12.無断欠勤

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12.無断欠勤

 翌日、私は初めて無断で仕事を休みました。  一人の大人として、あるまじき態度であることは理解しています。オデットあたりは怒り狂ってロカルドに詰め寄っていることでしょう。  でも、べつに良いのです。  辞表は昨日の夜に書いてポストに投函していました。きっとこの距離であれば明日の朝には到着しているはずです。こんな風に仕事を辞めてしまうのは雇用主、そして仕事を紹介してくれた人材派遣会社にも悪いとは分かっています。  思い返せば、そもそも雇い主がロカルドであると分かった時点で私が辞退していれば良かったのです。無理に騙し騙し続ける道を選ばずに、潔く身を引いておくべきでした。  私は、たかが風俗店の女と客の関係で、彼の境遇に同情でもしていたのでしょうか?自分であれば、ロカルド・ミュンヘンという男を救って、少しでも楽な気持ちにさせられると驕ったのでしょうか。  結局のところ、どちらも失っただけでした。  ロカルドはもう二度とあの店に来ることはなく、彼は新しい使用人を探し始めることになります。少しの寂しさや遣る瀬なさを紛らわすための場所も失ったのです。  中途半端な優しさは見せるべきではありません。  私のような不器用な人間は、特に。  その時、部屋のベルが鳴りました。  おおかたアパートのオーナーさんが今月分の支払いをせっつきに来たのだと思います。この家のオーナーは階下に住んでいるのですが、私が何回か支払いを滞ったことがあるので、いつも一週間前に「支払いは可能か」と聞きに来るのです。  げんなりした顔を叩いて起き上がります。  化粧も落とさず寝ていたので、肌が突っ張る感じがしました。  床に落ちたクリップを踏んで、よろけながらなんとか玄関まで辿り着きます。まだ夢の中のような頭で思いっ切りドアノブを引きました。 「………ごめん、迷惑だったか?」  そこにはロカルド・ミュンヘンが立っていました。  申し訳なさそうな顔でこちらを見る青い目を直視出来ずに私はすぐに視線を外します。咄嗟に、部屋の中の荒れ果てた様子を思い出しました。今も私の足元には空になった酒瓶や昨日脱ぎ捨てたストッキングが落ちています。 「迷惑……です」  私は、自分が女王として対峙すべきか、それとも下女として平伏すべきか悩みました。  きっとロカルドは、派遣会社が彼に渡した私の情報をもとにこの家まで来たのでしょう。このボロアパートに貴族の男が来るなんて、大家が知ったら色々と聞かれそうです。 「中に入ってください。もしくは帰ってください」 「……ありがとう。邪魔するよ」  まだ話があるようで、ロカルドは散らかった部屋の中に入って来ました。私は今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られましたが、そうもいきません。 「今日は…無断で休んですみませんでした。辞表を送ったんです。もう、辞めようと思ったので」 「それは……俺が昨日、」 「もともと、勤めるべきではありませんでした。あのような仕事をしている以上、私と関わりのある貴方の元で働くべきではなかった」 「アンナ………」  しゅんとする美しい顔を視界に入れるのは耐え難く、私は黄ばんだ壁を一心に見つめて話します。  急いで出て来たのか、真冬だというのにロカルドは外套を羽織っていませんでした。どうして一介の下女である私にそんな風に目を掛けてくれるのでしょう。  それが優しさであるなら、彼は人を使う立場に向きません。  私のような人間が勘違いしてしまうためです。 「俺からも一つ、提案させてほしい」  囁くような小さな声でロカルドが言いました。  顔を上げると、我が主人と目が合います。 「あの店は俺の心の拠り所だった。何も知らない関係には戻れないかもしれない。だけど、君に続けてほしいんだ」 「続ける……?」 「アンナ、俺は君に支配されたい」  私は言葉を失いました。  ロカルドはとても冗談を言っている風ではありません。  猫の額ほどに狭い部屋の中で、高貴な身なりをした男が、自らの屋敷で働いていた下女を相手に頭を下げています。それは憂鬱に沈んでいた私の頭を痺れさせる衝撃でした。
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