第一章

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 お天気もいい小春日和。昼食も食べたし、急ぎの案件もないので眠くなるばかりだった。それはみんな同じようでキーボードの音も響いていない。忙しい時なんか夏の蝉並みにうるさいのに。  課長の席に目を向ける。今日は大事な会議だと言っていた。いつもは午前なら午前だけ午後なら午後だけに行われていたのに、今回からはランチミーティングを取り入れて行われるらしい。それもアメリカ帰りの専務のせいだ。  この会社は大手企業のように名前は知られていないけれど、スタンダード市場には上場してる規模の企業だ。いまの社長が一代で築いた。さらに拡大してプライム市場に上場させたいのが専務の目標なのでかなりのやり手だというのは噂で聞いたことがある。エレベーターの前でちらりと見かけたけれど、背が高くて意外といい骨格をしてるなという印象だった。私は階段派なのでよくは見えなかったけれど。取り巻きが周りにたくさんいてその中でも上質なスーツを着ているなと思った。専務は半年前にやってきたが「我が社の役員にもイケメンが来た」と給湯室では盛り上がっていた。さすが女たちの情報交換所と思ったけれど。そしてすぐに専務の辣腕ぶりは私たちの耳にも届くようになった。業績も上がっていると聞いた。  そんな専務とランチミーティングなんて課長も胃が痛いだろうなと他人事のようにぼんやりと思った。  私が所属する営業三課は主に営業が使う資料を作成する。いわゆる言われた通りに資料を用意する課だ。一課は営業、二課は営業に必要な資料を作成したりプレゼンに同行したりするいわゆる半営業半事務みたいなところだ。営業と一緒に会議しているのをよく見かける。それに対して三課は本当に資料を作成するだけで、たまにおかしな数字があった時に確認しに行くくらいだ。専務はどうやら三課も二課のような業務に変更したいらしい。  そんな三課だから入社してすぐに資料作りのために配属されて、それから二課に異動する人が多い。それでも異動しないのはよほど人と会話がするのが苦手とか少し変わり者が多い。かくいう私もそうだ。営業なんてクライアントに合わせて仕事をする気にはなれない。なんせ趣味に生きる女なのだ。  本格的に眠くなりそうだったので、コーヒーでも淹れようかと立ち上がるとちょうど課長が戻って来た。げっそりとした表情で戻ってくると思っていたら、予想外にいきいきとした表情をしていた。よほど美味しいランチでも食べたのだろうか。  課長は戻ってくるなりレジュメをみんなに配り始めた。 「急ぎの仕事はなかったはずだから、キリのいいところで目を通しておいてー」  私は手元にやってきたレジュメに目を通した。そこには思っていたのとは違う言葉が並んでいた。 「〈働きやすい職場に。福利厚生改革案〉?」つい口に出してしまった。まさかの福利厚生。いまだって別に問題があるわけじゃない。いたって普通だと思う。だがそこには育児休暇の期間延長やペットへの忌引き休暇適用などについて書かれていた。どうやら事前に届出さえしてあればそのペットの忌引き休暇が申請できるらしい。  ペット? そういえば課長は猫溺愛派だ。そんな課長にとっては朗報だろう。それでなんだか嬉しそうだったんだな。レジュメにはペットも家族とかもっともらしいことが書かれていた。 「──早乙女くん」  課長は突然私の名を呼んだ。顔をあげるとちょいちょいと手招きされた。私は立ち上がって課長の席の前まで向かった。 「いまの案件って急ぎじゃないよね?」 「はい」 「じゃあ他の人に引き継いでもらっても問題なさそうだね」 「まあ、そうですけど」何か急ぎの案件でもあるんだろうか。  課長はうんうんと頷くと上着の懐に手を入れた。 「じゃあさ、明日からここに行ってもらってもいいかな?」 「は?」  課長の懐から出て来たのは会社のIDカードだった。 「えっと?」それと同じものはもう持ってますけど。課長はIDカードにある部分を指差した。 「部署異動。明日からこっちに行ってもらうから」  そこには聞いたこともない〈総務部 すぐやる課〉と記されていた。
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