11.痛みと震え

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11.痛みと震え

 すぐに完治すると踏んでいた火傷は想像以上のしぶとい痛みを私の肌に残していました。ロカルドに「痛みはない」と言った手前、屋敷では気丈に振る舞っていますが、正直なところ何もしていなくてもジクジクと痛みます。 「最近いつも手袋をしているね?」  不思議そうに私の手元を見る全裸の男に、私は冷たい視線を向けます。比較的鈍感なこの紳士にも気付かれるようですから、革の手袋は目立つのかもしれません。 「ええ。素手で奴隷の肌に触れることが嫌になっちゃったの。それに、こっちの方が気持ち良いでしょう?」  プクッと目立つ胸の頂を手袋で掠めると、男は耐えらえないように身体を震わせます。  私の手がどうであれ、奴隷である彼らに最高のプレイを提供出来ればなんだって構いません。幸い、皮膚が腫れているのは手のひらではなくて甲の方なので、握る分には問題はありません。  プカプカとタバコを蒸かしながら、熱りたった己を自分で慰める男を眺めます。いつもの日常であるはずなのに、どこか心に穴が開いているような気さえするのです。  もう、タバコの煙では紛らわせないぐらい、私の抱える虚無は大きくなっているのでしょうか。代わりになるような、何かもっと刺激の強い娯楽を私は探すべきかもしれません。  情けなく吐精した男の腹を爪先で蹴って、私は立ち上がりました。冷たい床の上で伸びた男は、柔らかいベッドの上ではもう行為に及べなくなった可哀想な奴隷です。  彼らが冷遇されることで興奮し、気持ちを昂らせることが出来るのは、ひとえに日常でそのような目に遭うことがないからでしょう。  食べるものに困らず、あたたかい寝床がある。  当たり前のように帰る家がある。  奴隷としての幸せは、満ち足りた毎日の反動なのです。 「ありがとう……っはぁ、今日も最高だった」 「良かったわ。さようなら」  去って行く男を見送って、着替えようとクロークへ向かおうとした時、慌てた管理人が「もう一人構わないか?」と聞いて来ました。私はまだ着替える前だったので頷きます。  しかし、待っていた部屋に現れたのはロカルド・ミュンヘンだったので絶句しました。予約ではないので、気が向いて急に来たのでしょう。  最悪な気紛れです。  私は不機嫌が表に出ないように注意しながら、行き場のない不満を抱えて両手を握り締めます。シャツを脱いだところで、ロカルドは不安そうな目でこちらを振り返りました。 「何か…気に触ることをしたか?」 「え?」 「いや、機嫌が悪そうだったから」 「そんなことないわ。ごめんなさい、タバコを吸っても良いかしら?なんだか落ち着かないの」  完全にニコチン中毒者のような言い訳を口走る自分の愚かさに失笑しつつ、私は自分のポーチを探ってタバコの箱を取り出します。一本手に取ったところで、例の如く指先が震え始めたため、私が火を灯す前にそれは床へ落下しました。  堪え切れずに舌打ちします。  どうしてこんなに苛々するのでしょう。  仕方なくしゃがみ込んで伸ばした手より先に、ロカルドの手がタバコを拾い上げました。 「………ありがとう、ごめんなさい」 「どうしたんだ?謝るなんて君らしくない」  言いながらするりとロカルドは手袋越しに私の手を握り締めました。燃えるような痛みが足の先から頭のてっぺんまでを一瞬で駆け上がります。火傷を負ったときよりも、強い痛みに感じました。 「っあ…!?」  思わず右手を抱えて立ち尽くします。  思ったよりもまだ傷は癒えていなかったのです。 「手が痛むのか?」 「やめて、触らないで!ロカルド……!」  私の静止も聞かずに、ロカルドは黒い手袋を脱がせました。わずかに血が滲んだ包帯が姿を表したのを見て、青い双眼が大きく見開かれるまではスローモーションのようでした。  ロカルド・ミュンヘンは、私の顔と手を交互に見ます。  私は、自分が一生懸命に施した化粧が、強い女としてのプライドが、ベリベリと剥がれていくのが分かりました。 「帰って、」  命令を無視した奴隷が何かを喋る前に私は強く言いました。 「もう帰りなさい。二度と来ないで…!女王の命令に背くような奴隷は要らないわ。私の前から消えて」  ロカルドがどんな表情をしていたのか知りません。  ただ、一人になった部屋で私は膝を抱えて泣きました。
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