15.念のため

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15.念のため

(…………ん?)  柔らかな日差しとぬくぬくとした温かさで目が覚めました。ハッとして起き上がると、私はあろうことか昨日まで主人が眠っていたベッドの上で寝ています。  昨日まで濃紺だったシーツは、今では清潔な真っ白のものに取り替えられており、私が作業した記憶はないのでもしかするとオデットが出勤して来たのでしょうか?  となると、オデットは雇用主の部屋で惰眠を貪る私を発見したということになります。  なんという失態。  なんという恥!  まともな言い訳も考えられないまま、とりあえず今は何時なのかと慌ててベッドから飛び出したところ、寝室の扉が開いてロカルドが入って来ました。  熱が下がったのか顔色はだいぶ良くなっています。シャワーを浴びた後のようで、まだ濡れた髪にバスローブを羽織っただけという出立ちの我が主人は、私の姿を見て一瞬動きを止めました。 「すまない……眠っていたので、ベッドまで運んでしまった。シーツは取り替えたので安心してくれ」  部屋も換気している、と開け放たれた窓を指差したロカルドは寒気からかクシュンとくしゃみを一つしました。 「旦那様がまた熱が出てもいけませんからもう窓は閉めますね。お召し物は自分で選ばれますか?」 「あ、ああ。大丈夫だ…自分で選ぶ」  やけにぎこちない動きでクローゼットまで移動するロカルドを見て、私は窓を閉めながら外で待機する旨を伝えました。昨日と同じ服装で働くのは気が進みませんが、着替えを持って来ていないので仕方ないでしょう。  とにかく、今は何時なのか知る必要があります。  耳を澄ませてオデットの気配を察知しようとしましたが、私の両耳で拾える範囲に彼女は居ないことが分かりました。太陽は昇っているので、朝であることは間違いありません。  ようやく着替えたロカルドが、寝室から再び顔を覗かせたので「オデットは?」と尋ねてみました。 「彼女は今日休むと連絡があった」 「え?」 「喘息持ちなので、風邪を引くと悪化するリスクがあるらしい。熱は下がったと伝えたが、念のため今日は休ませてほしいと言われた」  あっぱれな精神です。使用人たるもの、自分が風邪を引いたならばまだしも、主人が寝込んでいるならば率先してその世話を引き受けるべきではないでしょうか?  私は心底呆れて、この若い雇用主は彼女の異常性に気付いているのだろうかと心配になりました。ロカルドは特に気にする様子もなく、何か考えるようにどこか遠くを見ています。  私は勇気を出して自分も着替えをしに帰りたいと言ってみるべきか悩みましたが、もうそれすら面倒で「朝食の準備を始めます」と伝えて、部屋を出て行こうとしました。 「いや、準備は要らない。それより……」  ロカルドはそこで言葉を切って言い淀みます。  まさか二人っきりであるのを良いことに、この男は私に特別な時間を要求してくるのではないかと身構えましたが、続いたのは予想外の誘いでした。 「街を案内してくれないか?君さえ、良ければ」 「街をですか……?」  道中で発熱したりしないのだろうかと思いつつ、私はとりあえず承諾しました。特に何かの期待があったわけではありません。ただ、いつも通りのつまらない毎日が少しだけ、楽しくなるような予感がしたのです。
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