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「こんばんは」  万華鏡はそこそこ混んでいた。今日は女性客多め。私はカウンターのはじっこに座った。 「いらっしゃい。佐古田くんに来てもらって助かってる。はい、お通し」  チアキさんの豊満な胸に私は目が行く。佐古田くんは違うのだろうか。 「お通しからハンバーグ?」  小さいのがふたつも。 「おからハンバーグよ。佐古田くんが作ってくれたの。食べて食べて」 「たけのこ?」  食感までおいしい。 「そう。歯ごたえがいいの。その和風ソースも野菜たっぷりでいいでしょ?」  チアキさんに佐古田くんを取られることは容易いだろう。 「これお通しにしたら注文が1品減るんじゃない?」  私は言った。 「だから小さめにしたのよ」  佐古田くんはテーブルの客と話し込んでいる。女三人に囲まれて楽しそうだ。  モヒートを飲んでいてもちっとも私のことすら見てくれない。だから珍しく生春巻きを頼んでしまった。オーロラソースと酸っぱい味がして、細い白滝のような触感が口の中でもそもそする。レタスか水菜がちょっと古い味がする。チキンも海老もない。 「それビーガン用だよ。おいしい?」  やっと佐古田くんが話しかけてくれたのに、 「うん」  とだけ答えて会話が終わってしまった。うちの店や家だと違うのに。 視線が合わせられなかった。私より、あそこのテーブルの女の子のほうがきっとかわいい。卑屈になっているのではない。私は顔のパーツは普通なのに、集合体になると微妙。  どこかのテーブルが頼んだイカのピザがすごくおいしそうで見とれてしまった。ジューっと音だけでおいしそう。一人だから、あれを注文することなどないのだろう。チーズと海鮮の匂いが相乗効果。佐古田くんが喋っていた女の子グループの席に運ばれてゆく。 「熱いですよ」  チアキさんが目の前でメッツァルーナでカット。 「きゃー、すごい」 「おいしそう」  女の子たちは写真を撮ってちっとも食べない。  ああ、食べたい。私が代わりに食したい。  しかも、細身の女の子三人であれが食べきれるとは思えない。 「うまそう。このへんに俺が捌いた白身魚と、このへんに明太子、このへんにツナマヨがあります」  佐古田くんが女の子たちに説明する。 「へえ」  女の子たちの声が私の神経をぴりつかせる。 「餅とイカ、見分けつく?」  佐古田くん、私以外に優しい声をかけないで。接客にまで焼きもち焼きたくないな。 「え、わかんないかも」 「俺も食べたいな。もらっていい?」 「はい、どうぞ」  そう言って、私の横に持ってきた。チアキさんにビールまでもらっている。 「おいしそうね」  私は言った。 「よりさん、食べたそうな顔してたから」 「よくわかりますね」 「奥さんになる人だからね。そっち向いて食べちゃってよ。あの子たち見てない」  と私の左耳に唇を近づける。 「いいのかな」  他のお客様の食べ物だ。 「ピザってね、焼き上がってから数秒で味が落ちるの。湯気においしさが奪われるイメージ?」  だから写真を撮らずに口に運べと言いたいらしい。 「はあ」 「ああ、あの席のも持ってきちゃいたい」  力説に促されて私はピザを口に運んだ。 「いただきます。うめぇ」  ひとくち目の私の感想。ふたくち目もおいしい。おいしいものをぎゅっと乗っけておいしいチーズで焼いたらおいしいが倍増。外側がピザソース。イカとの相性バツグン。キノコもいた。食感に私の歯が喜ぶ。 「おいしい?」  佐古田くんが聞く。 「うん。うちでも作れる?」 「うちは魚焼きのグリルしかないし」 「そうか、そうだね」  佐古田くんは残りのピザを頬張って仕事に戻った。 チアキさんはいつも活き活きと働いている。夢を叶えた人特有の顔をしている。  私はだめだった。落ちぶれて、こんなところにいる。手の中で、氷が入ったグラスをカランコロン。女の子の高笑いがするたび、そちらを向きたいのに見れずにいる。  服、作ってみようかな。手提げバッグなども注文を受けようかな。ミシンはあるのだ。薄くなったハイボールが私の脳を楽しくさせる。  ちょうどこのアーケードにはテーラーもない。紳士服の技術はさすがにないけれど、お直し程度ならできるかな。かわいい子供服を仕立てるのも悪くない。  どうして今まで私はそれに気づかなかったのだろう。  先日、高校生が布を買いに来た。私は言われた通りに必要な生地を集めた。それだけ。どんなものを作るのかも聞かなかったし、作業工程も聞かれなかったから教えなかった。もっと違うやり方があるのではないだろうか。  だけれど、張り切って作った服が売れなかったら、私はまた凹むのだろう。もう逃げ場所はない。  若いけれど、気力と根性がない私は人生を悟ったふりをして俯瞰していたいのだ。 「ありがとうございました。またお越しください」  店内にチアキさんの大きな声が響き渡る。好きなことを仕事にしていたって辛いときは辛い。  誰かのために生きる人生が正しいとも楽だとは言い切らない。だけれど、自分のためだけに頑張には無理がある。人間は車と違ってガソリンを入れれば動けるものじゃない。心のガソリンは3食のごはんじゃ足りないの。虹が毎日見えるわけではないし、甘いものを食べすぎたら太るだけ。
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