第1章 正統後継者

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 どうやら、馬頭と姫頭が無事に、梅島弥生の霊魂を現世まで連れて来られそうだ。  それを察知した美紘は、神鈴と、藍色と朱色のテルテル坊主を神棚に戻し、  今度は自らの首にかけてあった、黒いトチノミをつなぎ合わせた長さ2mはあろうかという『イラカタ念珠』を取り出し、胸の前で豪快にこすり合わせ、呪文を唱え始めた。 「急いでぇ~参るぅ、仏のぉ浄土のぉ、呼びぃ申ぅすぅ~」  ジャラ、ジャラ、ジャラ  白い羽織姿、そして黒く長いイラカタ念珠をこすり合わせる。  これが、古くから伝わる南部桜川流降霊術の基本スタイルだ。 「いつぅまでもぉ、元気をぉ守れぬぅ、このぉ~ことぉはぁ~」  ジャラ  ジャラ、ジャラ、ジャラ  美紘がイラカタ念珠を擦り合わせていると、頭上から馬頭の声がした。 《おい、美紘》 『あ、馬頭?』  口寄せの呪文を唱えながら、美紘が心の中で返事する。 《依頼者の霊魂、連れてきたぞ。梅島弥生だ》 『うん、ありがとう』  ジャラ、ジャラ、ジャラ  両手で黒いイラカタ念珠を擦り合わせながら、美紘が普通の声で呼びかける。 「梅島さん」 「あ、はい」  美紘の後ろで、退屈そうに呪文を聞き流していた梅島が、美紘の呼びかけで我に返り、背筋を正す。 「いま、弥生さんに来てもらいました」 「え、ほんとうに?」 「これから『口寄せ』に入りますね」 「よろしくお願いします」  ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ!  美紘の、イラカタ念珠を擦り合わせる速度が激しくなる。 「ああぁぁ~~」  美紘が、澄んだ声をあげる。 「生まれたぁ~身はぁ~、いつかはぁ~仏のぉ~道ぃという~」  大声を発する美紘を、梅島は目を丸くして見張る。 「寿命をぉ~栄えてぇ~、終わぁりぃ~になりぃ~」  ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ  美紘の両手で、イラカタ念珠が激しく擦り合わされる。 「はん~にゃあぁ~、はぁらぁ~みったぁ~」  美紘の呪文が、般若心経になった。 「観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ) 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく) 舎利子(しゃりし) 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき) 色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」  ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ  お経を唱えるその間、美紘はイラカタ念珠が激しく擦り合わす。  仏さまの霊魂を自分に憑依させるには、降霊術者がトランス状態になる必要がある。  そのためには、なじみ深い般若心経を唱えるのがよいのだ。 「受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ) 舎利子(しゃりし) 是諸法空相(ぜしょほうくうそう) 不生不滅(ふしょうふめつ) 不垢不浄(ふくふじょう) 不増不減(ふぞうふげん) 是故空中(ぜこくうちゅう)・・・」  般若心経を唱えながら、美紘は心の中で馬頭に問いかける。 『お願い、馬頭!弥生ちゃんいるんでしょ?私の中に入れて!』  ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ!  美紘は、イラカタ念珠を擦り合わす。  その様子を見て、馬頭は呆れた目を向ける。 《でも美紘。お前の霊力、強すぎるぞ。そんなに霊力(ちから)出されていたら、押し込めないじゃないか。仏さまが成仏しちまう》 『そこに姫頭もいるんでしょ?お願い、2人で弥生ちゃんを私の中に押し込んでよ!』  美紘は、自身がトランス状態になるのに必死だ。  特段、意識して霊力を放っているつもりなどない。 《イヤ、美紘ちゃん。さすがにもう少し霊力、絞ってくれない?》 『霊力を絞るって、やってるんだけど』 《美紘ちゃん、霊力(しゅつりょく)出しすぎ!制御して》 『え~?だから、やってるよぉ~』 「乃至無老死(ないしむろうし) 亦無老死尽(やくむろうしじん) 無苦集滅道(むくしゅうめつどう) 無智亦無得(むちやくむとく) 以無所得故(いむしょとくこ) 菩提薩捶(ぼだいさった) 依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ) 心無罫礙(しんむけいげ) 無罫礙故(むけいげこ)・・・」  口では般若心経を唱えながら、美紘が涙目になる。 《全然制御できてねぇぞ、美紘・・・》  天井から美紘を見下ろす馬頭も、あきれ返る。 『これで、どう?けっこう頑張ってるんだけど』 《この梅島弥生の霊魂は、現世に未練なんてこれっぽっちしかないからな。このままお前に近づけたら即、成仏しちまう》 『そんなことないよ、きっと大丈夫だよ!』 《ダメだよ》 『も~、馬頭のイジワルぅ~。だったら私は、どうしたらいいの?』  そんな不毛な会話をしていると、姫頭が梅島弥生の霊魂の異変に気付く。  ほんわかと暖かく、炎が明るくなっている。 《あれ?この仏さま、成仏しかかってる!》 『え?せっかく連れてきてもらったのにぃ?』  梅島弥生の霊魂の緊急事態に、美紘も焦る。 《あぁっ!消えちゃう、消えちゃう!》 『消える前に、2人で一回私の中に押し込んでよ!憑依できるかもしれないでしょ?』 《いいの、美紘ちゃん?》 『馬頭、姫頭、とにかくやって!』  馬頭がうなだれて、かぶりを振る。 《仕方ねぇか、姫頭、行くぞ》  馬頭と姫頭は、2人で力を合わせて梅島弥生の霊魂を、美紘の体内へと押し込む。  キラキラと霊力を発する美紘の身体へ近づくたび、押し込む梅島弥生の霊魂もキラキラと反応する。  これは、この世への未練が美紘の霊力により浄化され、気持ち良くなって成仏してしまう兆候だ。 《それぇー、押せぇー!》  馬頭と姫頭が弥生の霊魂を押し込んでいると、  一瞬、黄金色の粉末が美紘の周囲にパァーっと舞い上がって、霊魂を押す手ごたえがなくなった。  スカッと勢いをそがれた馬頭と姫頭は、そのまま美紘の身体をすり抜けて向こう側へ飛び出す。 《ありゃー、成仏しちゃったよ》  美紘の身体をすり抜けた馬頭が、振り返ってキラキラに舞う金粉に目を細める。 『えっ、ウソ。またダメ?』  馬頭の言葉を聞き、美紘が呆然とする。  般若心経も、もう口をついて出ない。 「・・・・・」  急に呪文を唱えるのをやめた美紘に気づき、梅島が身を乗り出す。 「あ・・・もしかして弥生、降りてきたのか?」 「梅島さぁん・・・」  美紘が、力なく振り返る。 「弥生?弥生なのか?」 「梅島さぁん・・・」 「弥生、お兄ちゃんだぞ」 「ごめんなさーい。失敗しちゃったー」  美紘が、座敷へ崩れこむようにして頭を抱え込む。 「ごめんなさーい」
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