そして和菓子の花が咲く!

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「おい、聞いてるのか? 櫻庭(さくらば)」  静けさを取り戻した放課後の家庭科室。ここにいるのはあたしと、正面に座って偉そうに足を組んでいる諸悪の根源である男子生徒だけだ。  彼の名は、立花(たちばな)陸太朗(りくたろう)という。くせのないつややかな黒髪、切れ長の目、女子よりもよっぽどきめ細やかな肌。文句なしのイケメンで、しかも、学年一の秀才でもある。 (……けど、ちょっと傍若無人にすぎるんじゃない?)  いくら顔と頭が良いからって、こんなに上から目線で話をされる道理はない。 「ちゃんと聞いてる。そんでもって、何かの間違いだった。ごめん」  そう言ってあたしは席を立ち、さっさと出入口へと向かった。  もともと部活に入る気はない。しかもそれが悪名高い料理部だなんてまっぴらだ。  が、「ちょっと待て!」と意外に素早い動きで立花が進路を阻んできた。 「今更辞退は認められない。すでに契約はかわしたんだからな」 「はあ? それって、家庭科室に入った途端、問答無用で拇印(ぼいん)押させられたあれのこと?」  テーブルに置かれた一枚の紙きれを指さす。A4の用紙にはご丁寧にパソコンで大きく「契約書」と印字してあって、下の部分にはまだ乾ききらない朱色が蛍光灯の明かりにきらめいていた。 「あんなの、無効に決まってるでしょ! 悪徳商法みたいなもんじゃない!」 「とにかく、もう一度座ってくれ。まだ部活の説明もしていないだろう」 「まあ……そうだけど」  説明されたところで意志は変わらないと思う。しかし、相手もわざわざあたしのために時間を作ったのだ。そう考えると、入部する気もないのに来てしまったという負い目もあり、無下にもできない。仕方なく、言われた通り椅子に座り直した。  せっかくだ。謎の部活の実態を暴いてみても……。 「――じゃあ、身長と体重と腹囲計るから準備しろ」 「いやいやいや! こっち来んなヘンタイ!」  立花がメジャーを片手におもむろに立ち上がった。あたしはその両手をがっちりつかみ、全力で押し返す。長く伸ばした爪が食い込んだのか、長い前髪の隙間から眉間にしわが寄ったのが見えた。 「誰がヘンタイだ。実験体の体型や体調の管理をするのは部長の役目だろう。契約書にもそう書いてある」 「契約書契約書うるさいわね! 部活の説明するんじゃなかったの!?」 「それは契約書を読んだらわかる。いいからちょっと計らせろ!」 「断じてさせるか、このヘンタイー!」  しばらくの攻防の後、乙女の底力に根負けしたヤツは、疲れたように椅子に座り込んだ。勉強一筋で体力がないのだろう。決してあたしが馬鹿力なわけではない。  あたしも呼吸を整えながら、立花の様子に目を光らせた。変な動きを見せたら、すぐに飛び掛かって行動を阻止するつもりだ。野生動物のように警戒しつつ、テーブルの上に置かれた用紙を盗み見る。  立花が言った個所はすぐに見つかった。契約書には、「立花陸太朗が作る和菓子の味見役になること」「料理部の部員として、部活には毎回参加すること」の二つが条件として書かれている。 (和菓子? 和菓子って、だんごとか饅頭とかの、あの?)  よくわからない。見かけによらず、パティシエでも目指しているのだろうか。  しかし、見渡しても他に部員はいないようだ。そもそも、料理部に居ついた女子がいるとは聞いたことがない。  部を設立するには最低五人必要……ということは、他の三人は幽霊部員なのかもしれない。 「……話を戻す。何かの間違いとは何だ? 部員になるつもりで応募してきたんじゃなかったのか?」  立花が疲れ切った声で尋ねてきた。当然の問いだが、あたしは一瞬口ごもる。  のこのこ家庭科室まで来てしまったが、あたしにそのつもりは一切なかった。親友のミヤちに、『イケメンと出会いたい? そうだよね? だったらちょうどいいところがあるよ!』と、怪しい勧誘じみた言葉で送り出されただけなのだ。それが部活に入ることだとは聞かされていないし、その部が料理部だとは知らなかった。  しかし、さすがにそのまま言うわけにはいかない。どう説明したらいいか考えていると、立花が再び口を開いた。 「手伝いはいらない。部費も不要。ただ味見をするだけだ。何が不満だ?」 (――え。こいつ、何が不満だって言った……!?)  まさか、本気で言っているのだろうか。 「あのねえ、当たり前でしょ!? 女の子の体重測ったり、直接触って調べようだなんて暴挙、許されるとでも思ってんの!?」  ヤツの手から奪ったメジャーを印籠(いんろう)のごとく掲げて怒鳴る。今まで入部した女子たちが即退部した理由はこれに違いない。 「だが、女子はよく体重を気にしているだろう?」 「だから、なんでそれをあんたに計測されたり管理されたりしなきゃなんないのかって言ってんの!」  立ち上がってまで力説したが、立花は首をかしげるばかりで、心に響いた様子はない。これ以上話しても無駄かもしれない。  あたしはメジャーを乱暴にテーブルに置くと、乱れた髪を手櫛で整えながら、再度戸口に足を向けた。 「じゃっ、そーゆーことで。短い間だけどお世話になりましたー!」 「――待ってくれ」  出ていこうとしたあたしの前に、またも立花が回り込んだ。  身長は少しだけ彼の方が高い。あたしは腕を組んで顔を上げ、気圧されないよう胸を張る。 「ちょっと、どけてよ。セクハラだって、大声出すわよ?」 「それが不満だというなら、善処はする。だから、協力してくれないか」 「――や、そう言われても……」  入部する気はないんだって。  罪悪感がまたちくりと胸を刺した。しかし、だからといって入部してやる理由は見当たらない。 (悪いけど、はっきり断ろう)  そう思ったとき、立花が大きく頭を下げた。 「え、ちょ、ちょっと……?」 「実は、事情があるんだ。ちゃんと説明するから、聞いてほしい」  真剣な表情で訴えられて、思わず言葉に詰まってしまう。そのすきを逃さず、立花はとうとうとしゃべり始めた。  通学路にある和菓子屋・立花屋を、彼の祖母が経営していること。  先日過労で倒れ、すぐに退院できたものの、体調がすぐれず店を休んでいること。  それで気弱になってしまったのか、売れ行きが良くないことと相まって、店を閉めようかと言い出したこと。 「和菓子屋? ああ、そう言えば、なんか古い、和っぽいお店があったような」 「おそらくそれだ。近くに、洋菓子店がある」 「ああー」  なるほど。向かいのパフェ屋しか、あたしの目には入っていなかったようだ。だが、それも当然だろう。あんな古い木造家屋、かわいらしい洋風のお菓子屋さんと比べたら、どうしても見劣りしてしまう。 「でも、俺は、どうしても店を続けてほしいんだ。あの洋菓子店みたいに女子受けする商品を出せれば、きっと売れ行きが良くなる。そうなれば、祖母も元気を取り戻すと思う。時間がないんだ、頼む!」 そう言って、もう一度大きく頭を下げた。 「う……っ、で、でも、あたし……」 「もう、おまえしかいないんだ。おまえに断られたらどうすればいいか……! ……櫻庭、どうしても……嫌か?」 「うう……っ」  やめてくれ。そんな風にお願いされたら、断固たる決意が揺らいでしまう。  断りたい。ものすごく断りたい。こんな高二の途中から部活なんて面倒くさい。第一、部長が立花だというのがとてもとても不安である。あたしは別にマゾなんかじゃない。  だが、これだけ頼まれて断ったら、とんでもない冷血漢みたいではないか。    結局、散々悩んだ末に、断腸の思いで頷いた。  部活の内容から察するに、きっと、毎日じゃないだろうし、過酷でもなさそうだ。案ずるより生むが易しってことわざもある。そう、自分に言い聞かせる。 「わ、わかったわよ。どうせ、特にやることもないし……」 「――そうか」  しかし、あたしの並々ならぬ決意に対し、立花の声音は意外に軽かった。殊勝な態度だったはずが、顔を上げると、その欠片すら見当たらない。 「それでいい。活動は火曜日と土日以外の毎日だ。放課後、遅れずに来るように」  立花はそう傲然(ごうぜん)と述べると、あっさりとあたしに背を向けて椅子に座った。そして、何事もなかったかのように書類を記入し始める。 (……う、うそでしょ……?)  そうして、あたしが呆然としてる間に、櫻庭美桜名義の入部届が作成されたのであった。
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