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どうやら、馬頭と姫頭が無事に、梅島弥生の霊魂を現世まで連れて来られそうだ。
それを察知した美紘は、神鈴と、藍色と朱色のテルテル坊主を神棚に戻し、
今度は自らの首にかけてあった、黒いトチノミをつなぎ合わせた長さ2mはあろうかという『イラカタ念珠』を取り出し、胸の前で豪快にこすり合わせ、呪文を唱え始めた。
「急いでぇ~参るぅ、仏のぉ浄土のぉ、呼びぃ申ぅすぅ~」
ジャラ、ジャラ、ジャラ
白い羽織姿、そして黒く長いイラカタ念珠をこすり合わせる。
これが、古くから伝わる南部桜川流降霊術の基本スタイルだ。
「いつぅまでもぉ、元気をぉ守れぬぅ、このぉ~ことぉはぁ~」
ジャラ
ジャラ、ジャラ、ジャラ
美紘がイラカタ念珠を擦り合わせていると、頭上から馬頭の声がした。
《おい、美紘》
『あ、馬頭?』
口寄せの呪文を唱えながら、美紘が心の中で返事する。
《依頼者の霊魂、連れてきたぞ。梅島弥生だ》
『うん、ありがとう』
ジャラ、ジャラ、ジャラ
両手で黒いイラカタ念珠を擦り合わせながら、美紘が普通の声で呼びかける。
「梅島さん」
「あ、はい」
美紘の後ろで、退屈そうに呪文を聞き流していた梅島が、美紘の呼びかけで我に返り、背筋を正す。
「いま、弥生さんに来てもらいました」
「え、ほんとうに?」
「これから『口寄せ』に入りますね」
「よろしくお願いします」
ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ!
美紘の、イラカタ念珠を擦り合わせる速度が激しくなる。
「ああぁぁ~~」
美紘が、澄んだ声をあげる。
「生まれたぁ~身はぁ~、いつかはぁ~仏のぉ~道ぃという~」
大声を発する美紘を、梅島は目を丸くして見張る。
「寿命をぉ~栄えてぇ~、終わぁりぃ~になりぃ~」
ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ
美紘の両手で、イラカタ念珠が激しく擦り合わされる。
「はん~にゃあぁ~、はぁらぁ~みったぁ~」
美紘の呪文が、般若心経になった。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ
お経を唱えるその間、美紘はイラカタ念珠が激しく擦り合わす。
仏さまの霊魂を自分に憑依させるには、降霊術者がトランス状態になる必要がある。
そのためには、なじみ深い般若心経を唱えるのがよいのだ。
「受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中・・・」
般若心経を唱えながら、美紘は心の中で馬頭に問いかける。
『お願い、馬頭!弥生ちゃんいるんでしょ?私の中に入れて!』
ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ、ジャラ!
美紘は、イラカタ念珠を擦り合わす。
その様子を見て、馬頭は呆れた目を向ける。
《でも美紘。お前の霊力、強すぎるぞ。そんなに霊力出されていたら、押し込めないじゃないか。仏さまが成仏しちまう》
『そこに姫頭もいるんでしょ?お願い、2人で弥生ちゃんを私の中に押し込んでよ!』
美紘は、自身がトランス状態になるのに必死だ。
特段、意識して霊力を放っているつもりなどない。
《イヤ、美紘ちゃん。さすがにもう少し霊力、絞ってくれない?》
『霊力を絞るって、やってるんだけど』
《美紘ちゃん、霊力出しすぎ!制御して》
『え~?だから、やってるよぉ~』
「乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩捶 依般若波羅蜜多故 心無罫礙 無罫礙故・・・」
口では般若心経を唱えながら、美紘が涙目になる。
《全然制御できてねぇぞ、美紘・・・》
天井から美紘を見下ろす馬頭も、あきれ返る。
『これで、どう?けっこう頑張ってるんだけど』
《この梅島弥生の霊魂は、現世に未練なんてこれっぽっちしかないからな。このままお前に近づけたら即、成仏しちまう》
『そんなことないよ、きっと大丈夫だよ!』
《ダメだよ》
『も~、馬頭のイジワルぅ~。だったら私は、どうしたらいいの?』
そんな不毛な会話をしていると、姫頭が梅島弥生の霊魂の異変に気付く。
ほんわかと暖かく、炎が明るくなっている。
《あれ?この仏さま、成仏しかかってる!》
『え?せっかく連れてきてもらったのにぃ?』
梅島弥生の霊魂の緊急事態に、美紘も焦る。
《あぁっ!消えちゃう、消えちゃう!》
『消える前に、2人で一回私の中に押し込んでよ!憑依できるかもしれないでしょ?』
《いいの、美紘ちゃん?》
『馬頭、姫頭、とにかくやって!』
馬頭がうなだれて、かぶりを振る。
《仕方ねぇか、姫頭、行くぞ》
馬頭と姫頭は、2人で力を合わせて梅島弥生の霊魂を、美紘の体内へと押し込む。
キラキラと霊力を発する美紘の身体へ近づくたび、押し込む梅島弥生の霊魂もキラキラと反応する。
これは、この世への未練が美紘の霊力により浄化され、気持ち良くなって成仏してしまう兆候だ。
《それぇー、押せぇー!》
馬頭と姫頭が弥生の霊魂を押し込んでいると、
一瞬、黄金色の粉末が美紘の周囲にパァーっと舞い上がって、霊魂を押す手ごたえがなくなった。
スカッと勢いをそがれた馬頭と姫頭は、そのまま美紘の身体をすり抜けて向こう側へ飛び出す。
《ありゃー、成仏しちゃったよ》
美紘の身体をすり抜けた馬頭が、振り返ってキラキラに舞う金粉に目を細める。
『えっ、ウソ。またダメ?』
馬頭の言葉を聞き、美紘が呆然とする。
般若心経も、もう口をついて出ない。
「・・・・・」
急に呪文を唱えるのをやめた美紘に気づき、梅島が身を乗り出す。
「あ・・・もしかして弥生、降りてきたのか?」
「梅島さぁん・・・」
美紘が、力なく振り返る。
「弥生?弥生なのか?」
「梅島さぁん・・・」
「弥生、お兄ちゃんだぞ」
「ごめんなさーい。失敗しちゃったー」
美紘が、座敷へ崩れこむようにして頭を抱え込む。
「ごめんなさーい」
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