アラームが鳴っている。
いつもよりも温かい。季節が変わっているのだ。衣替えをしなくちゃ。店も夏物を増やそう。
ぶぅっと寝屁をかまして酒臭いなと思って目を開けたら知らない男の人が目の前で寝ていた。男の人の寝顔って好き。気が抜けていて、どんな男前でも幼くさせる。
ん? 待て待て。見回すと私の部屋だった。
下着を身につけていることにほっとして、手近にあるハサミを手に取る。縫製用のでかいラシャバサミ。放屁した匂いを消臭剤で紛らわす。
酒臭いのは私のおならではなく、彼の吐く息のようだ。
知らない顔。私はマスクをして、帽子をかぶる。メガネもかける。
20代だろうか。上腕二頭筋がむきむきしている。こんな男に襲われたらかなわないので、電話を片手に持つ。
「すいません」
叩いても起きない。どうして男の人って眠りが深いのだろう。現実が辛いのは女だって同じはずなのに。
「んんっ」
と目を覚ました。
「おはようございます。申し訳ないのですが、あなたはどこのどちらさまでしょうか? なぜ私の布団で寝ているのですか?」
私は聞いた。
「ええと、佐古田です。昨日の夜に店であなたと飲んで、ここへ来ました」
へらっと笑った顔で思い出した。昨晩、万華鏡で魚を捌いてくれた男の人だ。その手が作る料理はおいしかった。その手が帽子の上から私の頭を撫でる。
「セックスは?」
私は尋ねた。質問ばかりしているがシーツも布団もぐちゃぐちゃのこの状況では仕方ない。
「してないですよ。女の人ってそういうの自分の体でわかんないの?」
ちょっと軽蔑するような目で答えた。確かに体に違和感はない。
彼の短髪なのに後ろがはねている。臭いのは酒のせいだろうか。体臭?
「覚えていません。ごめんなさい。手を出さないでくれてありがとうございます。色気がなかったですか?」
彼の手を私ははねのけた。抱かれていないのなら優しくされる理由もない。
「そろそろその戦闘モードやめません? キャップとマスクしていても、昨日顔見てますから」
彼の言う通りだ。
「すいません」
私はサングラスを外した。彼が窓を開けた。その背中がきれいだった。
「いい天気だなぁ」
料理以外の記憶がないのでほぼ初対面。でも彼の後ろ姿はひょろっとしていて悪意がないように思える。
いや、私は簡単に人を信じない。
「なにもないなら、出て行ってくれませんか?」
おばあちゃんに知られる前に早く。こんな男を連れ込んだなんてふしだらな孫と思われたくない。
「ああ、はい」
テーブルの上には彼の財布と電話、腕時計だけ。
「おはよう。開けるで」
祖母の声がした。待ってと発する前にふすまが開いてしまった。
「おばあちゃん、不審者じゃないよ。知らない人だけど、大丈夫だから」
私はようやく、ハサミを置いた。
「佐古田くんやろ? 昨日の夜、トイレに起きたときに会ったよ」
「そう。ごめんなさい」
こんな怪しい人を連れ込んで、呆れてやしないだろうか。
「ごはん、できてるよ」
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