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05-22 魔女っ子は死なず。ただ消え去るのみⅢ
*
――ステラの精神の世界。
リコリスはほくそ笑んだ。
「ホホホ、やりましたワ。あとはババアを殺すだけ! ホホホホホホ、ハァハッハッハ!!」
ほくそ笑みはすぐさま高笑いにかわっていた。おっとはしたない。リコリスは口元を手で抑えた。
リコリスはトシャと謎のババアとの戦いで苦戦を強いられていたが、思わぬハプニングでトシャが離脱することとなった。眼帯の電撃が水属性のトシャに効果が抜群だったのだ。おかげで形成が逆転した。さらに眼帯はトシャを前にして日和り、つかみかけた勝利をフイにした。おかげさまでリコリスは現実世界で勝利をつかみ、さらには精神世界でも勝てそうだ。つまり完全勝利。眼帯は本当に良い仕事をしてくれた。
謎のババアはトシャがいなくなったことで、唐突に力を落とした。トシャとともに戦っていた時は、トシャを守りつつ神聖魔術を使う隙を作ったり尿意を催させたり、老獪な手練手管を用いてリコリスを苦しめた。どうにか神聖魔術の発動は阻止してきたが、使われるのは時間の問題だった。リコリスは武術と魔術どちらも使える万能型だが、どちらかといえば武術を得意とする。生粋の魔術型2体を相手に、魔術戦をするのはなかなかに辛かった。
「くそ、トシャがおらんと力が出せん! 無念や!」
と謎のババアは捨てセリフを吐き、陽炎のように消えた。手強いババアがいなくなった! 精神世界の邪魔者はこれですべて消えたということになる!!
ヴィクター、ヘルメス、マッド、クー、タフガイ、ラビリス、メイ、トシャ……そして謎のババア!!
立ち塞がるあらゆる障害を愛の力で乗りこえた。もはやリコリスとステラを邪魔するものはない!!
リコリスはうきうきと鎧と眼帯とトシャを棺の中に放り込み、ステラに罪悪感を存分に味わわせる。ステラは罪悪感に押し潰されてしまったのかとうに動かなくなっている。
「まだまだ殺します、まだまだまだまだ殺しますヨ!!」
リコリスの眼前にはヘビの群れがある。200を超えるこれらの死体を棺に放り込めば、もうステラの魂は罪悪感に染まり切って2度と浮かんで来られまい。なにもかも嫌になって、やがてリコリスにすがり、そのうちバアル様の名づけを受け入れるだろう。
「さあて、ヘビども。全員ぶっ殺してあげますワ」
可能な限り残酷に。可能な限りステラが罪悪感を覚えるように。
ヘビの何体かは上の階層に逃げたが、この階層に留まり、ステラに武器を向けている者もいるまずはこいつらから殺す。殺した者の生首でアクセサリーを作って、それをぶら下げて上の階層へ行き、残った者を殺す。
「ホホホホホホ」
リコリスは高らかに笑った。棺がガタガタと震えたのはその時だった。
「おっ!?」
リコリスはニヤニヤしながら耳を澄ませた。
「や、やめて!! もう殺さないで!! なんでも言うこと聞くからあ!!」
とステラの泣き声が聞こえた。
「や、やめる! やめるから! わたしこのダンジョンやめるから! みんなを殺さないで! と、友達になるから! リコリスちゃんの仲間になるからあ!」
「フフーン??」
リコリスとしては気丈なステラと仲良くなりたかったのだが、まあこれはこれで。気丈なステラも素敵だが、堕ちたステラもきっと好きになれると思った。
「わらわが友達や仲間で満足すると思いますカ。ステラにはわらわと『結婚』してもらいます」
と言うと、ステラは答えた。
「け、結婚する!! するからあ!!」
「ホントですカ!」
ダメ元の提案だったが受け入れてもらえた。もっともステラが受け入れなければヘビを殺すつもりだったのだが。
ステラが堕ちた。リコリスは狂喜した。全身の穴という穴から喜びがあふれ出てどうにかなってしまいそうだ!!
「幸せに……なりましょうネ……」
震えながら言うと、ステラは「うん! うん!」と答えた。
「リコリスちゃん、わたしをこの棺から出して! いますぐ結婚式をしよう?」
「いいえダメです。ステラはずる賢いから、わらわを騙そうとしているんじゃないかと疑っています」
賢者タイム。歓喜のピークを過ぎてリコリスは冷静になっていた。
「リコリスちゃん……どうしたら信じてくれるかな……?」
「そうですネ……まずこのお墓に刻まれた『ステラ』の名前を消してもらいます。どうせあとでバアル様から新しい名前をもらうのですから、消せるはずです。棺から出すのはそれからですワ」
「……」
墓に刻まれた名前を消すこと。それはつまりヘルメスから授かった『ステラ』の名を捨てるということを意味する。ダンジョンの所属から脱退し、名無しの魔物となることを意味する。ステラとして生きてきたこれまではすべて投げうつことを意味する。大したことはない。愛が本物ならできるはずだ。
「どうしました? わらわと結婚したい気持ちが本物ならできるはずですヨ?」
リコリスはヘビのひとりに手を伸ばし、ステラを脅迫する。
「わかった。ステラの名前は捨てる……」
墓の文字がスウ……と静かに消えた。リコリスを再びの歓喜が襲った。リコリスは身もだえして、手足をバタバタさせて地面をゴロゴロ転がった。
「あ、嗚呼…………素敵……!!!」
ステラの人生をめちゃくちゃにして完全に屈服させたという喜びにリコリスは震えた。嫌なことばかりの人生だったが、生きていればこんなに良いこともあるのだ。辛いときも希望を失わず頑張ってきた甲斐があったというもの。
お父さん、お母さん、師匠、わらわは大好きな人と結婚します!! きっと幸せな家庭を築きます!!
涙と鼻水とよだれだらけになったリコリスは、コホンと咳払いをすると、棺に手をかけ蓋を開いた。棺の中のステラ(仮)はすでに黒い花嫁衣装に着替えて目を閉じたまま待っていた。
「さあ、出ておいで……わらわのかわいいお嫁さん」
リコリスがステラの手をとると、ステラは目を開いた。リコリスが染め上げた赤い瞳はいっそう黒みを増している。闇に通じているかのようにも見える。
ゆっくりと立ちあがったステラをリコリスは力いっぱい抱きしめた。
「リコリスちゃん……苦しいよ」
「うん、うん、ごめんネ、ごめんネ。ステラも抱きかえしてくださいネ」
と言うとステラも抱きついてきて、リコリスは昇天するかと思った。
「さあ、ステラ……いや今は名前がないんでしたね……わらわとあなたが結ばれた記念に、Kissをしましょうネ」
「キス?」
「Kissです。あなたのなんにも書いてないお墓の前で、わらわたちの永遠の愛を誓うのですヨ」
リコリスはそう言うと、無記名の墓石を満足そうに眺めた。ステラもリコリスに続いてその墓を見た。しばらくそうしていると、ステラの目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。ステラの涙はしだいに多くなり、「う、ううう」と嗚咽まで漏れはじめた。
「悲しいですネ……名前を無くした悲しみは耐えがたいでしょうネ……ですが大丈夫ですヨ。バアル様に頼んで、新しい名前をつけてもらえばいいんですから……」
「……」
「わらわ、ステラと結ばれるのをずっと夢見てた……新しい名前は『アイリス』というのはどうでしょう……わらわの好きなお花の名前です。リコリスとアイリス、名前も似ていて素敵だと思いませんカ……名前を通して魂がつながっているというか」
「う、う……うん」
リコリスは泣き止まぬステラの肩を後ろから抱きしめた。そして、ステラの心の墓に『アイリス』という文字が刻まれる日を夢想した。アイリスとしては、リコリスが考えた名前で生きるステラの姿を夢想した。
「ううん、リコリスちゃん……わたし、アイリスにはなれないの……」
「それはどういう……」
ステラが墓を指差した。しばらく墓を眺めていると、リコリスは異変に気がついた。墓になにか文字が浮かび上がってきている。その文字はステラでも、アイリスでもなかった。
“アバぶひぇ”
リコリスは意味が分からなかった。目を手でこすり、もう一度墓に刻まれた文字を見た。生涯初の二度見であった。
“アバぶひぇ”
“アバぶひぇ”
“アバぶひぇ”
何度見ても墓には “アバぶひぇ”としか書いていない。つまりステラは今後 “アバぶひぇ”という名前で生きていくということ。ステラがせっかく名前を捨てて、リコリスと結婚してくれると言ってくれたのに。よりにもよって “アバぶひぇ”。 “アバぶひぇ”とは。
そうか。ステラは、すでにバアルに名を授かっていたのか。こんな、変な名前を。
リコリスの思い描いた幸せな未来ががらがらと崩れていく。リコリスは絶望した。
「わたしがガレキの城で生きるってことは、“アバぶひぇ”として生きるってことなんだよ……わたし、ガレキの城では“アバぶひぇ”なの……」
「あ、嗚呼……ステラ……こ、こんな……こんな名前……あんまりだワ……あまりにもあんまりだワ」
今度はリコリスが涙を流す番だった。なんてかわいそうなステラ……! どうしてこんな不幸がこの娘にふりかかるのか……! リコリスは墓の前に立つと、怒りに任せて拳を叩きつけた。何度も何度も叩きつけた。
「バアル……! バアルめ……! この怨み、晴らさずにおくべきか……! ステラを傷付けた罪、このわらわが死を以て償わせてやる……!」
「リコリスちゃん……」
リコリスが思い切り拳を叩きつけたとき、アバぶひぇと刻まれた墓はビキビキと音を立てて崩れ去った。その様を見て、ステラは手を合わせて感激した。
「ステラはここで待っていて。わらわ、バアルを殺してきます!」
「うん、うん……! うれしい! でもそんなことしたら、リコリスちゃんがデリートされちゃうんじゃ……」
「わらわを心配してくれているのですネ……うれしい!!! 大丈夫、今バアルは死にかけて絶賛治療中です。殺すのは容易い!!」
「さすがリコリスちゃん!!」
「いえいえ! ねえステラ……わらわが無事に帰って来たら全身の体液が入れ替わるような激しいKissをしましょうネ」
「……うん。楽しみに待ってる」
そう言うとステラは遠くを見ながらすっと指をさした。その方向には光が射していて、「リコリス、戻ってくるのだわ!」とミミルミルが必死で呼びかけていた。
「あそこから出られるよ」
「ハイ! すぐに行ってきますネ!」
リコリスはステラに何度もウィンクと投げKissをしてから、背中の羽根を広げ、光に向かって飛びだした。凄まじい加速で背景が後方へと吹き飛んでいく。リコリスの顔には愛する者のために戦える喜びと、バアルに対する憎悪で燃えたぎっていた。
*
「……あんなイカレ、よう追い出せたな」
ジンリンが言うと、ステラは悲しげに笑った。
「……もっと早くこうするべきだった。みんなを傷つける前に……あの人を好きになってしまったばかりに」
粉々に砕けた墓を眺めながら、ステラは顔を覆って嗚咽を漏らした。仲間たちを傷つけヘルメスにもらった名前まで失ったステラはもうダンジョンにはいられない。
「過ぎたこと言うてもしゃあない……大事なのはこれからどうするかや」
「……」
「名前ものうなって、ここにはおられんようになって、リコリスと結婚の約束までしてしもうて……それでもあんたは“生きとる”し、これからも“生きる”んや」
「それは、あの人が“生きろ”と」
ステラは前を向き頷いた。手首で両目をぬぐった。
「わたしはこのダンジョンを出る。リコリスだけはこの手で殺す」
瞳には復讐の炎が滾っていた。
「何も出て行かんでもええやんとは思うけどな……。名前ならヘルメスにまたもろうたらええんやし。みんなもステラのせいじゃないってわかってくれると思うで」
ステラは首を振った。
「ううん。ケジメをつけずに戻れないよ。わたしとリコリスはもうどうしょうもなく深くつながってしまった。リコリスが生きている限り、きっとまた同じことをする。わたしはもうみんなを傷つけたくない」
ジンリンはふう、と息を吐いた。
「どうしてもやるんやな……」
「うん」
ステラの眼差しには深い決意が表れていた。ジンリンはなにか自分にできることはないやろか……と考えた。
「しゃあないな……そやったらステラ、ウチの魔術全部覚えていき! 教えとらん魔術がぎょうさんあるんや!」
死んだ自分がステラに会える機会はきっと二度とない。ステラに伝えられなかった魔女っ子の技術、そして魔女っ子の心意気を教えてあげたかった。
「おばあちゃん……ありがとう。また会えてうれしい」
「ウチもや」
ステラは涙を浮かべたまま笑った。ジンリンはステラの頭をワシャワシャと撫でた。しばらく笑ったあと、ジンリンは無理やり眉間に皴を寄せた。ステラも表情を引き締めた。
「さーて、ウチは厳しいで! 基礎からびっしり教えたるから覚悟しいや!」
「はい!」
「……といいたいとこやが、時間がないからちゃっちゃといくで! ウチが魔術使うとこ見といて! あんたならそれで覚えられるやろ!」
「はい!」
「ほないくで!」
「はい!」
ジンリンはしばらく愛弟子との会話を楽しんだ。ステラが無事にリコリスを討ち果たし、ヘルメスたちと再び笑いあえる日が来ることを願った。
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