そして和菓子の花が咲く!

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「――……」  聞き間違いかと思った。それか、陸太朗の言い間違いか。  彼は時々、言葉が足りない。言わなくてもいいことを言って、肝心なことを言わなかったりする。  だが。  頭の中で、先ほどの言葉が再生された。  ――コンテストの出場をやめる。  ――コンテストだけじゃなく、和菓子を作るのをもうやめる。 「……なに、言ってるの? 陸太朗……」  陸太朗の言葉が理解できない。反応を決めかねて戸惑っているうちに、彼が続けた。 「……おまえのことは、振り回して悪かったと思っている。とりあえず、今日はもう片付けて帰ってくれ」 「……え? なに、それ」  陸太朗はそれだけ言うと、背を向けて家庭科室を出ようとする。その姿が逃げているように見えて、あたしはカッとして彼の腕をつかんだ。 「陸太朗! どこ行くのよ、ちゃんと説明してよ!」  廊下に声が響く。陸太朗が、顔をしかめてのろのろと振り向いた。 「……声が大きい。周りに迷惑だろう」 「誰もいないじゃない! それより、ごまかさないで説明して。コンテストに出ないってどういうこと!?」 「だから――、そういうことだ。コンテストには出ない。出る必要がなくなった」 「だから、なんで!」 「和菓子屋に俺は関わらない。そう決まったんだ」 「――はあ?」  陸太朗の言い方にひっかかりを覚えた。 「……決まったって……。何よ、それ……」  まるで他人事(ひとごと)みたいに。  呆然として陸太朗を見返す。本当に彼は、自分の知っている立花陸太朗だろうか?  彼の言っていることが何一つ理解できない。別人に触れているようで、無意識につかんでいた手を放す。  陸太朗は一度、ため息をついた。 「――最近、俺によく電話がかかってきていただろう。あれの相手は、父親だったんだ。祖母が倒れてから、母親がちょくちょく世話をしに来るようになって、一応、隠していたんだが――料理部のことが、ばれた」 (ばれた?)  あたしは眉根を寄せ、陸太朗の言葉の続きを待った。 「もともと、大学に進学するという理由で祖母のもとにいさせてもらったんだ。受験勉強に専念したいと言ってな。それなのに、和菓子なんかに興味を持って、不要な部活に精を出していたから……、だいぶ怒られた。そんなことをしているならこっちに来いと、ずっと説得されていた。……もう、潮時なんだ。実際やってみたら俺には向いていなかったし。だから、料理部も、もうやめる」 「…………」  話についていけない。  ――和菓子なんか、なんて。  ――実際やってみたら向いていなかったなんて。  そんなのわかっていたはずだ。それでもやり続けようと決めたのではなかったのか。  何をいまさら。 「――あんた、それで納得したの……? 向いてないけど、迷ってるけど、それでもやりたいって言うから、あたしは――!」 「だからだよ……。――迷ってたからだ!」  突然、陸太朗が声を荒げた。息をのんだあたしを見て、「しまった」という表情をする。それから、一段トーンを落として吐き捨てるように言った。 「おまえの言う通りだ。ずっと、迷ってたんだ。進学するか、和菓子屋を継ぐか、どうしても決められなかった。――俺にとっては、進学をする方が楽なんだ。不器用だし、和菓子作りには向いていない。そう思うと、進学して経営学部に入って、そっち方面で役に立つのも悪くないんじゃないかとか、そういうことも考えてしまう。……父さんに指摘されたよ。本当にやりたいことだったら、迷うこと自体がおかしいんだって。そんなの、わかっている。ずっと前からわかっていた。見ないふりをしていただけだ。反論なんかできるわけがない。誰より俺が、そう思っているんだから」 「……陸太朗。でも――」  でも、なんだろう。  陸太朗の言いたいことはわかった。でも、納得できない。してはいけない。  そう思うのに言葉が出てこないあたしに、陸太朗は目を細めた。 「……俺の中途半端に巻き込んで、櫻庭には本当に悪いと思っている。家庭科室は、そのままでいいから。今度、俺一人で片づける」  陸太朗はうつむき、もう一言、何か言おうとした。だが結局何も言わず、踵を返して家庭科室を後にした。後ろは一切振り向かなかった。 「――……」  あたしはどうしたらいいかわからなくて、家庭科室へ戻った。さっきまでと人数は変わらないはずなのに、室内がやけにがらんとして感じる。  投げ出されたままのボウルや泡だて器が所在投げに台の上に転がっている。  いつの間にか焼きあがっていたカステラは、オーブンの中に放っておかれたまま、冷え切ってしまっていた。 「……どういうこと……。どうすればいいの? これから――」  ぺたんと椅子に腰を下ろして、目の前の調理器具をぼうっと眺めた。 (……陸太朗。教えてよ。さっきの話じゃ、わからないよ……)  窓から差し込む光が薄くなる。夕闇が光を押さえつけ、物の形をあいまいにしていく。陸太朗が書き留めていたレシピも。ボウルも、小麦粉も、すべてが闇色に沈んでいく。  最初から何もなかったように。何も、始まっていなかったかのように。    ――頭が全然働いていなかった。  陸太朗が考え直して戻ってくるんじゃないか、さっきのは何かの間違いじゃないかという妄想じみた考えに惑わされ、そのまま何もせず夕日が沈み切るまでそこにいた。
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