16.プレゼント

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16.プレゼント

 私が頼むより先に、ロカルドの方から「準備に時間は必要か?」という言葉があったので、シャワーだけ貸してほしいと申し出てみました。  使用人の分際で務める屋敷の浴室を使うことは申し訳ないと思いましたが、丸一日働いた身体は清潔とは言えず、ただでさえ着替えがないのに臭気まで放つと流石にいただけません。  久方ぶりのあたたかいお湯に癒されながら、いったいどこへ案内しようかと思いを巡らせました。  育った町なので、ある程度の観光名所は分かっています。しかし、ロカルドがどんなものに興味があるのか知らない以上、先ずは彼の関心が何に向いているのか聞くべきでしょう。  ふかふかのタオルで髪の水気を拭き取って鏡を見ると、少しだけ疲れた顔の女がそこには映っていました。持参していたポーチから化粧道具を取り出して、必要最低限のメイクを施します。完成した無害な顔の女は、少し目を離したらもうその姿を忘れてしまいそうです。  これで良いのです。  華やかな主人の隣を歩くメイドは、これで十分。  病み上がりのロカルドは、自分の運転する車に私を乗せると言い張りました。熱は下がったと言ってもまだ病人ですし、使用人である私を助手席に乗せるなど、とんでもない話です。 「私は後部座席で結構ですので」 「俺が途中で気絶したらどうするんだ?」 「気絶する予定があるなら家で寝ていてください」 「君は頑固だな。まだこの辺りの道も詳しくないんだ、俺の横に座って案内してほしい」  ジトッとロカルドを見つめると「お願いだ」と両手を合わせて頼むような仕草を見せます。私は渋々スカートをたくし上げて、真っ赤な車の助手席に乗り込みました。  制服を着たメイドを、良い身なりをした貴族が隣に乗せて道を走るというのは、あまり見かけない光景です。知れば知るほど分からなくなるロカルド・ミュンヘンという人間に、私は自分の気持ちが乱されないように外の景色を一生懸命に追いました。  先ずは食事を、という主人の希望のもと、私たちを乗せた車は海沿いにあるレストランへ向かいました。景色の良さから観光名所にもなっている海の近くの店たちは、地元民からも支持される味の良さが売りです。  特にヴィラモンテの特産品である海老や貝といった魚介類を使った料理が有名なので、私はグラタンを注文してロカルドは香辛料の効いた海老のグリルを頼みました。  遅めの朝ごはん、早めの昼ごはん、どちらに分類すべきか微妙な時間帯ですが、おそらく後者になるのでしょう。店内は老若男女問わず多くの客で賑わっており、私は珍妙な組み合わせの自分たちがどう見えるのか少し気になりました。  髪色も化粧も違うので、私の客が女王の存在を見抜くことは不可能だと思いますが、やはり似た男が通り掛かるとソワソワしてしまいます。 「病人との食事は退屈か?」  落ち着かない気持ちがバレたのか、窺うような顔でロカルドが尋ねます。私は首を横に振って「寒いので」と答えました。 「次はどこへ行きましょう?何か見たい物はありますか?」 「服を買いに行きたい」 「紳士服でしたら、大通りが良いかと思います」 「いや……女性のものを見たいんだ」  そう言ったきり黙り込むから、変な沈黙が流れました。  一瞬、とうとう我が主人は女装の趣味も覚えたのだろうかと疑いそうになりましたが、ロカルドも良い大人です。恋人や距離の近い異性の一人や二人居ても不思議ではありません。  何かプレゼントを贈りたいのだろう、と理解した私は、彼の年齢ほどの女性に人気がある店を提案しました。細々とした雑貨やアクセサリー、フォーマルな場に相応しい服装まで揃えたその店が女性に人気があることは有名です。  なにぶん店の少ない田舎町なので、行ける店も限られてくるのです。服ならここ、本ならここと狭い選択肢の中で、なんとか知恵を絞って私はロカルドにこの町を好きになってほしいと思いました。  食事を終えると、太陽はわずかに西へ移動しています。  中心地へ近付くにつれて人通りの多くなる通りを、ロカルドは慎重に運転して進みました。私は頭の隅で、彼が物を贈りたいという相手の女性について考えてみましたが、家を空けることが多い彼のことなので、私が知らないところで誰かと愛を育んでいるのだろうという結論に至りました。  やや特殊な性癖を持っていることを除けば、ロカルド・ミュンヘンはわりと好条件な男です。男爵家といえども貴族は貴族。今はまだ当主としての振る舞いに四苦八苦しているようですが、使用人を物同然に扱う主人も多い中、細やかな気遣いも出来る彼のポイントは高いと言えるでしょう。  そんなことを考えていたら車は服屋の前に停まりました。  ロカルドが車を降りるのを見て、私も慌てて後を追います。まるでドールハウスのような可愛らしい店内に、金髪碧眼の我が主人はよく似合います。お人形のようにスタイルの良い店員さんも、突然現れた男性客に少し緊張した面持ちでこちらに寄って来ました。 「ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなものをお探しでしょうか?」 「彼女に似合うものを、一通り」  私は思わず後ろを振り返りました。  私の後ろには透明な店の扉があるだけです。  ロカルドの顔を見上げ、続いて店員を見ます。  二人の目は私を見ていました。彼女とはつまり、私のことのようなのです。呆気に取られる私を置き去りにして、店員は「承知いたしました」と答えています。何も承知していない私はただ店員に引っ張られ、四角い更衣室の一つに押し込まれました。
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