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 暴行をされていないし家の物を盗んだりもしていないので、警察に突き出すことはできず、佐古田くんはうちに入り込んだ。  なぜ祖母が彼を好んだのかはわからない。  意外にも佐古田くんは36歳で、私より10も年上だった。  海までの散歩、パンがなくなれば買いに行く、店の手伝い、万華鏡へ飲みに行く。それが私たちの日課。佐古田くんは元料理人だからうちだけでなく商店街で重宝された。万華鏡のみならず、他の店まで佐古田くんに下ごしらえを依頼に来る。私はよく知らないのだが、有名店で数年間も修業するということは、その世界では忍耐力アンド技術があると認定されるらしい。  しかもうちのごはんも作るし、店の手伝いもする。  今日は、どこからか電動ドリルを借りてきてくれて、壊れていた店の棚を直してくれた。私と祖母はそういうのを放置してしまう。こっちの棚が使えなければ他を使うだけ。 「はい、これ持って。よりさん、重くない?」  佐古田くんは私をよりさんと呼んだ。子どものときからよりちゃんかよりえちゃんと呼ばれることが多かったのでちょっと新鮮。 「うん、大丈夫」  板を支えている私の体を包むように佐古田くんが作業をする。距離が近くてもぞもぞする。  今は部屋も別々だし、もちろんセックスもしていない。  振り向いたらキスをしてしまうだろう。 「でかいですね?」  振り向かずに私は言った。 「身長?」 「なんとなく全体的に」 「親父の骨格もこんなだったよ」  耳元での佐古田くんの声と息がくすぐったい。 「へえ」 「遺伝て怖いよな。最近じゃ、病気とかもわかるらしいじゃん。俺たちの子どもの頃はそれで差別とかあるのかな」  佐古田くんはいつでも唐突だ。 「子ども?」  私のほうが素っ頓狂な声を発してしまう。 「欲しくない?」 「あ、いや。考えたことない」 「考えてよ、結婚するんだから。はい、棚の修理終了。おばあちゃん、お腹すいたー。お昼まだ? 俺作っていい? その前に八百屋にドリル返してくるね」  鉄砲玉みたいな人という比喩があるけれど、きちんと帰って来るから佐古田くんはブーメラン男。  八百屋でちょっとくたっとしたシイタケやしなびそうな葉物をもらってきて、お昼はけんちんうどんを作ってくれた。 「おいしい」  とろりとしたしょうゆ味に一口で悶絶しそう。 「うん、やっぱり出汁が違うね」  と祖母も笑う。私たちの簡素で退屈だった生活がすっかり様変わり。色鮮やかになって、ドキドキもする。  しかし、私は佐古田くんをどんどん好きになると同時に嫌いにもなった。  だって、いつまでたっても本心を見せてくれない。本音を言わない。ふらっとここに辿り着いた経緯があるだろうに、何食わぬ顔をして、調子よく生きようとする。  反対に私は、佐古田くんに自分のことをたくさん話した。私がいかにダメな人間で、つまらない人かわかれば、彼がここを去ると思ったからだ。夕飯の買い物に出て、海まで歩いた。 「専門学校は楽しかったっていうより勉強をしてたっていう感じかな」 「学校だからね」  今日の浜辺はいつもより黒い。雨が降ったせいだろうか。  しゃりしゃりっと私たちは歩く。 「ウェデングドレス作るのは分担作業で面白みがなかったな。しかも、上司が嫌な人でね。『お前を抱いててもつまんない』ってひどくない?」  佐古田くんが手をつないできた。 「夕飯なに食べたい?」  と話題を変える。 「根性なしなんだよ。いつも自分に言い訳ばっかで」 「人間はみんなそうだよ」  風があるのに夕方の海は穏やか。 「私ここに来たばかりの頃、あの岩のところで隠れてタバコ吸ってたの。大人なのに、隠れる必要ないのにね」  坂道をのぼるときも手はつないだまま。その長い手と腕力で私を引っ張っているつもりのよう。でも私は、一人でも歩けるのだ。  私が煮魚をリクエストしたら応えてくれる。飲みに行きたいと言ったら出かけてくれるし、カラオケにも佐古田くんは連れて行ってくれる。  トイレやお風呂の使い方とか、他人なら気に入らないことがありそうなものなのにひとつもない。こりゃまずい。まずいぞ、私。
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