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 祖母の透析は3時間程度。自分で原付で通ってくれるから特にすることはない。 「ただいま」  と帰って来て、少しだるそう。いつも目元が赤くなる。 「おかえり」  透析って血を入れ替えるものではないらしい。昔だったらもう死んじゃってるのだろうか。 「上にいるね」  ゆっくりと祖母が階段を一段ずつ上ってゆく。 「うん」  帰宅した祖母は決まってテレビを見ながらソファで横になる。うとうとして体を休ませる。  店で私と佐古田くんは入荷した靴下に値札を貼り付けて、セールのワゴンに投入。60円で仕入れたものを100円で売る。40円がうちの利益。  商売というのはそんな甘いものじゃない。万引きされたり、破れていたり、クレームが入ったり。だから検品も兼ねる。段ボールの底に細長くて硬そうな死んだ虫を発見。こんなのはよくあることだ。捕らぬ狸の皮算用はせず、ざっくり利益を見通す。 「じゃあ、俺そろそろバイト行くわ」  と立ち上がる佐古田くんを引き止められない。 「いってらっしゃい」 「よりさん、来てね」 「気が向いたらね」 「夕飯、生姜焼き仕込んであるから焼いて食べて」  いつの間に味付けをしてくれたのだろう。 「うん、ありがとう」 「よりさんにはサラダ、おばあちゃんには煮びたし作ってあるから。今日の味噌汁はあご出汁だよ。魚屋のおじさんに分けてもらった。ちゃんと薄味だから」 「そう」 「いってきます」  ねえ、どうしてそんなに優しいの? 出かけてゆく、夫でも恋人でもない同居人に聞けない。すっごい悪人だったらとうに私と祖母を殺して、この店を乗っ取っている。いや、こんな店もらうだけ面倒だ。税金がかかるし、下手に長く商売をしているから、私たちに異変があれば周囲がすぐに気づいてくれるはず。  私は店をうろつく。床や棚に蛾が死んでいるような店は嫌だし、気を抜くと蜘蛛の巣もできるから日々、きちんと見回る。店自体は10坪ほどで、広くはない。  うちの店では布地も売っている。メートル単位で販売もしているが、それで何かを作ってみるということは考えなかった。春先に、幼稚園や保育園に入園するお母さんたちが買い求めに来た。作らなければいけないものがあり厄介だと話していた気がする。  そうか、作って売ればいいのか。いいのかな? 「いいんじゃない」  と夕飯を食べながら聞いてみたら祖母はまるで他人事。 「生地の問屋さんから何か言われない? 法律はどうなの? キャラクターのは使わないほうがいいよね?」 「さあね。それより今日のお味噌汁おいしい。なんなの、これ」  しばらく食に興味なかった祖母が目を輝かせる。 「佐古田くんがあご出汁って言ってた」 「で、その佐古田くんは?」 「チアキさんの店。太陽が今晩いないんだって」 「そう。佐古田くん狙われてるんじゃないの? よりちゃん、さっさと入籍しちゃいなさいよ。あんな優良物件ないわよ」  と祖母に捲し立てられる。 「やだよ」 「好いてくれてるんだからいいじゃない。女は愛されてなんぼよ。私とおじいさんなんて…」  長話が始まりそうだったので、超絶うまい生姜焼きを食べて、 「出かけてくる」  と席を立った。 「ちゃんとがっちりハート掴んどくんだよ。男はね…」  そもそもくっついていないのにどうやって掴むのだろう。  悪い人じゃないと断言してくれたらそれでいいのに。  いつの間にか佐古田くんはパン屋さんが夫婦でミソノさんという名前であることまで知っていて、なんというか、気持ち悪い。私は人がそんなに好きじゃないのだ。だから人の名前とか連絡先を聞けない。聞かれたら極力かわす。それが他人と共存するために私が身につけた生き方なのだ。  うちの隣りは、漢方なども置いている薬局屋。 「よりえちゃん、こんばんは」 「こんばんは」  うちの祖母よりも年上のよぼよぼのおじいさんが店を閉めている。外に出した綿棒とかをしまっている。 「手伝います」 「ありがとう。それだけ入れてくれたらいいよ」 「はい」 「昨日は佐古田くんがしてくれてね」  お隣りにまで浸食してやがったか。 「そうですか」 「いい子だね」 「そうですかね」  どうしてみんなはあんな風来坊を信頼できるのだろう。私が裏切り深いのだろうか。すぐ近くにに交番があるからって、悪い人は確実にいるものだ。 「ありがとう」  おじいさんは手を振って見送ってくれた。歳を取っているから白髪だけど、昔はダンディだったのだろう。そういう面持ちをしている。薬局をやっているということは薬剤師の資格を持っているからって利口なおじいさんの見立てが正しいとも限らない。  なんでこんなにも私は佐古田くんを遠ざけたいのだろう。信頼していないわけではない。一緒に暮らしていても家族じゃないのだ。  薬局の数軒先の角には潰れた映画館が放置されたまま。他にも空き店舗がいくつもある。漬物店、甘味処。クリーニング店は私が来てから潰れた。人の家のことを言えないけれど、なぜ布団屋と鋳物屋が潰れないのか理由がわからない。きっとうちと同じで借金がなく、細々と店を続けているのだろう。うちよりははるかに昔稼いだお金があるのだろう。みんな一人か夫婦で営んでいる。私がいないほうが祖母はいいのではないだろうか。透析に行っているときにだけ店を閉めても問題はないだろう。周囲は知っているから祖母と話したい人はきちんと祖母がいるときに来るもの。  私には存在意義がなさすぎる。
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