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それから何日かに一度、マコトは順調に教習所へ通った。
杏奈は教習中、何度かマコトを見掛け、その度に興奮して喜んでいた。
そんなある日。
また葵が学科教習担当だった時、学科準備室に突然マコトがやって来た。
「川原先生。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
前の教習でマコトは葵の学科を受けていた。
いつものように前の席に座り、頬杖を付いて葵を見つめる。
その日もそうだった。
「えっ?…あ…、分からない事ですか…?」
芸能人に話しかけられてなのか、城之内真言かもしれないからか分からないが、葵の鼓動が速くなる。
「うん。今教えてくれる?」
口調がタメ口だ。
テレビでは敬語で話していた気がしたが、今はそんな事どうでも良い。
「私で…分かることなら…」
「川原先生、先生でしょ?分からない事あったらダメじゃ〜んっ。ははっ」
マコトが前髪を掻き上げてニィっと笑った。
その仕草を見て心臓がドクンっと鳴った。
また体が一気にカァッと熱くなる。
「そっ…、そうですよね…。じゃぁ…、そこのテーブルに座って下さい…」
「はいは~い」
随分軽い態度をする。
あのバラードを作詞作曲した人物とは思えない。
これが素の阿部マコトなのだろうか。
マコトがテーブルに座り、教本を広げた。
「隣…失礼します…」
テーブルは壁に長く取り付けられているので横並びにしか座ることが出来ない。
「うん。もっと近くに来てよ。なんでそんなに離れんの…?」
マコトと葵の間は人一人余裕で入れる程空いていた。
「すいませんっ…」
何故か葵が謝り、恐る恐るマコトの近くに椅子を移動させた。
「あのさぁ…」
マコトがまた頬杖を付いて葵の顔を覗き込んだ。
「先生、城之内真言って知ってる?」
「ひぇっ…?」
あまりの驚きに変な声が出てしまった。
「ははっ…。その反応、知ってるでしょ…。それ、俺だよ」
口元だけニッと笑い、鋭い目つきで葵の顔を更に覗き込んで来た。
耳元で大きく鼓動が鳴る。
念のため手に持っていたペンがじわりと汗で湿っていく。
「じょっ…城之内…真言君…、本当にっ…阿部さんがっ…?」
「やっぱりねぇ…。絶対そうだと思ったよ。昔の葵と全然変わんねぇんだもん…。ね、桜井葵…」
たぶん葵の心臓は一瞬止まった。
葵はそれくらいの衝撃を受けた。
「っ!」
衝撃が強過ぎて何も言葉が出ず、目を大きく見開いたままマコトを見入ってしまう。
その間も物凄い速さで心臓の鼓動が耳元で聞こえる。
もはや耳元だけでなく、鼓動を全身で感じる程だった。
「私のっ…昔の苗字…」
「うん。マジで生きててくれて良かった…。でも…せっかく葵を見つけたのに…まさか結婚してたとは…。すげぇショック…」
「ちょっと待ってくださいっ!」
マコトの言っている事が良く分からなかった。
「葵さぁ。テレビとか観て、俺が城之内真言って気付かなかったの?」
「はぁっ?そんなの気付きませんよっ!…それにっ、私結婚なんてしてませんからっ!」
葵の言葉にマコトがキョトンとして頬杖をついたまま固まった。
「結婚…してないの…?じゃぁ、何で苗字変わってんだよ…」
「先生〜っ!ちょっと分からない事が…!阿部マコトっ!」
高校の制服を着た二人の教習生が準備室に入って来た。
「あっ…。えっと…」
葵はどうして良いのか分からず顔が引き攣ってしまう。
「川原先生に質問?じゃ、俺は消えるから〜」
教習生に笑顔で手を振り、マコトは準備室から出て行ってしまった。
マコトが座っていた辺りには、レモングラスの香りがほのかに残っていた。
その日の学科教習は衝撃を受け過ぎて集中出来ず、映像を流す時に違う映像を流してしまったり、教本の同じところを読み返してしまったり、散々な日を過ごす羽目になった。
異常な疲れの中、仕事を終えて葵は一人で地下にある職員用の駐車場に向かった。
シフト制なので、まだ教習をしている指導員もいる。
「はぁっ…」
ため息をつき、葵の車のドアノブを握った時だった。
「葵っ」
誰もいないはずの地下駐車場にマコトの声が響き、また心臓が止まる思いがした。
「あっ…阿部さんっ…」
「ふーん。これが葵の車?カワイイの乗ってんじゃん。やっぱり昔から好きな色、変わってないの?」
パールの淡い水色をしたコンパクトカーを見てマコトが切なげに笑った。
「あの…」
「葵…。話がしたい」
マコトはこっそり葵の後をつけてきたようだ。
葵の立つ壁と運転席のドアの狭い隙間にまでマコトが入って来る。
「話って…」
「結婚…、してないんだろ?」
「うん…」
「俺の事、……城之内真言の事は…?」
「……ずっと…、会いたかったよ…」
「今でも好きでいてくれてるの?」
「うん…。真言君の事……忘れたことなんて…無いよ…」
「それ聞いて、安心した…」
マコトが葵の目の前に立ち、肩を持って運転席のドアに葵を押し付けた。
「阿部さっ…んっ…」
葵はドアに押し付けられたままマコトに突然キスをされた。
本日何度目か分からないが、また、鼓動が速くなり、全身がカァッと熱くなる。
驚いて目を開けたままだったが、何故かレモングラスの香りが心地良く、少しずつ落ち着いてきた。
その間もマコトはキスをやめなかった。
葵は目を閉じ、マコトの腰をギュッと握り、マコトにされるままキスを続けた。
私はこうなる日を…、ずっと待っていたんだ…
14年振りに、二人は再会を果たした。
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