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 三月、ジュンの職探しは難航していた。やはり資格の一つでも取得しておくべきだったと思うが、全く興味のないことを勉強するのは苦痛で仕方がない。中学生を教えているトウコに話したら、きっと呆れてしまうだろう。元々産業の少ない地方都市に加え、歳も取り過ぎている。未経験の上、学歴も無い。世の中甘くない。どこへ行っても拒まれるようで心が萎縮した。盛岡のハローワークでようやく見つけた仕事の給料は目を疑うようなものばかりで、危険、汚い、きつい、所謂3Kと呼ばれるものばかりである。警備や清掃、工事現場作業員、害虫駆除など。芸術家になれなかった者が辿り着く成れの果てとはこんなものだろうか。ジュンは思い切って中学、高校と同級生だったタカシに連絡を入れた。彼は地元の国立大学を卒業後、父親が経営する会社に就職した。大通り商店街の一角にある喫茶店で会うことになった。約束の時間に少し遅れてタカシがやってきた。紺のスーツを着て、身なりが整っている。ヨレヨレのセーターを着たジュンとは対照的だった。 「よう、元気か?」  タカシがコートを脱いで、丁寧に折りたたむ。 「よう元気かじゃねえよ。こっちにいつ来たんだよ?」 「一月」 「転勤か?」 「いや、そうじゃない」 「じゃあ、何しに来たの? 観光か何か?」 「ただ単に地元に来ちゃダメなのかよ」 「そんなことないけどさ、確かお前の実家、東京に移ったんじゃなかったっけ? 親父さんが転勤になったとかって」 「ああ、高2の時に両親だけ東京に引っ越した」 「そうだよな、下宿生活していたもんな」  タカシが煙草を一本取り出した。 「ところでジュン、お前、今何やってんの?」 「ん? 何もやってない」 「仕事は?」 「してない」 「何だよ、それ。俺はまたお前が絵描きかデザイナーにでもなるのかと思ったぞ。諦めたのか?」 「まあ、そんなところだ。世の中、絵の上手い奴なんて五万といる」 「そうだろうけどさ、そういう変に淡白なところがお前の悪いところだと思うよ」 「説教はよしてくれよ」 「結婚は? 家族はいるんだろう?」 「いないよ。ずっと一人だ」 「そうなのか? 高校の頃付き合ってた彼女は?」 「いつの話だよ。もうとっくに別れた。彼女は結婚したよ」 「そうか、すまん。俺はてっきり、お前は彼女と一緒になるものだとばかり思っていた」 「縁が無かったのさ」 「ところで仕事はどうすんだ? ただでさえ小さな街なんだ、まともに暮らすには公務員にでもならなくちゃやっていけないぞ」 「ああ、田舎で仕事探すのがこんなに大変だとは思わなかった」 「お前な」 「タカシ、お前の方は順調なのか?」 「ああ、御陰様で何とかやってる。来月二人目が授かる」  ジュンが顔を上げた。 「そうなのか、おめでとう」 「有難う。俺は結婚が遅かったからな」 「スマンな結婚式行けなくて」 「いいさ、大変なんだろうとは思ってた。それにお前にとって盛岡は、もはや縁の無い土地になってしまったんだろうし、東京からわざわざ駆けつけてもらうつもりもなかった」 「タカシ、お前、家庭を持って今、幸せか?」 「当たり前だろ? バカなこと聞くなよ。俺は今人生で最も幸せだと感じているよ。生活も安定して、子供ができて、これ以上に何を望む? 俺は今の生活に充分満足してる」 「そうか、よかったな」 「何だよ、それ。含んだような言い方をして」 「そんなつもりはないよ。素直によかったなと思うよ」 「ジュン、お前はどうなんだ? 自分の選択してきた人生に対して後悔でもしているのか?」 「後悔なんかしてないさ。例えどんな選択をしてようが、結果は同じだったと思う。これはきっと魂の問題だから」 「魂の問題?」 「何かさ、言っても理解してもらえないだろうけど、心が、安定しようとすると疼くんだ。不安定な自分が嫌なくせに、安定を求めようとした途端に魂が逆方向に走ろうとする。俺にもよくわからないんだ。心が何かに怯えているようで、きっと安定を得る代償として支払う何かがあって、それによって自分を失ってしまうんじゃないかって」 「両立できないってことか?」 「両立というのとも違うな。部活と勉強を両立させて両方上手くできる奴はいる。でも、それとは違うんだ。片方を得ることで、もう片方を失うことに似ている。いや、それとも違うな。そうではなくて、俺はもう不安定さの中でしか生きられない魚のようなもので、安定を得た途端に窒息してしまいそうになる。それがわかるんだ直感的に」 「不器用なんだな」 「素直じゃないと言いたいんだろう?」 「どっちが自分に素直に生きているかなんてわかりっこない。ただ、大人になって、結婚して子供ができて、以前のような素直さだけじゃ生きて行くのが辛くなったのは確かだ。多少は狡賢くもなったよ。本音と建前を使い分けるのも上手くなった。でも、それのどこがいけないと言うんだ? 皆、そうやって大人になって行くもんだろ? お前のように不器用に、昔のままを通し続ける方が難しいんだよ」  先日トウコと岩手公園で会った時のことを思い出した。彼女が言いかけてやめたこと。それは言わなくてもわかる。学生時代最後の冬、海外に行くと言ったまま何故トウコの元に戻らなかったのか? あの頃のジュンにはトウコしかいなかった。絵を描くことをやめ、帰る故郷を見失い、最後に残ったたった一つの存在だったというのに、ジュンはトウコの気持ちを踏みにじった。彼女は待ちくたびれて、裏切られたと知った時、戸惑いと苛立ち、悲しみ、そして虚しさに押し潰されたに違いない。けれども彼女は心のどこかで、その結論に気付いていたはずだ。本当はその理由すら知っていたのかもしれない。いや、そうではなくてジュンの中に理由と呼べるものが無いことを、知っていたはずだ。 「ジュン、どうしたんだ? 急に黙りこくって」 「すまん、少し考え事をしていた」 「まあ、そう思い詰めるなよ。こんな小さな街でも、きっとどこかでお前を必要としてくれる職場がある。気長に探せよ」 「もう少し温かくなったら本気で探すよ」 「お前らしい発想だな。今のうちのんびりしたらいいよ。温泉にでも行って来たらどうだ? 今の時期、春スキーも悪くない」 「春スキーか。安比高原にでも行ってみるか」 「ジュンはスキーが得意だったな」 「もう十年以上滑ってないけど」 「誰か誘う相手はいるのか?」  トウコの顔を思い浮かべた。 「宛が無いわけでもない」
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