1/1
225人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

 アーケードの中の、万華鏡から小道を挟んだ隣りにあるパン屋へ向かう。 「眠い」  と歩きながら大きな欠伸をする佐古田くんは高身長だ。がっしりとした体つき、すね毛多め。顔だけ見れば爽やか。だから自分が余計に騙されている気分。 「佐古田くん、私、この状況がさっぱり受け入れられないんだけど」  その背に私は言った。 「そうだろうね。俺もそうだよ。でも本当に結婚して、お婿さんにしてくれたら嬉しいです」 「なんでそんな話になった?」  突飛すぎる。 「『結婚する?』『いいよ』『婿がいいな』『おばあちゃんに聞いてみて』で、おばあちゃんが『いいわね』って」  佐古田くんが指を差しながら、互いに言っただろう言葉を発する。 「私のこと、何も知らないでしょう?」 「そうだね。今のところ、寝顔と酒癖の悪さだけ。だけれど、一緒に抱き合って寝れるのは大きなポイントじゃない?」 「確かに」  一理ある。夢の中にいるかのように心地よかった。しかし、彼の飄々としたところがやはり鼻につく。詐欺師だって人の心を掴むのはうまいはず。  混雑したパン屋でも、佐古田くんは試食を食べたり、人懐っこさを発揮する。 「おいしいですね」  と店員さんやお客さんとも和やかに談笑。 「これ、サービスです」 いつも6枚切りの食パンしか買わない私はもらったことがない。 「ありがとうございます」  丸くて甘い、ドーナツとパンの中間のような食感。 「はい、半分こ」  佐古田くんは無邪気とは違う。たぶん、悪い人だ。野心とか邪心が見え隠れする。 「どうも」 「ここ、昨日の店だよね? 俺たちが出会った、記念の」  と万華鏡の前で一瞬立ち止まった。 「ええ、まあ、そうですけど」  店に行ったことは覚えている。 「万華鏡か」 「知らなかったの?」 「別の店で飲んでたんだよ。あの居酒屋だったかな。仲良くなった人に誘われてはしごして。あ、海の匂いがする」  軽い足取りで佐古田くんはくるりとターン。潮の匂いなんてしない。鼻がいいのかな。 「うん、あっちが海よ」  私は西を指差した。 「へえ。まるで流れ着くようにここに来た」  見上げてもアーケードだ。そんなに高くない。 「ん? 穴開いてる?」  私は言った。疑問形だったのはメガネをかけていてもはっきりと見えないからだ。 「開いてるね」 「あとで商店街の会長さんに伝えます」  歩いてうちに戻る。  佐古田くんがカモメ洋品店の向かいの店を見つめる。 「瞑想、ヒーリング?」  木の板にそう書かれている。 「教室みたい。行ったことないけど」 「ふーん」 「あんまり人の出入も見ないよ。興味あるの?」 「うん、ちょっと」  佐古田くんは物珍しそうに周囲をきょろきょろ。  活気がなくなり、否応なく寂れてゆくこのアーケードに哀愁でも感じているのだろうか。 「で、ここをまっすぐ行った角に交番がありますが、突き出していいですか?」  と私が言うと佐古田くんは小さくため息をついた。 「だから、お婿さんにさえしてくれたらいいんだって」 「それが怪しいって言ってるの。うち、見ての通りこのぼろい店ですよ」  私たちは店を見上げた。 「カモメ洋品店?」  看板にはカモメの絵と店名。部分的に絵と文字はかすれ、古さが感じられるが直し方もわからない。 「そう。昨日の売り上げはたったの2100円でした」  0円の日さえある。 「よくやってるね」  恐らくは祖母の年金と貯金で私たちの生活は成り立っている。 「それにあなた、私のこと好きじゃないんでしょう?」  昨日会ったばかりである。 「これから好きになるよ」  ならなかったらどうするのだろう。 「恋とか結婚ってそういうものじゃないと思う」  私は言った。 「よりえちゃんだっけ? 君が思っている結婚はどういうもの?」 「好きな人と一緒になって幸せになること?」  ぼんやりと私は答えた。 「そういう結婚して幸せになった人、周りにいる?」  はいと言えなかった。断言できたなら、結婚はしなかっただろう。 「じゃあ佐古田くんの考える結婚は?」  反対に聞いてみる。 「一緒にいること」  と彼は即答した。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!