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「佐古田くんのなにが不満なの?」  数日間、一緒に暮らした祖母の疑問は正しい。 「料理上手で、コミュニケーション能力高くて、背が高いところ」 「全部いいところじゃない。私は好きよ」  祖母はすっかり佐古田くんがお気に入り。実際に優しいのだ。祖母は週に2回透析に行く。その前に麻酔シールみたいのを貼るのだが、それもしてくれるし、掃除などもそつなくこなす。  本当に嫌な人だ。 「じゃあおばあちゃんが結婚したら?」  私は言った。 「バカ。私にはおじいさんがいるの」  祖父が亡くなってもう10年以上経つ。 「でも結婚できるでしょ?」  法的には何の問題もない。 「バカ」 「語彙が減ってきているのはボケの始まりなんだって。病院ばっかり行ってるんだからちゃんと調べてもらいなよ」  私たちの会話を聞きながら佐古田くんが洗濯物をたたみながらゲラゲラ笑う。  1階が店舗で2階が住まい。2階はそんなに広くないからDKにテレビを置いて、ほぼそこにいる。祖母も椅子のほうが動きやすいらしい。 「すいませーん」  と階下から声がする。 「お客かな。私行くよ」  階段を降りると万華鏡のチアキさんがいた。 「暑くなってきたからおもしろいTシャツない?」  この人の注文はいつもはっきりしていて有難い。 「いらっしゃい。今日は暑いですね」 「てか、人いなくて、防犯カメラも張りぼてバレバレで、よくこの店やってるね?」  と悪意なく言う。 「常連さんしか来ませんから」 「そっか」  彫りが深いからチアキさんは化粧をしなくても美人だ。化粧をしたら本当に彫刻のよう。頭をひとくくりにして、たまにターバンのようなものを巻いて、かっこいいのだ。 「これは? きゅうり」  飲食店の人だから食べ物って、私の脳も安直すぎた。 「かわいい」  よく見ないとわからない大きさのきゅうりがTシャツ中に暴れている。 「色違いあるよ。黄色」 「じゃあ、それ太陽に着せるわ」 「これは?」  大きなきゅうりが一本、胸にドーンとプリントされている。 「そっちもいい」 「エプロンで隠れちゃう?」  私は聞いた。 「確かに」 「腰巻きのエプロンもありまっせ」  お洒落なものは売れ残りやすい。 「よりえちゃん、商売上手。そうだ、今晩、佐古田くん借りたいんだけど?」  とチアキさんが私に手を合わせる。 「はい?」 「太陽が友達の結婚祝いに呼び出されちゃって。なんでうちの店でやらないのかしら。カス、愚弟、チンカス」 「聞いてみます」  佐古田くんは私のものではない。夫でもないし、恋人でもない。愛しい人ですらない。それなのに、小さくもやっとする。  魂胆というか、佐古田くんの企みがわからない。私と結婚をしても利点がない。結婚詐欺師に狙われるほどお金はないし、美人じゃないし、足のサイズは25センチもある。おっぱいは普通。  混雑することのないカモメ洋品店に大人が三人もいてもすることがない。だから祖母が透析ではない日に佐古田くんは魚屋や飲食店へバイトに行く。 「佐古田くん、夜あいてる? 万華鏡のチアキさんがお店手伝ってほしいって」 「ああ、うん。いいよ。よりさんも飲みに来る?」 「暇だったらね」  昼食を食べて佐古田くんはマネキンを夏物に着せ替え中。彼がマネキンの服を脱がせるのを横目で見てしまう。いつかあんなふうに私も裸にするのだろうか。  祖母が病気だから私はここへ来て、店の手伝いはしているけれど、もっと重宝されると思っていた。佐古田くんのせいじゃない。私に問題があるのだ。 「よりさん、これでいい?」 カモメ洋品店のお客様は年齢層高めだからTシャツではなくペイズリー柄の羽織。 「うん、いいんじゃない」  下はアイボリーのワイドパンツ。 「これってミドリ虫?」  佐古田くんが聞く。 「そういう柄よ。知らないの?」 「微生物みたい」 「理科でやったね」  こんなふうに笑い合いたくない。 「うん。よりさん、なんの教科得意だった?」 「国語かな」 「デザイナーって美術とかじゃないの?」 「絵はそんなに上手じゃない。お針子作業は好きよ」  もくもくと同じ作業をしていたい。 「へえ。じゃあ、布で何か作って売ったらいいのに。そういうのなんて言うんだっけ? 6次産業? 生産、加工、販売みたいな」  佐古田くん、いろんなことに詳しいのね。 「布は作れないよ」 「前に綿の栽培している人と知り合ったよ」 「へえ」  やっぱり佐古田くんの人生は謎。  その佐古田くんの顔がマネキンの乳の目前。安物の水晶のネックレスをかけた。そんなことだけでドキドキする。 「差し色にハンカチ、青っぽいのがいいな」 「うん、いいと思う」  センスは勉強ではなく直感という人もいるけれど、本を見たり、色学を知れば合うものがわかってくる。  謎だ。佐古田くんを受け入れてしまった祖母と彼を頼りにするこのアーケード街の人々。かろうじて彼を疑っているのは私だけ。 「こんにちは」 「いらっしゃいませ」  中高年のお客さんは佐古田くんを一瞥。気にしない人はしないし、する人は徹底的にする。この人は後者だ。  服ではなく下着を買う人は男の人が商品に触れることが嫌みたい。下着類はハンガーを取ってたたんで袋に入れる。佐古田くんが手伝おうとするのをやんわり断る。  佐古田くんは察しやすいので、ご婦人に、 「3618円です」  と言ってお金を受け取るだけ。 「ありがとうございます」  人によっては持ち帰って一度洗ってから身につける人もいるそうだ。
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